(14)錦糸町駅北口のモニュメント
錦糸町駅北口を出ると、黄金の勾玉を二つ組み合わせたような巨大な輪が宙に浮いているのが目につく。ローレン・マドソンの制作した「ECHO」というモニュメントで、平成9年9月に設置されたものである。勾玉は楽譜のヘ音記号を表し、左右の五本のワイヤは五線譜を表している。二本の支柱に貼られたタイルは、バッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、ストラヴィンスキーなどの作曲家の作品を表し、西側の柱は1750年まで、東側の柱は2000年までを受け持っているという。北口再開発の一環としてすみだトリフォニーホールが建てられた事もあり、音楽都市すみだを象徴するものとして、このモニュメントが設置されたのだそうである。ただ、柱のタイルのうち、どれがバッハで、どれがモーツアルトなのか、曲名は何なのかは、よく分からない。
(15)錦糸町周辺の水路
錦糸町周辺の堀割のうち、北側にあった南割下水は埋め立てられて、今はその痕跡すら無くなっている。東側の横十間川は現在も水流があり、竪川と交差する先では、両川岸に遊歩道が作られている。この遊歩道は、新設されたクローバー橋で小名木川を越え、横十間川親水公園ともつながるようになっている。南側の竪川は、大横川と交差する場所の西側に水路を残して暗渠となり、高速道路の下には竪川親水公園が作られている。錦糸町の夏の名物行事である、錦糸町河内音頭は、この竪川親水公園を会場として開催されている。大横川は、業平橋から撞木橋までは大横川親水河川という親水公園として整備されてきた。この公園は、北から順に、釣川原ゾーン、河童川原ゾーン、花紅葉ゾーン、パレットゾーン、ブルーテラスゾーンに分けられるが、京葉道路・江東橋付近のブルーテラスゾーンは最後まで残り、北口地区開発と同じ時期に整備が行われた。
(16)錦糸町と映画
昭和61年に建てられた楽天地ビルには、戦前からの江東劇場と本所映画に加えて、リッツ劇場、キンゲキ、錦糸町スカラ座、キネカ錦糸町の4館が入ったが、このうち、西友が運営するキネカ錦糸町は特色ある映画館で、東欧映画を専門として独占上映も行っていた。その一例が、トビリシ生まれのアルメニア人で、民族に根差した独特の語法で映画を制作した、パラジャーノフ監督の作品の上映である。その後、6館の映画館は、時代の趨勢もあって、シネコンに再構成され、現在は4スクリーンで上映を行っている。マイナーな映画作品は、もう上映の機会が無いのかも知れない。
(17)本所七不思議と河童
本所七不思議とは、①置いてけという声がして釣った魚がいなくなる「おいてけ堀」、②夜中に拍子木を叩くと後ろの方でも拍子木が鳴る「送り拍子木」、③天井から足が出て足を洗えという「屋敷」、④屋台のそば屋の明かりが消える「あかりなしそば」、⑤囃子の音が聞こえるが行っても何も無い「狸ばやし」、⑥葦の葉が片側しか生えない「片葉の葦」、⑦夜中の提灯に近づくと消える「送り提灯」の七つである。なお、「落ち葉なき椎」や「津軽の太鼓」、「消えずの行燈」を入れる場合もある。錦糸町は、このうち、「おいてけ堀」で知られている。おいてけ堀が堀割であったとすると、錦糸堀と称された南割下水が該当しそうだが、池であったとすると、竪川沿いにあった池のどれかが該当しそうである。明治43年の地図に、横十間川の東側にオイテケ堀と記された池があるが、明治13年の地図に、この池は記されていない。明治13年の地図を見ると、現在の錦糸堀公園の近くに池が記されているが、オイテケ堀に該当するかどうかは分からない。所詮、七不思議の場所など、あまり詮索する必要はないのかも知れない。なお、置いてけと声を出したのは河童だと考えて、平成7年、錦糸堀公園に河童の像が建てられている。
(注)今回の連載にあたっては、「錦糸町百景1~3」「墨田区史跡散歩」「宝永御江戸絵図」「東京都市地図」のほか、各種の資料やHPなどを参考にしました。
