夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私のタイトル名【風のように光のように】の由来・・♪

2007-08-16 19:15:00 | 定年後の思い
私は大学中退後、映画青年、文学青年の真似事を20代の前半をしていた。

小説、随筆などで、明治以来の作家で最も影響を受けたのは、
私の長年のつたない読書歴からして、
昭和55年の夏に亡くなわれた小説家・立原正秋・氏である。

小説、随筆、詩集など公表された作品は全(すべ)て読んでいるつもりであるが、
この中に1冊の詩集がある。

詩集『光と風』(角川書店)より、昭和53年5月に刊行された本である。

亡くなわれた後、追悼として、角川書店より愛蔵版として『立原正秋全集』(全24巻)はもとより、
数多くの知人、関係者から評論、随筆集が刊行された。

この中で、奥様の立原光代・著の『追想~夫・立原正秋~』、
そして長女の幹様より『風のように光のように~父・立原正秋~』が角川書店から刊行された。

特に立原 幹・著の『風のように光のように』に関しては、
余りに激しく、余りに美しい《父恋の記》と解説に明示されていたが、
私は幼児に父と死別された上、敬愛した作家の愛惜の動揺からして、脳裏に長年深く残った。

幹様の綴られた随筆は、素人の文章であるが、きらめく感性があり、
何より父恋きの想いが深く、好感して読んだりしたのは事実である。


私は定年退職後、ブログの世界を知り、タイトル名には色々と考えた・・。

【のちの想いに】にするか、
或いは敬愛する小説家の長女の方の随筆のタイトルを借用するか、
迷ったのである。

結果として、私の青年期の自己形成に教示され、敬愛する小説家のなので、
長女の視線からと似た念願の意味合いから、
いけないと知りながらも、借用したのである。

尚、私は日本風土の四季折々の移ろいを限りなく愛着があるので、
それぞれの地の風光に心を寄せたりしている。


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猛暑の時の想いで・・♪

2007-08-16 13:24:00 | 定年後の思い
東京の郊外の調布市では、7月の中旬から下旬は曇り日、雨が降ったりした日々が多く、
小・中学生が夏休みに入ったのに、どうして・・、と心配したりした。

暦(こよみ)が変わった8月になると、
暑い日々が続き、余りにも猛暑が続いて折、戸惑っている。

私は愛煙家のひとりであるが、定年退職後まもなくして、
室内禁煙の宣言をして、庭の樹木の下、玄関の軒下など喫ったりしている。

先程も炎天下を避けて、軒下で喫ったりしていると、
現役時代の頃が想いだされた・・。


本社勤務が多かったが、この時節、ワイシャツとネクタイで出社すると、
まずはトイレの洗面所で顔を洗ったりした。

その後、出向時代の時、物流会社の倉庫で、冷房がないフロアーがあり、
不馴れな最初は眩暈(めまい)を感じたりした。

この時は、外廻りでスーツにネクタイの人を考えたり、
或いは炎天下の下で業務をする人を思いながら、耐えたりしたのが本音である。


退職後の今、買物とか散策などで暑い街並みを歩いたりしている。
深めの帽子、サングラス、そして扇子で扇(あお)ぐ仰ぎながら、
暑さに苦手な私は歩いたりしている。

川沿いの遊歩道を散策したりしているど、大きな樹木の下の付近のベンチで休んだりする時ある。

木陰で涼んでいて、ときおり微風を身体に受けると、心地よくなり、
周辺に人影がいないことを確認し、小声で唄ったりしている。


♪夏が過ぎ 風あざみ
 誰のあこがれにさまよう

【 『少年時代』 作詞・井上陽水 】


しばらく唄い続けているが、
現役時代の苦楽が甦(よみがえ)って、その時を想いだされ、
瞼(まぶた)が熱くなり、過ぎ去った日々に愛惜を感じるのであった。

そして、再び炎天下の中を歩き、家路に向ったりしている。



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朝のひとときは・・♪

2007-08-16 09:06:00 | 定年後の思い
私は定年退職は年金生活をしているので、
朝のひとときは、現役時代の時間に追われながらと違い、ゆったりと過ぎていく・・。

今朝、私は歯を磨き、顔を洗っている時、

♪みずいろは 涙いろ
 そんな便箋に

【 『みずいろの手紙』 作詞・阿久 悠 】

このような鼻歌を唄いだした。

洗濯機のそばにいた家内は、
『カァーン!!・・』
と私に向って云った・・。

家内はNHKの『素人のど自慢』の番組の評価の鐘の音を真似て、
私が鼻歌を唄うたびに、どうした訳か解からないが鐘の音はひとつであり、
微笑みながら発声するのである。

私はかまわず、タオルで顔を拭(ふ)きながら、

♪泣きそうな心を たくしてね
 あれこれと

【 『みずいろの手紙』 作詞・阿久 悠 】

と唄ったりした。

庭に下り立ち、煙草を喫ったりしている時、
どうして今朝は『みずいろの手紙』になったのだろうか、
と思ったりした。

過日、私が敬愛している作詞家の阿久 悠・氏が亡くなわれて、
NHKの特集番組で氏の作詞された歌の数々が放映されていた。

この番組を視聴した私は、脳裏に残り、
鼻歌となって、唄ったのだろう・・。

私は現役時代、幼年期を想いだしたりする時は、
多くの方と同様に、その時に街に流れていた歌を甦(よみが)のである。

私はX JAPAN、GLAYなど1997年度までの頃までの歌は唄えても、
ここ数年の歌は、『三日月』の唄われた若手の歌手以外は興味がなくなっている。

私は人前で唄うのは、苦手であるが、
家の中で唄ったり、散歩、買物の折などは心の中で唄うことが、
幾つになっても多いので、多分死ぬまで変わらないと苦笑している。




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