(49)正木稲荷 (江東区常盤1)★
この稲荷の名は、柾の大木から出ているらしいが、その木は現存しない。だが、腫物に効くと言う稲荷の効能の方は、残っている事になっているのだろう。江戸稲荷百番付では世話人をつとめた稲荷ゆえ、敬意をはらって参拝する。
(50)芭蕉稲荷 (江東区常盤1)★
小名木川にかかる万年橋の近くに芭蕉稲荷がある。芭蕉庵の旧跡としての意味合いはあるのだろうが、稲荷として機能しているかどうかは不明。一礼して立ち去る。
(51)深川稲荷 (江東区清澄2)★
稲荷としてより、深川七福神の一つ布袋尊の社として知られている。正月は参詣する人も多く町内会の人も摂待に出るが、それ以外の季節は道路の角にぽつんと置き忘れられた格好になっている。今日は布袋の方はお休み願って、稲荷の方を参拝。
(52)三穂道別稲荷 (江東区清澄3)
清澄庭園から小名木川方面へ行く途中、路地を抜けると稲荷があった。元は敷地の大きさに因んで三坪稲荷と言ったらしいが、他の稲荷も合祀して現在名となる。この稲荷、不信心者を拒むかのように金網で囲まれている。中を覗いてみると、何故か三毛猫が居た。
(53)紀文稲荷 (江東区永代1)
紀文(紀国屋文左衛門)が建てた稲荷とあるが、どうだろうか。近くの清澄庭園の辺りに紀文の別邸があったという話があるが、後世の作り話という説の方が本当のような気がする。明暦の大火で財をなしたという話は河村瑞賢との混同かも知れない。紀文は虚像ばかりが膨らんで分からない事が多いのである。荒天をついてミカンを江戸に運んだのが事実であったとしても、それだけで巨万の富を得たとは考えにくい。ただ、稲荷のふいご祭にミカンを撒く風習があり、そのためのミカンを運んだとすれば、紀文も多少は稲荷と縁があるということになる。ふいご祭の時に来てみれば何か分かるかも知れない。その時には、境内の力石が効力を発揮するような気もする。今は手を触れても、何ごとも起きないが。
(47)鉄砲州稲荷 (中央区湊2)★★
もともとは日比谷入江の奥にあったのが、江戸時代の埋め立てに伴って移動し、この場所、鉄砲州に辿り着いたらしい。今は海から遠く離れているが、江戸時代は湊があったようで、この稲荷も港に出入りの船乗りから厚く信仰されていたという。いつか船に乗ることがあるかどうかは分からぬが、その時の為に拝礼。
(48)波除稲荷 (中央区築地6)★
築地市場が開いていないと、波除神社(稲荷)の周辺は閑散としている。市場関係者ではないので、見物客の雰囲気で神社に入り獅子頭を見物してから外に出た。築地市場が移転したら、この稲荷どうなるんだろうと考えるのは余計なお世話かも知れない。
(42)幸稲荷 (中央区銀座1)
幸という名がついているが、もとは武具の商人の屋敷稲荷であったらしい。銀座では珍しい土地付きの社で、狭い境内ぎりぎりに背を伸ばした銀杏が黄葉を散らしている。裏手の小料理店に敬意を表して一句ひねりたいところだが、とても無理なので省略。稲荷を横目で拝んでから、路地の三毛猫に会釈して通り過ぎる。
(注)現在、幸稲荷の敷地にはビルが建ち、敷地内の銀杏は伐採され、幸稲荷も路地を入った先に遷座している。稲荷裏手の小料理店も今は無い。
(43)朝日稲荷 (中央区銀座3)
道路に面した場所に鳥居と拝殿が設けられ、ビルの屋上にある稲荷の社殿と拝殿はパイプで繋がっている。パイプを通して願い事が上まで届くというわけだ。ビル屋上の神社は神社に非ずという公式見解があるらしいが、もともと神社の埒外である稲荷社にとってはどうでも良いことなのだろう。人通りの邪魔にならぬよう、頭を下げただけで通過。
(44)宝童稲荷 (中央区銀座4)
