私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
夕方の5時過ぎに、家内は台所で夕食の準備をはじめ、
いつもようにラジオを聴きながらしていた・・。
私は居間で本を読んだりしていたが、ラジオから何かしら懐かしい唄声が聴こえてきたので、
本の活字から、この歌に注視して、
もんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』だ、
と思いだして、しばらくこの歌を聴いたりした。
そして、この歌が街の中で流行(はや)った1980(昭和55)年が思いだされた・・。
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社の本社に勤めて、
資本関係のあるレコード会社からシステム総合管理の指導を受けながら、
たった独りのコンピュータ専任者で奮戦していた時であった。
4月度より商品の物流を委託したり、販売の受託などもあり、
年始早々からは、関係会社との会議、システム改定などで奮闘していた。
確か3月初旬の頃、夜の9時過ぎに職場で、自席に座り、
コーヒーを飲んだり、煙草を喫いながら、システム改定の最終進度をチエックしたりしていた。
私の近くは販売推進系で、たびたびレコード、カセットの試聴盤をかけていたので、
私はポピュラー、邦楽の曲の数々を何かと覚えたりしていた。
この時は、他社の青江三奈のような唄声が流れ、
しばらく聴いたりしていると、
『青江三奈のような唄声で・・音はおもしろく・・勢いがありますね・・』
と私は販売推進の次長に云ったりした。
もとより青江三奈は『伊勢左木町ブルース』、『池袋の夜』などをヒットさせた女性歌手である。
私は楽譜も読めなく音楽の素養もないが、単なる感性から専門外の身でありながら、
その時に感じたことは言葉にしていたので、ときには失笑されることもあった。
『アオエ・・ミナかょ・・もんた&ブラザーズ のデビュー曲で・・『ダンシング・オールナイト』だょ・・』
と販売推進の次長は私に云いながら、微笑んだりしていた。
この曲は4月下旬に発売されて、5月下旬の頃からラジオからもよく流れたりした。
そして、6月初旬にシングルのベスト第一位を獲得して、
この後も8月の中旬まで独走し、通算160万枚を超え、私が推測した以上にヒットとなり、
社内の中でも、驚いたひとりであった。
この間、私の直接に関わった商品の物流を委託のシステム対応も予定通り軌道に乗り、
そして販売の受託のシステム対応も順調に乗り、
この会社からは谷村新司のシングル盤『昴』、そしてアルバムもヒットとなり、
その後はアリスのアルバムも発売もされて、
私の勤めていた会社の業績が大幅に伸長した。
私は7月になると、何とか土曜休日の出勤からも開放されて、
家内がデパートに買物に行っている時、
浴衣(ゆかた)に下駄(げた)の容姿で近所の蕎麦屋に行った。
そして、日本酒の冷酒を二合ばかり呑み、笊(ざる)蕎麦を昼食代わりとしたりした。
この後、帰路に向う途中の大通りで、信号待ちしていた自動車から、
大きな音で『ダンシング・オールナイト』が流れてきて、私は思わず微笑んだりした。
このように私なりに、このもんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』は懐かしく、
1980(昭和55)年に於いては、谷村新司の『昴』共に、
私の心の片隅には『ダンシング・オールナイト』は忘れなれない曲となっている。
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夕方の5時過ぎに、家内は台所で夕食の準備をはじめ、
いつもようにラジオを聴きながらしていた・・。
私は居間で本を読んだりしていたが、ラジオから何かしら懐かしい唄声が聴こえてきたので、
本の活字から、この歌に注視して、
もんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』だ、
と思いだして、しばらくこの歌を聴いたりした。
そして、この歌が街の中で流行(はや)った1980(昭和55)年が思いだされた・・。
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社の本社に勤めて、
資本関係のあるレコード会社からシステム総合管理の指導を受けながら、
たった独りのコンピュータ専任者で奮戦していた時であった。
4月度より商品の物流を委託したり、販売の受託などもあり、
年始早々からは、関係会社との会議、システム改定などで奮闘していた。
確か3月初旬の頃、夜の9時過ぎに職場で、自席に座り、
コーヒーを飲んだり、煙草を喫いながら、システム改定の最終進度をチエックしたりしていた。
私の近くは販売推進系で、たびたびレコード、カセットの試聴盤をかけていたので、
私はポピュラー、邦楽の曲の数々を何かと覚えたりしていた。
この時は、他社の青江三奈のような唄声が流れ、
しばらく聴いたりしていると、
『青江三奈のような唄声で・・音はおもしろく・・勢いがありますね・・』
と私は販売推進の次長に云ったりした。
もとより青江三奈は『伊勢左木町ブルース』、『池袋の夜』などをヒットさせた女性歌手である。
私は楽譜も読めなく音楽の素養もないが、単なる感性から専門外の身でありながら、
その時に感じたことは言葉にしていたので、ときには失笑されることもあった。
『アオエ・・ミナかょ・・もんた&ブラザーズ のデビュー曲で・・『ダンシング・オールナイト』だょ・・』
と販売推進の次長は私に云いながら、微笑んだりしていた。
この曲は4月下旬に発売されて、5月下旬の頃からラジオからもよく流れたりした。
そして、6月初旬にシングルのベスト第一位を獲得して、
この後も8月の中旬まで独走し、通算160万枚を超え、私が推測した以上にヒットとなり、
社内の中でも、驚いたひとりであった。
この間、私の直接に関わった商品の物流を委託のシステム対応も予定通り軌道に乗り、
そして販売の受託のシステム対応も順調に乗り、
この会社からは谷村新司のシングル盤『昴』、そしてアルバムもヒットとなり、
その後はアリスのアルバムも発売もされて、
私の勤めていた会社の業績が大幅に伸長した。
私は7月になると、何とか土曜休日の出勤からも開放されて、
家内がデパートに買物に行っている時、
浴衣(ゆかた)に下駄(げた)の容姿で近所の蕎麦屋に行った。
そして、日本酒の冷酒を二合ばかり呑み、笊(ざる)蕎麦を昼食代わりとしたりした。
この後、帰路に向う途中の大通りで、信号待ちしていた自動車から、
大きな音で『ダンシング・オールナイト』が流れてきて、私は思わず微笑んだりした。
このように私なりに、このもんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』は懐かしく、
1980(昭和55)年に於いては、谷村新司の『昴』共に、
私の心の片隅には『ダンシング・オールナイト』は忘れなれない曲となっている。
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