夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

もんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』の歌は、私なりのささやかな想いを秘めて・・。

2011-08-25 21:44:34 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
夕方の5時過ぎに、家内は台所で夕食の準備をはじめ、
いつもようにラジオを聴きながらしていた・・。

私は居間で本を読んだりしていたが、ラジオから何かしら懐かしい唄声が聴こえてきたので、
本の活字から、この歌に注視して、
もんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』だ、
と思いだして、しばらくこの歌を聴いたりした。

そして、この歌が街の中で流行(はや)った1980(昭和55)年が思いだされた・・。


この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社の本社に勤めて、
資本関係のあるレコード会社からシステム総合管理の指導を受けながら、
たった独りのコンピュータ専任者で奮戦していた時であった。

4月度より商品の物流を委託したり、販売の受託などもあり、
年始早々からは、関係会社との会議、システム改定などで奮闘していた。

確か3月初旬の頃、夜の9時過ぎに職場で、自席に座り、
コーヒーを飲んだり、煙草を喫いながら、システム改定の最終進度をチエックしたりしていた。
私の近くは販売推進系で、たびたびレコード、カセットの試聴盤をかけていたので、
私はポピュラー、邦楽の曲の数々を何かと覚えたりしていた。

この時は、他社の青江三奈のような唄声が流れ、
しばらく聴いたりしていると、
『青江三奈のような唄声で・・音はおもしろく・・勢いがありますね・・』
と私は販売推進の次長に云ったりした。

もとより青江三奈は『伊勢左木町ブルース』、『池袋の夜』などをヒットさせた女性歌手である。

私は楽譜も読めなく音楽の素養もないが、単なる感性から専門外の身でありながら、
その時に感じたことは言葉にしていたので、ときには失笑されることもあった。

『アオエ・・ミナかょ・・もんた&ブラザーズ のデビュー曲で・・『ダンシング・オールナイト』だょ・・』
と販売推進の次長は私に云いながら、微笑んだりしていた。


この曲は4月下旬に発売されて、5月下旬の頃からラジオからもよく流れたりした。

そして、6月初旬にシングルのベスト第一位を獲得して、
この後も8月の中旬まで独走し、通算160万枚を超え、私が推測した以上にヒットとなり、
社内の中でも、驚いたひとりであった。

この間、私の直接に関わった商品の物流を委託のシステム対応も予定通り軌道に乗り、
そして販売の受託のシステム対応も順調に乗り、
この会社からは谷村新司のシングル盤『昴』、そしてアルバムもヒットとなり、
その後はアリスのアルバムも発売もされて、
私の勤めていた会社の業績が大幅に伸長した。


私は7月になると、何とか土曜休日の出勤からも開放されて、
家内がデパートに買物に行っている時、
浴衣(ゆかた)に下駄(げた)の容姿で近所の蕎麦屋に行った。
そして、日本酒の冷酒を二合ばかり呑み、笊(ざる)蕎麦を昼食代わりとしたりした。

この後、帰路に向う途中の大通りで、信号待ちしていた自動車から、
大きな音で『ダンシング・オールナイト』が流れてきて、私は思わず微笑んだりした。


このように私なりに、このもんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』は懐かしく、
1980(昭和55)年に於いては、谷村新司の『昴』共に、
私の心の片隅には『ダンシング・オールナイト』は忘れなれない曲となっている。


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電気使用量、我が家は努力も工夫もせず、前年同月比24%減となり、私は思わず微苦笑し・・。

2011-08-25 00:08:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨夕、いつものように門扉の近くに設置してある郵便受け入れ箱を覗(のぞ)いたら、
たった一枚の東京電力からの『電気ご使用量のお知らせ』が入っていた。

私は居間に戻り、この『電気ご使用量のお知らせ』を見た。
私は従来はこうした書類は殆ど見ないことが多かったが、
ここ半年ばかり節電の風潮の中、
家内は我が家は余り節電に協力していないので、何となく後ろめいたく嫌(いや)だわ、と言ったりしてきた。

