ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

お告げ待ちスタンバイ、、、今日はドヴォルザークから

2020年07月28日 02時09分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!

いやー、今日はいろいろ動画見たり、本読んだり、、、

あ!!!その前に表紙の写真は、本日我が家で咲いたバラちゃん。元は花束の花です。そこから芽が出て、根が出て、鉢植えにして、、で、もう何回も花が咲いてるの。スゴイわぁ、、

そして、同じく今日、別の鉢植えのお花が咲いたので、


ゲッキツっていうんですって!!グーグルレンズが教えてくれた(笑)

だってさー、これヨーデルの熱田さんからいただいた鉢なんだけど、珍しい幹に実がなる「ジャポチカバだよ!」って、、、笑


熱田さんも一緒に育て始めて、数年前にウチにくださったのより遥かに小さい鉢だった熱田さんちの子がたくさん実を付けたからって、お裾分けもらって、、、


それに引き換え、ウチなんか花も咲かないし、、、おかしいなぁ、、やっぱ熱田さんは育て方上手だなーって。

で、先月ぐらいに旦那が「花が咲きそうだねー」っていうから、めっちゃ幹をみたけどなんもないし、、、

は?これ普通に枝にツボミ付いてる!!幹じゃない(笑)

というわけで、咲いてみたら、全くジャポチカバじゃないという。。。

柑橘類らしい。ジャスミンみたいなめっちゃいいニオイがしてます。


これからたくさん咲きそうー。楽しみ。


ところで、そうそう!!

来月、新潟市ジュニアオーケストラ教室の定期演奏会、お陰さまでなんとか開催できそうです。


  ↑
こちらはリンクです。詳しくはリンク先へ。

※スクショだから、ちょい画質低くてごめんちゃい。

そう、これで前回のスプリングコンサートで演奏できなかった、ドヴォルザークのスラブ舞曲Op.46−8とスコットランドの民謡などを3曲集めた曲集をやるんですけど、

毎度お馴染みのー、、、

プログラムノートをー、、、

いつも死ぬほど調べ物をして、(今回などは4曲で)600−700字なので、長文は書けるけど要約が得意じゃない藤井的には、なかなかの至難の業。

これほど字数が少ないと、正直なにも調べなくても死ぬほど調べ物をしても、書けることはほとんど同じなんだけど、やっぱりこの作曲家とか作品が友達ってくらいにしとかないと、気持ちが悪いから、まーこれが性分なんだよねー、仕方ない(笑)

ドヴォルザークなんて、ホントに好きな曲がたくさんある作曲家だから、クラシックの作曲家の中ではホントに親しみがあるわけですけど、

じゃー、どんな人だったの?

って言われたら、ちょっとした音楽史に出てくるようなことなら言えるけど、友達のことを喋るほどにはピンとこない。

どんな人生?どうしてスラブ舞曲を?
宿屋兼肉屋の子供って、どんな家よ??

それに、スラブって、なんとなくスラブ人のことだろうね、とかくらいは分かるけど、どんな民族なの?とか、スラブ舞曲ってどんな踊り?村の踊り???

そんな風に、言葉で分かってても肌感覚になってないことがいっぱい。

そんな時、

今回、直接関係ない交響曲第8、第9番「新世界より」、チェロ協奏曲のスコアやら、

ウチにあった10冊くらいのドヴォルザークが出てくる本たちをかき集め、ネットの情報も使い、、、

調べていくと、

スラブ舞曲は1877年の作品なんだけど、1892年にニューヨークに出来て間もないナショナル音楽院に請われて行くんだよね。

このアメリカで、「新世界より」を書くんだけど、

ここで黒人の歌に出会って、たくさん収集するし、ネイティブアメリカンの音楽にも触れてるし、鉄道にも出会って、、そういうモノに大いに影響受けた、

ってことは知ってる。

だけど、どう影響したのかとかさー、4楽章の最初がSLのイメージだとか、そんなくらいは分かるけど。。。

そしたら、1楽章かな?フルートが演奏するメロディが、

Swing Low, Sweet Chariotっていう黒人霊歌を元にしてる、、

ん???そのタイトル聞いたことあるな??

