私は大学中退後、映画青年、文学青年の真似事を20代の前半をしていた。
小説、随筆などで、明治以来の作家で最も影響を受けたのは、
私の長年のつたない読書歴からして、
昭和55年の夏に亡くなわれた小説家・立原正秋・氏である。
小説、随筆、詩集など公表された作品は全(すべ)て読んでいるつもりであるが、
この中に1冊の詩集がある。
詩集『光と風』(角川書店)より、昭和53年5月に刊行された本である。
亡くなわれた後、追悼として、角川書店より愛蔵版として『立原正秋全集』(全24巻)はもとより、
数多くの知人、関係者から評論、随筆集が刊行された。
この中で、奥様の立原光代・著の『追想~夫・立原正秋~』、
そして長女の幹様より『風のように光のように~父・立原正秋~』が角川書店から刊行された。
特に立原 幹・著の『風のように光のように』に関しては、
余りに激しく、余りに美しい《父恋の記》と解説に明示されていたが、
私は幼児に父と死別された上、敬愛した作家の愛惜の動揺からして、脳裏に長年深く残った。
幹様の綴られた随筆は、素人の文章であるが、きらめく感性があり、
何より父恋きの想いが深く、好感して読んだりしたのは事実である。
私は定年退職後、ブログの世界を知り、タイトル名には色々と考えた・・。
【のちの想いに】にするか、
或いは敬愛する小説家の長女の方の随筆のタイトルを借用するか、
迷ったのである。
結果として、私の青年期の自己形成に教示され、敬愛する小説家のなので、
長女の視線からと似た念願の意味合いから、
いけないと知りながらも、借用したのである。
尚、私は日本風土の四季折々の移ろいを限りなく愛着があるので、
それぞれの地の風光に心を寄せたりしている。
小説、随筆などで、明治以来の作家で最も影響を受けたのは、
私の長年のつたない読書歴からして、
昭和55年の夏に亡くなわれた小説家・立原正秋・氏である。
小説、随筆、詩集など公表された作品は全(すべ)て読んでいるつもりであるが、
この中に1冊の詩集がある。
詩集『光と風』(角川書店)より、昭和53年5月に刊行された本である。
亡くなわれた後、追悼として、角川書店より愛蔵版として『立原正秋全集』(全24巻)はもとより、
数多くの知人、関係者から評論、随筆集が刊行された。
この中で、奥様の立原光代・著の『追想~夫・立原正秋~』、
そして長女の幹様より『風のように光のように~父・立原正秋~』が角川書店から刊行された。
特に立原 幹・著の『風のように光のように』に関しては、
余りに激しく、余りに美しい《父恋の記》と解説に明示されていたが、
私は幼児に父と死別された上、敬愛した作家の愛惜の動揺からして、脳裏に長年深く残った。
幹様の綴られた随筆は、素人の文章であるが、きらめく感性があり、
何より父恋きの想いが深く、好感して読んだりしたのは事実である。
私は定年退職後、ブログの世界を知り、タイトル名には色々と考えた・・。
【のちの想いに】にするか、
或いは敬愛する小説家の長女の方の随筆のタイトルを借用するか、
迷ったのである。
結果として、私の青年期の自己形成に教示され、敬愛する小説家のなので、
長女の視線からと似た念願の意味合いから、
いけないと知りながらも、借用したのである。
尚、私は日本風土の四季折々の移ろいを限りなく愛着があるので、
それぞれの地の風光に心を寄せたりしている。