江戸城内紅葉山の子育祈願の稲荷を、弥左衛門なる者が願い出て、分祀した稲荷という。弥左衛門は城内の下働きの一つ、掃除之者であったらしい。現在は、ビル裏側に取り囲まれた日も当たらぬ路地に、ひっそりと鎮座している。通行人を装って、目礼して通過。
(45)あづま稲荷 (中央区銀座5)
あづま通りから入る三原小路に小さな稲荷があった。この辺りは火事が頻々と発生していたのが、この稲荷を祀った後は、火事が無くなったと言う。社はミニ版だが、この銀座ではあまり無理を言えないのだろう。地面に置かれているだけで良しとしなければ。
(46)豊岩稲荷 (中央区銀座7)★
入口に標柱が無ければ、こんな所に稲荷があるとは思わない。ビルとビルの間の人ひとり通れる位の隙間を入ると、ビルに嵌め込まれたような稲荷が出現する。黒岩稲荷と称し明智光秀家臣の子孫が主家の再興を願って建てたとも云う。今は西側が空き地のため光が差し込んでいるが、そのうちビルが建てば、再び昼なお暗き薄気味悪い場所に戻るに違いない。迷路のような道と異様な雰囲気は稲荷巡りの醍醐味ということにはなるが、夜になってからは行きたくない。閉じられた扉の向こうに何があるのか、稲荷社の上の階はどうなっているのか、少々気にはなったが、長居は無用で、そっと通り過ぎる。
(39)椙森神社(中央区日本橋堀留町1)★★
この神社は藤原秀郷が平将門の乱を鎮定するため戦勝祈願したところと伝えられ、後に太田道灌が雨乞祈願のため伏見稲荷を勧請したとされる。江戸時代には、烏森稲荷、柳森稲荷と並び江戸城下の三森と称され、江戸稲荷番付の小結をつとめた稲荷でもある。今では、日本橋七福神の恵比寿神の方で知られているかも知れない。実は、しるしの杉を授与しているかどうか気になってはいたのだが、面倒なので社務所には聞かず終い。次回、宝くじが当たったら、また参拝に来ることにして、今回は簡略な礼拝で済ます。
(40)末広神社(中央区日本橋人形町2)★
稲荷神の倉稲魂命を祭る小さな社だが、稲荷社らしい雰囲気はあまりない。この神社はこの辺りの産土神だったようだが、今は日本橋七福神の毘沙門天として正月には参詣客が訪れる。次回来た時に改めて参拝することにして、今回は頭を少し下げただけで通過。
(41)笠間稲荷(中央区日本橋人形町2)★
江戸中期に常陸国の笠間稲荷を分霊した稲荷社という。稲荷社としては程々の大きさの社である。大正時代の稲荷番付では、京都の伏見稲荷、三河の豊川稲荷と並んで常陸の笠間稲荷が行司役をつとめており、常陸の笠間稲荷の格が上がっているが、人形町の笠間稲荷の方はどうだったのだろうか。今は日本橋七福神の寿老人として参詣する人の方が多いかも知れない。ここまで来て、七福神の色紙を持って来なかった事に気がついた。七福神巡りと稲荷詣を兼ねるのがここを巡る趣旨なのだろうが、それは次の機会まで延期ということに。
(37)半田稲荷(葛飾区東金町4)★★
ほうそも軽い、はしかも軽い、祈るは葛西金町の、半田稲荷の幟ざお、・・・」
半田稲荷が歌舞伎の踊りに取り上げられたのは、半田稲荷の幟を持った願人坊主が、江戸の町々を踊りながら回ったことが元になっているという。この稲荷は、流行期と衰退期が入れ替わる典型的な流行神であったと言われているが、現在の稲荷が立派な社殿におさまっているところを見ると、流行神から脱却したのだろう。この先、はしかが流行したとしても、この稲荷が急に繁盛し始めて、再び流行神に戻るようなことはないだろうな、多分。
(38)大下稲荷(葛飾区東金町5)
水元公園のすぐ近くで、小さな稲荷社を見つけた。社の大きさでは半田稲荷とは比べようもないが、どこか懐かしいところがある。このような稲荷も悪くない。
