(5)錦糸町駅北口地区の再開発
昭和55年、錦糸町駅北側の操車場跡など駅北側の再開発の機運が生まれ、組合が結成されるが、事業計画が認可されるのは、平成2年になってからである。平成5年になると、駅北側の道路に沿ったビルの取り壊しが進み、操車場の跡地は草ぼうぼうの荒れ地状態になり、北口には仮通路も設けられるようになる。
(6)着工時の状況
写真は、平成6年、錦糸公園側から見た東側の地区の着工時の状況である。
写真は、平成6年、大横川親水河川から見た西側の地区の着工時の状況である。
昭和55年、錦糸町駅北側の操車場跡など駅北側の再開発の機運が生まれ、組合が結成されるが、事業計画が認可されるのは、平成2年になってからである。平成5年になると、駅北側の道路に沿ったビルの取り壊しが進み、操車場の跡地は草ぼうぼうの荒れ地状態になり、北口には仮通路も設けられるようになる。
(6)着工時の状況
写真は、平成6年、錦糸公園側から見た東側の地区の着工時の状況である。
写真は、平成6年、大横川親水河川から見た西側の地区の着工時の状況である。