錦糸町駅北口を出ると、黄金の勾玉を二つ組み合わせたような巨大な輪が宙に浮いているのが目につく。ローレン・マドソンの制作した「ECHO」というモニュメントで、平成9年9月に設置されたものである。勾玉は楽譜のヘ音記号を表し、左右の五本のワイヤは五線譜を表している。二本の支柱に貼られたタイルは、バッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、ストラヴィンスキーなどの作曲家の作品を表し、西側の柱は1750年まで、東側の柱は2000年までを受け持っているという。北口再開発の一環としてすみだトリフォニーホールが建てられた事もあり、音楽都市すみだを象徴するものとして、このモニュメントが設置されたのだそうである。ただ、柱のタイルのうち、どれがバッハで、どれがモーツアルトなのか、曲名は何なのかは、よく分からない。
(15)錦糸町周辺の水路
錦糸町周辺の堀割のうち、北側にあった南割下水は埋め立てられて、今はその痕跡すら無くなっている。東側の横十間川は現在も水流があり、竪川と交差する先では、両川岸に遊歩道が作られている。この遊歩道は、新設されたクローバー橋で小名木川を越え、横十間川親水公園ともつながるようになっている。南側の竪川は、大横川と交差する場所の西側に水路を残して暗渠となり、高速道路の下には竪川親水公園が作られている。錦糸町の夏の名物行事である、錦糸町河内音頭は、この竪川親水公園を会場として開催されている。大横川は、業平橋から撞木橋までは大横川親水河川という親水公園として整備されてきた。この公園は、北から順に、釣川原ゾーン、河童川原ゾーン、花紅葉ゾーン、パレットゾーン、ブルーテラスゾーンに分けられるが、京葉道路・江東橋付近のブルーテラスゾーンは最後まで残り、北口地区開発と同じ時期に整備が行われた。
(16)錦糸町と映画
昭和61年に建てられた楽天地ビルには、戦前からの江東劇場と本所映画に加えて、リッツ劇場、キンゲキ、錦糸町スカラ座、キネカ錦糸町の4館が入ったが、このうち、西友が運営するキネカ錦糸町は特色ある映画館で、東欧映画を専門として独占上映も行っていた。その一例が、トビリシ生まれのアルメニア人で、民族に根差した独特の語法で映画を制作した、パラジャーノフ監督の作品の上映である。その後、6館の映画館は、時代の趨勢もあって、シネコンに再構成され、現在は4スクリーンで上映を行っている。マイナーな映画作品は、もう上映の機会が無いのかも知れない。
(17)本所七不思議と河童
本所七不思議とは、①置いてけという声がして釣った魚がいなくなる「おいてけ堀」、②夜中に拍子木を叩くと後ろの方でも拍子木が鳴る「送り拍子木」、③天井から足が出て足を洗えという「屋敷」、④屋台のそば屋の明かりが消える「あかりなしそば」、⑤囃子の音が聞こえるが行っても何も無い「狸ばやし」、⑥葦の葉が片側しか生えない「片葉の葦」、⑦夜中の提灯に近づくと消える「送り提灯」の七つである。なお、「落ち葉なき椎」や「津軽の太鼓」、「消えずの行燈」を入れる場合もある。錦糸町は、このうち、「おいてけ堀」で知られている。おいてけ堀が堀割であったとすると、錦糸堀と称された南割下水が該当しそうだが、池であったとすると、竪川沿いにあった池のどれかが該当しそうである。明治43年の地図に、横十間川の東側にオイテケ堀と記された池があるが、明治13年の地図に、この池は記されていない。明治13年の地図を見ると、現在の錦糸堀公園の近くに池が記されているが、オイテケ堀に該当するかどうかは分からない。所詮、七不思議の場所など、あまり詮索する必要はないのかも知れない。なお、置いてけと声を出したのは河童だと考えて、平成7年、錦糸堀公園に河童の像が建てられている。
(注)今回の連載にあたっては、「錦糸町百景1~3」「墨田区史跡散歩」「宝永御江戸絵図」「東京都市地図」のほか、各種の資料やHPなどを参考にしました。