17.栄町から梶原へ
栄町の停留所は大正2年に三ノ輪線が開通した時のターミナルで、当初の停留所名は飛鳥山下であった。停留所の位置は現在より王子駅前寄りであった。当時の王子電気軌道の沿線は、三ノ輪の近辺を除いて田園地帯であったから、乗降客は少なかったと思われる。なお、開通時の三ノ輪線の停留所は、飛鳥山下、梶原、船方前、小台ノ渡、熊ノ前、下尾久、町屋、博善社前、三河島、千住間道、三ノ輪であった。
栄町停留所の北側一帯は工場が多く、歩いて楽しい場所とはいえないが、それでも適当に道を選んで歩いていき、明治通りに出る。ここを右に折れ、頭を覗かせている東京スカイツリーを眺めながら進むと、梶原の停留所に出る。この停留所の開業は三ノ輪線が開通した大正2年で、当時、南側は一面の田地であった。停留所名の梶原は地名(字)だが、太田道灌の子孫の梶原政景の屋敷があったという伝承から、この辺りを梶原堀之内村と呼ぶようになったという。現在の町名である堀船は、この村名から一字をとったものである。なお、梶原屋敷は、とうの昔に跡かたも無く消え失せ、梶原政景の塚も江戸時代に荒川(隅田川)に崩れ落ちてしまったという事である。
栄町の停留所は大正2年に三ノ輪線が開通した時のターミナルで、当初の停留所名は飛鳥山下であった。停留所の位置は現在より王子駅前寄りであった。当時の王子電気軌道の沿線は、三ノ輪の近辺を除いて田園地帯であったから、乗降客は少なかったと思われる。なお、開通時の三ノ輪線の停留所は、飛鳥山下、梶原、船方前、小台ノ渡、熊ノ前、下尾久、町屋、博善社前、三河島、千住間道、三ノ輪であった。
栄町停留所の北側一帯は工場が多く、歩いて楽しい場所とはいえないが、それでも適当に道を選んで歩いていき、明治通りに出る。ここを右に折れ、頭を覗かせている東京スカイツリーを眺めながら進むと、梶原の停留所に出る。この停留所の開業は三ノ輪線が開通した大正2年で、当時、南側は一面の田地であった。停留所名の梶原は地名(字)だが、太田道灌の子孫の梶原政景の屋敷があったという伝承から、この辺りを梶原堀之内村と呼ぶようになったという。現在の町名である堀船は、この村名から一字をとったものである。なお、梶原屋敷は、とうの昔に跡かたも無く消え失せ、梶原政景の塚も江戸時代に荒川(隅田川)に崩れ落ちてしまったという事である。