このしたことを私は思いだし、私はゆっくりと今回の『電気ご使用量のお知らせ』を見たのであった。

《 23年8月分 ご使用期間 7月26日~8月23日
             検針月日  8月24日 (29日間) 》

そして中央には、さりげなく下記のように明記されいた。

《 昨年、8月分は29日間で、597KWhです。
         今月分は昨年と比べて24%減少しています。》

このように明記されていたので、私は台所で夕食の準備をしている家内の所に行き、
『XXちゃんさぁ・・我が家の電気使用量・・昨年と比べて24%減少だって・・』
と私は家内に言ったりした。

『良かったじゃない・・』
と家内は明るい声で、応(こ)えた。

『我が家は・・これといって節電もしなくて・・24%減少だなんて・・
思いあたることは、二つしかないねぇ・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした・・。

この二つに関して、この後の私は家内に過ぎし日々の我が家の出来事を振り返るように、
云ったりしたのであった。


我が家のエアコンは、一階の居間の17畳ぐらいの広さに壁掛けのセパレート型の冷房専用機があり、
二階の和室兼寝室の6畳には、通常の壁掛けの暖冷房のセパレート型が、8月初めまでの状態であった。

8月4日の昼過ぎ、雨上がりの蒸し暑い中、私は買物を終えて帰宅したが、
洗面所で顔を洗い、着替えた後、
居間のクーラーを点(つ)けて、冷風に心身ゆだねていた・・。

まもなく肝要な冷房専用機のセパレート型の下部から、水滴が落ちはじめて、床を濡らしはじめた・・。
家内が最初に気づき、私はバケツを持ってきて、水滴の落ちるあたりに置いたりした。
水滴がポトリ、ポトリと落ち、どうしてなのょ、と私は心の中で叫び、見つめたりしていた。

この冷房専用機は、私が定年退職の4年前の2000〈平成12〉年の初夏に購入し、
遅ればせながら、初めて居間に設置したものである。

私は定年後は買物と散策以外は、殆ど家の中で過ごすことが多い。
読書をすることが圧倒的に多く、ときには映画をテレビを通して鑑賞したり、
或いは音楽を聴いたりすることがあるので、
肝要の冷房専用機が、この熱い時期に10数年に及び奮戦してくれたが、
敗退宣言のように下部から、水滴が落ちてきても、困惑するばかりであった。

私たちは、涙雨のような水滴を眺めて、寿命かしら、と云ったりし、
やむなく私たち夫婦は、翌日の5日にある家電の量販店に開店時をめざして行き、
通常の壁掛けの暖冷房のセパレート型を買い求めた。

そして7日に設置日となり、専門技術者のお二人に来宅して頂き、無事に設置した。
この新たな最新型のエアコンは、リモコンで28度セットすると、
政府のご用命なのかしら『節電モード』と表示され、
その上に『エコナビ』のスイッチも付いてあった。

私たち夫婦は、これ以降は、この『節電モード』の28度設定した上、
『エコナビ』を愛用して、冷風と冷気を享受してきた・・。


私の住む地域は、昨年と同様に連日の猛暑で、34度前後の残暑厳しい日が続き、
特に18日の木曜日には36度の今年一番熱い日となったりした。
そして19日は、朝の9時半過ぎから、風も伴い大雨となり、ときおり雷鳴を響かせ、
朝の30度から昼下りには涼しげな23度となり、
乾ききった地面、樹木、そして草花も潤(うるお)し、清々しい情景に変貌し、
猛暑から初秋に移り変わり、改めて天上の気候の神々の確かな力に、私は敬意したりした・・。

この後も、4日ばかりの初秋のような涼しげの中で過ごすことができたので、
孤軍奮闘してくれるエアコンに感謝して、夏季休暇のように、お休みをさせた。


このような我が家の経過であったので、
今回の大幅な電気の使用量の削減は、最新型のエアコンの冷風・冷気の飛躍的な向上と節電能力、
そして天上の気候の神々の4日間の初秋のような恵(め)ぐみ、
この二つの寄るものであった、と私は微苦笑しながら、家内に伝えたりした。


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