過ぎし2015年7月初旬に黒柳徹子さんの著作『トットひとり』を購読するまで、
私は黒柳徹子さんに関しては、殆ど無知なひとりであった。
確か私が小学3年生になった頃、ラジオから『ヤン坊ニン坊トン坊』が放送され、
父が病死した後、祖父も胃がんで入院していた時であったので、
いじけた可愛げない少年であった・・。
こうした中で、♪ヤン坊ニン坊トン坊・・とテーマ曲が流れると、
何かしら私は励まされるような感じたりしていた。
やがて後年になると、ヤン坊は里見京子さん、ニン坊は横山道代さん、トン坊は黒柳徹子さん、
と知ったりしたが、この当時の私は子供心に里見京子さんの声に、
素敵なお姉さん声、と魅せられたりしていた。
やがて1980年代は音楽番組『ザ・ベストテン』を私はときおり視聴して、
黒柳徹子さんと久米宏さんが司会されて、絶妙なコンビに好感していた。
この後は、ときおり家内が視聴している『徹子の部屋』、
或いは『世界・ふしぎ発見』を私はいずれも3回ぐらい見たことがあった。
このように殆ど黒柳徹子さんに無知な私が、黒柳徹子さん著作の『トットひとり』を知ったのは、
たまたまネットで、新潮社の公式サイト【矢来町ぐるり】を見ている中で、
『徹子だから語れる「見事に生きた人の話』/「トットひとり」』
と見出しされた記事を読み、やがて興味を増したりした。
そして私はこの本書の紹介文を読んだ後、購読しょうと誘惑されたのは、下記の一節である。
テレビの黎明期の生放送の時代、
《・・実力者『森繁久弥』も刑事役で出たドラマで、棺桶に入った死体役の『左卜全』さんが、
勘違いして先に帰ってしまい、
本番中に(『森繁久弥』が)お棺を開けたら死体がないという事態に絶句した・・》
このようにテレビの黎明期に、テレビ女優一号生と称されている黒柳徹子さんは、
新劇、浅草の芸人、歌い手、或いはテレビ男優、女優など多事多彩の芸達者な人たちを
長年に交遊されてきた、証言者だ、と思えて、生きた時代の流れを学びたく、買い求めた。
黒柳徹子さんが長年の芸歴の中で、数多く方にめぐり逢え、交遊を重ねて、
同じ時代を切磋琢磨しながら、同じ時代の空気の匂いを共にしながら、
やがて図(は)らずも数多く方に死去され、黒柳徹子さんは取り残こされひとりになってしまい、
数多く人への感謝と愛惜の「鎮魂曲」である、と感じ深めたりした。
そして各章は映画短編のように珠玉の作品となっている。
或いは黒柳徹子さん自身の幼年期から現在に至る多彩な時代の心情を発露され、
私は黒柳徹子さんは殆ど無知だったが、
黒柳徹子さんの特有な感性の深淵を学び、初めて魅了されたりした・・。
そして私は遅ればせながら、初めて黒柳徹子さんのご著書を読み終わった後、
漠然としながら空を見上げると、太陽、そして月についで明るく見える金星があるが、
夕方に見える「宵の明星」ような人かしら、と感じたりした。
先日、7月3日、私は愛読しているネットの【文春オンライン】を見たりしている中、
『黒柳徹子の語る、昭和のテレビのとっておき秘話』が掲載されて、私は読んだりした。
そして改めて昭和のテレビの秘話を学んだりした後、
黒柳徹子さん御自身の健康維持管理を発露されたりした・・。
この記事の原文は総合月刊誌の『文藝春秋』2016年1月号に掲載されて、
関連の【文春オンライン】に7月2日に配信され、無断であるが一部を転載させて頂く。
《・・・
☆元気の源は“毎日ヒンズー・スクワット50回”
よくみなさんから「どうしてそんなに元気なんですか」って言われますけど、
何か特別な栄養剤を飲んでいるわけではなくて、
数年前から生活のリズムを変えたことがよかったように思います。
以前は、夜遅くまで原稿書きや調べものをして、ベッドに入るのは朝5時頃だったんです。
最近、午後10時から深夜2時頃までは、睡眠中に成長ホルモンが出ると知って、
その時間は必ず眠ることにしました。
帰宅後は、すごい勢いでお化粧を落としてお風呂に入ったら、そのまますぐベッドに入ります。
湯船に浸かるのは1分ぐらいなので、寝るまでに30分もかかりません。
すると3時頃に自然と目が覚めて、それから原稿や調べものを始めたら不思議なくらい能率がいいんです。
原稿などが終わったら、お酒の入ってない温かい甘酒を飲んで、ベッドに横たわり、
録画しておいたニュースを観ます。
そして、5時頃からまた4時間ほど眠るのです。
ニュースのあとドラマを観ることもあって、「JIN―仁―」「半沢直樹」が面白かったですね。
同じ枠の「下町ロケット」もいま観ていますよ。
たまに自分が出演したバラエティー番組を観ることもあります。
番組中はその瞬間瞬間、口から出る考えを話しているから、よく憶えてないことが多くて、
「あら、こんなこと言ったんだ」と面白く思うこともあります。
運動も大切だと思っていて、二度寝の前にヒンズー・スクワットを50回。
「徹子の部屋」でジャイアント馬場さんに
「百歳まで舞台に立ちたければ、ヒンズー・スクワットをやりなさい」と言われて、
お手本まで見せていただいたから馬場さんの遺言だと思って毎日つづけています。
それから昼間は30分ほどウォーキングしますし、
時間をつくっては、できるだけ街を歩くようにしています。
「そんなことして、街ゆく人たちに黒柳さんだと騒がれませんか?」
とよく言われますけど、誰も私だとは気づかない。
まさか、玉ねぎヘアでドレス着て歩いているわけではありませんし(笑)。
ただ私の場合、声と話し方に特徴があるから、何か言うときには変化を付けて、
(低いトーンの声で)「これください」って。
これで、まず相手は気づきません。そこは女優の演技力を発揮しています。
☆百歳まで舞台に立つのが目標
私の芸能生活は、テレビと同じ62年になりました。
(略)
少なくともあと10年は頑張って「徹子の部屋」の50周年を迎えるのが第一の目標、
それから百歳まで舞台に立つのが次の目標です。
そのためには、希望をもって毎日ヒンズー・スクワットは欠かさず続けて、
みなさんに見届けていただこうと思っています。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は年金生活の72歳の身であるが、定年した60歳より多々の理由で年金生活を始め、
自主的に平素の買物担当となった私は、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
帰宅後、やがて独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりしている。
こうした中で、昨年の熱い時節になると、私の容姿として制服のようになった半袖のスポーツシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしてきた。
しかしながら燦々と陽射しが照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落ちる・・。
やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。
そしてコンビニなどで、ベットボトルの煎茶を買い求めて、
小公園にある大きな樹の下で、水分補給をしながら休憩をしたりしている。
もとより健康でなければ、私でも日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
しかしながら35度前後の猛暑の時は、最寄駅から利便性ある路線バスに乗車して、
バス車内のエアコン冷風に甘えて、甘享したりしてきた。
或いは猛暑の時の散策は、自宅の近くにある遊歩道を少しばかり歩く程度となっていた。
こうした根底には、熱中症で倒れて、目覚めたら病院のベッドだったことは困苦するので、回避してきた・・。
このような軟弱な私は、今回の黒柳徹子さんの健康維持管理の中、
百歳まで舞台に立つのが目標に、希望をもって毎日ヒンズー・スクワットは欠かさず続けている、
と学びながら、72歳の男性の私は、恐れ入りました、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
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