夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

風光る陽春の中を散策すれば、つたない感性の私でも、確かな美を享受して・・。

2014-04-15 14:35:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に結婚前後の5年を除き、
63年近くこの地に住んでいる。

10時半過ぎに平素の買物の専任者の私は、スーパーで家内からの依頼品を買い求め、帰宅した後、
本日はどのコースを散策しょうかしら、と少し思案した後、野川の遊歩道とした。

私の住む所は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の辺鄙な処で、
住宅街で家並みが密集しているが、
自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、私は何かしら解放感を感じて、
上流に向かったり、ときには下流に向かったりし、
こよなく歩いているコースのひとつであり、本日は上流沿いとした。

そして門扉の近い小庭の片隅の紫木蓮(シモクレン)、モミジに微笑んだりした、
私は出かけた・・。
          

私はいつものようにストレッチパンズの長ズボン、スリーシーズンのスポーツシャツ、ウォーキング・シューズの容姿であったが、
野川の遊歩道を上流に向って歩けば、眩(まばゆ)い陽射しの中、ときおり風が吹き、
心地よさを感じながら、風光る季節だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

川沿いを眺めれば菜の花が黄色い帯のように長く続く中、
並ぶように白と薄紫の大根の花のような白と薄紫色の花色が帯状になっている。
          

この時節、この野川の川沿いには数キロに及び帯状になっているのを私は毎年享受している。
そして私は歩きながら菜の花のかぐわしい香りと共に心を寄せたりしてきた。
          

やがて対岸の橋を渡り切ると、あれぇ早くもハナミズキの花が咲いている、と私は近づいたりした。
          

私はハナミズキの花に、長らく見惚(みと)れたりした・・。
          

私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004〈平成16〉年の秋に定年退職し、
その直後から年金生活をして早くも10年目を迎えている。

私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
この花水木(ハナミズキ)の樹の純白の花に、心の濾過を託すように圧倒的に魅せられてきた。

そしてこの時節を迎えると、花が咲き、そして花も終わりを告げて、
あまたの枝葉を大きく広げ、秋には朱紅色に葉を染めて、陽射しを受け、やがて冬木立となり、     
来年の芽吹きの時期まで、お別れねぇ、と愛惜を重ねたりしてきた。

私は遅ればせながら、2004年〈平成16年〉の秋に退職してまもない時、
偶然にラジオから、一青窈(ひとと・よう)ちゃんの『ハナミズキ』の歌が流れて瞬時に魅了された・・。
            
私たち夫婦は雑木の多い小庭の中で古びた一軒家に住み、
子供に恵まれなくたったふたりだけの家庭である。

ささやかな年金生活の中、お互いの趣味を互いに尊重して過ごしている・・。

私は定年後の年金生活を始めて、平素の買物の専任者となった私は、
殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

このような私たち夫婦でも、命果てるまでの残された歳月は、もとより天上の神々の采配によるが、
この先いつまでも慎(つつ)ましながらも、年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、
どちらがいずれ片割れになる・・。

こうした心情を秘めた私は、一青窈(ひとと・よう)ちゃんの『ハナミズキ』の歌の中で、
♪百年続きますように・・、と唄われていたので、少しでも私たち夫婦が長生きできれば・・、
と託したりして、この花水木(ハナミズキ)の樹の純白の花を見つめたりしてきた。
             


やがて再び歩きだすと、小花を見つけて、壁の花のような中、ひっそりと咲いているのに、
瞬時に魅了されて、長らく見惚れたりした。
          

この後、住宅街の歩道を歩れば、欅(ケヤキ)は芽吹きから幼い葉を終えた今、
枝葉は大空に伸ばすように聳(そび)えている光景に、
私は幼年期は農家の児として育てられたので、何かと愛惜感を重ねた見上げたりした。
          

やがて自宅に戻る帰路、まばゆい陽春の陽射しの中、モミジの枝葉も日増し毎に成長している情景に、
私は眺めながら歩いたりした。
          

そして私は一時間ばかりの散策の中、つたない私の感性でも、
確かな美の数々にめぐり逢えた、と私は幸福感をかみしめるように帰宅に向った。

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