(35)三囲神社 (墨田区向島2)★★
むかし、狐に乗った翁の像が掘出された事があり、その周りを狐が3回まわったのが、この神社の名前の由来になっている。狛犬と狐の間を通り社殿に一礼。石碑やら三角鳥居やらを見ながら境内をうろつく。近所から来たらしい老夫婦がベンチに腰をかけている。冗談に「白狐、呼び出せませんかねぇ」と言おうかと思ったが、無作法に過ぎるので、声に出さずに通り過ぎる。多分、白狐はもう居ないのだろう。来るのが遅すぎたのだ。
(36)飛木稲荷 (墨田区押上2)★
押上駅の北側、東武と京成の線路を越えた所に、神木のいちょうを前面にして、飛木稲荷が鎮座している。ただ、何となくだが、本日は稲荷神不在のような気がする。験の杉もなさそうなので、記念として神木のいちょうの落ち葉を一枚持ち帰る事にした。
(33)隅田稲荷 (墨田区隅田4)★
東武線を鐘ケ淵で下車。荒川と鐘ケ淵通りの間の道は迷路のようで、なかなか隅田稲荷に行きつかない。人に道を尋ねるのも面倒なので、前を歩いている7,8人の集団の後について行く。すると突然、墨田稲荷の横に出た。この稲荷、土地の開拓者にちなんで善左衛門稲荷とも言い、万燈神輿で知られているらしい。人影の無い境内で一休みし、また元気を出して出発。そう言えば先ほどの集団はどこへ行ったのだろう。
(34)三輪里稲荷 (墨田区八広3)★
八広中央通りから、看板に従って小路を入ると三輪里稲荷。別名こんにゃく稲荷で、のどの病に効くと言う御符を授与しているらしい。単なる御符が咳に効くわけはないが、偽薬のような効果はあるのだろう。ただし、信じなければその効果はないわけで、今回のところは御符をいただくのを止めにして、賽銭だけで済ますことにした。帰りは稲荷社の正面と思われる所から外に出て、来た時とは別の道を歩く。が、たちまち道に迷ってしまった。胡散臭そうにこちらを見ている視線を避けるように、足を早めて角を曲がり、また角を曲がって、漸うのことで八広中央通りに出る。稲荷巡りの面白さの一つは迷路の楽しみだが、こちらの風体のせいか、近頃は住民から不審者と思われる事が多い気がする。
(30)榎戸稲荷 (墨田区業平5)★
この稲荷の鳥居は道路に向って立っているが、何故か玉垣が邪魔をしている。ジャンピングシューズがあれば玉垣を跳び越せるのだが、仕方が無い。今日のところは東側の入口から入る事にした。お稲荷さんのついでに、お不動さんにもお参りしてから立ち去る。
(31)天祖神社の太郎稲荷 (江東区亀戸3)
亀戸七福神の福禄寿を祭る天祖神社にある稲荷。神社に稲荷が祭られているのは珍しくはない。この稲荷は入谷の太郎稲荷を移したものというが、この辺りに古墳があったと言う説もあり、稲荷に名を借りた古墳の主に詣でている可能性もある。ま、いいか。
(32)石井神社 (江東区亀戸4)★
以前から咳が止らないので、咳に効き目ありと言う亀戸の石井神社(おしゃもじ稲荷)に行ってみた。が、どこで察知したのか三毛猫をリーダーに猫の集団が待ち構えていた。中に立ち入るなと言うメッセージだろうと勝手に判断し、大人しく退散。
(27)榛の木稲荷 (墨田区両国4)★
両国駅の南側に、本所に居住する武士の弓馬の稽古を目的とした馬場があったという。この馬場にあった稲荷がこの榛の木稲荷である。勝海舟はこの辺を遊び場にしていたらしいので、勝海舟の馴染みの稲荷ということになる。稲荷を介して遠い日の勝海舟に挨拶してから、次の稲荷へ行く。
(28)駒止稲荷 (墨田区横網1)