早速調べてみると、


ほほー!!確かにそのままではないけど、輪郭は残ってるねー。

「魂を揺さぶる歌に出会う アメリカ黒人文化のルーツへ」ウェルズ恵子 著

この本を知ってたから、黒人霊歌にピンと来た!

前なら気がつかなかったぁ。

そして、ふと、、


ん??ナショナル音楽院って、ニューヨーク??1892年??

わ!!!

それってティンパン・アレーで盛んに商業音楽が作られ、譜面がドサドサ売られてた時期にダダ被るし、地域もめちゃ近いじゃん?

「新世界より」は出来て間もないカーネギーホールで初演されたんだけど、それもティンパン・アレーからとても近い。


数年前にニューヨークに行った時に、タイムズスクエアにチョロリと行ったし、カーネギーホールの前も通ったんだけど、ホントその辺の話らしいから、なんか大分近い気持ちになってきた。

また、ちょっと今どの資料に書いてあったか思い出せないから、そのまま引用できないけど、

ドヴォルザークはその当時、「アメリカの音楽」と言えるモノがまだなかったアメリカに、「アメリカの音楽文化」ってものを作りあげたかった、この音楽院を設立したジャネット・サーバー夫人に請われて行ったわけだけど、

黒人の音楽がこれからのアメリカの文化となるのは間違いない

みたいな発言をして、文化というのはいわゆる西洋音楽とかのクラシックみたいなモノを言うと思ってるインテリ層から、そんなのは「文化」じゃない!!的に反発を食らってしまうワケなんだけど、でもドヴォルザークは本当にそうなると思ってたようだし、ちゃんとした「原曲」を集めたくて、自分の生徒にフェイクしてないかを確かめながら歌わせては記録してたらしい。

ネイティブアメリカンの音楽にも興味を持って集めてたらしい、、、

そして、そうそう!!

ティンバン・アレーは商業音楽の譜面(ミュージックシート)をガンガン売って一大産業になってたワケだけど、

当然クラシックの譜面だって取り扱って他だろう(これは想像)から、ことによってはドヴォルザークの譜面も出版してたんだろうか?

ドヴォルザークのスラブ舞曲はジムロック社からの依頼で書かれたモノなわけで、

これもその頃の中産階級の間で流行り始めていた、「自宅でピアノ」って中で、ピアノ連弾用の譜面として書かれてめちゃくちゃ売れたモノだから(のちに管弦楽編曲が出版された)、

ティンパン・アレーで行われてたことと同じなんだよねー。

すげー!!!

今、ちょうどオンラインサロンでアメリカをやってるワケだけど、こんな形でドヴォルザークからアメリカを見ることができたり、アメリカからドヴォルザークを感じることができるなんて、思いもよらなかったから、ホントびっくり!

まだまだドヴォルザークのことはいーっぱい書きたいことあるーぅ!!

それに、スコットランドのことも並行して調べてるんだけど、スコットランドと同じケルト人であるアイルランド人もアメリカ移民の歴史にすごく関係あって、そういうところから、スコットランドの民謡なんかにちょっとずつ迫っております。

締め切りが近い−!!

まだまだ調べたいことがてんこ盛り。。。


と、ここまでで6400文字くらい書いてるんです。600文字って、この11分の1くらいに4曲分、、、あああああああー笑
曲のタイトルとか書くとそれで大分文字数取られちゃうんだよねー。

5000文字なら書けそうだけど(笑)

まー、頑張ります。

まだまだ今回のためにこれから読む本がトーテムポールのように積み上がっております。もちろん、必要な部分だけ読んで行くってことにしないともう、締め切りまでに間に合わないから、かっ飛ばします。

それでは、みなさんまた明日ー。

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