国技館の北側にある旧安田庭園の中にある稲荷で、洪水の隅田川を馬で乗りきった阿部豊後守が、この場所に駒を止めた事から、この名が出たと言う、まことしやかなお話がある。稲荷に対決するような位置に駒止石という石が置かれているが、駒止石が先で稲荷は後から祭られたらしい。単なる境界石でも時代が経てば有難い石になるってわけだ。とはいえ、ここの稲荷は、隅田川の治水の要になっているやも知れない。決して粗末には出来ないと言うことで、隅田川の安全を稲荷に祈願。ついでに石の方にも頭を下げておく。
(29)徳之山稲荷 (墨田区石原1)★
この稲荷は、本所築地奉行をつとめた徳山五兵衛の屋敷稲荷であったという。五兵衛は日本左衛門こと浜島庄兵衛を捕らえ、屋敷内で処刑したといわれ、境内には日本左衛門首洗井戸跡の石碑も建っている。この稲荷は日本左衛門供養の役割を担っていたようだが、後に本所開拓の功績があった徳山五兵衛も合祀してしまったから、呉越同舟の稲荷ということになる。どうも妙な稲荷である。ひょっとして、徳つながりの元徳餅を供えると、何か良い事があるのかとも思ったが、わざわざ買いに戻る気もしないので一礼して辞す。
(22)猿江神社 (江東区猿江2)★
源義家の家臣、猿藤太がこの附近の入り江で亡くなり、祠を建てたのが、猿江と言う地名の起りだと言う。猿江稲荷はこのことに因んだものだが、現在はもっぱら神社と称し、稲荷社を道路の向こう側に追い出している。これでいいんだろうか。
(23)榎稲荷 (墨田区立川4)
この稲荷は菊川小学校の西側にある。この辺りは戦争の被害が大きかったところだと言う。稲荷の境内の樹木は、その事を記憶しているかも知れない。粛として通過。
(24)元徳稲荷 (墨田区立川3)
竪川に架かる三の橋の近くに元徳稲荷がある。元は名主徳右衛門の拝領地にあった稲荷で、その事から元徳稲荷になったのだと言う。実は、この稲荷に因んで、近くの菓子店で売っている元徳餅を買おうと思っていたのだが、この時はそれらしい店舗が見当たらなかった。店を探してでも求めるべき銘菓なのかも知れないが、まあ、いいか。
(25)五柱稲荷 (墨田区緑4)
江東橋の近くに稲荷があった。五柱稲荷とある。歩き疲れたので稲荷社の片隅で休むことにした。すると、どこから現れたか、サラリーマン風の男が話しかけてきた。
『時の鐘が鳴らないうちは、のんびり出来ますよね』
『え?....』
確か稲荷社の向いに、時の鐘屋敷があったらしいが、それは江戸時代の話じゃないか、と思っているうちに話題は変って仕舞ったらしい。仕方がないので、適当に相槌を打っていると、そのうち、じゃぁとか言って、さっさと行ってしまった。何の話をしていたのかまるで記憶にないが、一時の話し相手としての役割は果たせたんだろう。もっとも、お稲荷さんだって、参詣者の話をいつも聞き流しているに違いないのだが、それでも、ちゃんと祭られているのだから同じようなものだ。だいたい、稲荷にとって関心のあるのは稲荷の事であって、人間の事じゃない。狐は狐の事にしか興味は示さないし、猫は猫の事だけで精一杯だ。それでも、話かければ、話を聞いて呉れて居るように錯覚するんだな。だからさ、他人であれ、稲荷であれ、狐であれ、話し掛けるって訳だ。そうだよな。三毛猫にだってさぁ。え、三毛猫?!....。あれ、お前、何時からここに?!
(26)永倉稲荷 (墨田区緑4)
総武線の車窓から見える永倉稲荷に行く。この稲荷の下に町内会が居させて貰って居るのか、お稲荷さんを屋根に祭り上げてしまったのかは知らないが、お参りするにも他人様の屋根の上に勝手に上がってしまうようで、気がひける。それに、土の上にないお稲荷さんのパワーは大分減っている筈だから、ご利益もあまり期待できそうにもない。まぁ、この土地の人には大事なお稲荷さんかも知れないが、他所者は触らぬ方が良さそうだ、と言う訳で写真だけ撮って、さよなら。