先程、ときおり愛読しているネットの【NEWSポストセブン】を見ている中、
『 定年後の友人 “広く薄く”より“近くに数人”の方が幸せ
~ 老後に必要なのはどんな友人か ~ 』と見出しを見たりした。
私は定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて14年目となっている身であるが、
老後の資金、健康は大切であるが、やはり話し相手が欠かせないので、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読した。
やがて読み終わった後、私と少し違うが、全般的には同じようなので、微笑み返しをしてしまった・・。
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年6月15日号の記事のひとつであり、
関連のネットの【NEWSポストセブン】に6月9日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・定年後の友人 “広く薄く”より“近くに数人”の方が幸せ
長い人生において、時として家族よりも、頼りになるのが「友人」である。
だからといって、老後の友人は、多ければ多いほどいいわけではない。
三菱総合研究所のシニア調査と、それに追加項目を加えたマーケティングアナリスト・三浦展氏が
主宰するカルチャースタディーズ研究所の調査によると、
ひとり暮らしの男性は、友人が多ければ多いほど幸福になる訳ではないという結果が出ている。
むしろ友人が3~5人という男性が「幸せな人」の54%を占める。
三浦氏はこう解説する。
「男性は、闘争心や競争心が強く、人が集まり過ぎると
『俺のほうが偉い』、『俺のほうが物知りだ』と争いになりやすい。
しかも“歳を取ると人間が丸くなる”という通説は、間違っていて、
年齢とともに、我慢が利かなくなる人もいる。
シニア男性は、友人が増えるほどトラブルになる可能性が増すため、3~5人くらいがちょうどいい」
たくさんの人の連絡先を知っているよりも、
気軽に連絡が取れる友人が、数人いた方が幸福度は上がるのかもしれない。
遠くにいる一人の親友より、
近くにいる友人との交流のほうが、幸福度が高くなる結果も出ている。
「飲み屋などでふらっと会え、お互いに近況を報告しあえるような友人がいるほうが
“遠方の親友”がいるよりも、幸福度が高くなるでしょうね。
また職場でできた友人は、競争相手だったこともあり、腹を割って話す関係性になりにくい。
要するに、友人は“広く薄く”よりも、“近くに数人”のほうが幸せになりやすいんです」(三浦氏)
定年退職後、現役時代の同僚との関係が疎遠になったA氏(68歳)を救ったのも「近くの友人」だった。
「定年後、外で人と会うことは、めったになくなりましたが、
ある時、散歩中に朝からやっている居酒屋を見つけてふと入ってみたんです。
そうしたら自分と同じような境遇の人たちが4~5人集まっていて、
何となく居心地がよかった。
何度か通う内に、常連さんたちと互いの身の上をポツリポツリと話すようになり、
いまでは生活にハリを与えられる場として重宝しています」(A氏)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住む73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。
そして私の生家も近くにあるので、私自身としては結婚前後の5年を除き、
この地域に住んで、早や68年が過ぎている。
こうした中で、私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
私はたまたま音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、
2004年(平成16年)の秋に定年退職となったが、最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となった。
私の50代の前半の頃は、私なりに奮闘し、何かと部内はもとより、同世代、悪友たちと、
懇親会を重ねてきた。
そして50代の半ばに、リストラ旋風となり、
早期退職優遇制度の名目で先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、組織の統廃合により人事異動、
そして私のように出向となったりし、烈風の社内状況となった。
定年退職するまで、年に数回は互いに連絡して、東京に残った人たちと懇親会を重ねてきた。
この後、私の定年後になる頃は、病気で通院しているの・・、親の介護で・・、親が亡くなったので・・、
孫の世話で・・などとメンバーが欠落してしまった。
ここ10年は、OB懇親会と処して、年に一度の集会に私は出席している。
こうした時、上司だった御方たち、或いは同世代の数多くの人と盛んに談笑したりしている中、
数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は社交辞令のお世辞を頂くこともある。
或いは女性グループの中で談笑している中、たまたま音楽の話題となり、
他社の『いきものがかり』を定年後に偶然に聴き、
何かと吉岡聖恵(よしおか・きよえ)ちゃんの歌声に、励まされていますょ、
特に『YELL(エール)』は、高齢者の私でも心身のビタミン剤ですょ、と私は言ったりした。
会社時代の御方とは、このような程度で過ごしている。
私が定年退職してまもない時、地元の中学校時代の友人が、私の定年退職の挨拶状を読み、
とりあえず近くに住んでいる同級生を招集して、クラス有志会を開催してくれた・・。
やがて指定されたお洒落な居酒屋に行ったのであるが、
男性5名、女性5名のメンバーとなった。
まもなく私は、 『俺・・小学校、中学校も通信簿「2」と「3」の多い・・いじけた劣等生だった・・』
と私は皆に言ったりした。
『XXくん・・学校の成績なんか・・この人生・・平等に出来ているんだから・・関係ないわよ・・』
と同級生の女性は、微笑みながら私に言ったりした。
『それだったら・・俺の人生・・これから上向きだよね・・』
と私は軽口を云い、皆を笑わせたりした。
やがて二次会は、カラオケができる洋風の軽食事処で、
先程の女性同級生から、XXくん・・百恵ちゃんの『いい日旅たち』・・一緒に唄おうょ、
と私は誘い出されて、やがて互いに手を軽くにぎり、私は少し照れながら共に唄ったりした。
この後、私は自宅の付近に流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いたり、
或いは小公園、小学時代に通学した旧市道を歩いたり、
ときには最寄駅の商店街に立ち寄り、知人と談笑したり、中学時代の同級生に逢う時もある。
こうした時、偶然だよねぇ・・、とお互いに再会を喜びながら、
過ぎし中学時代のそれぞれの同級生のことを話したりすると、長話になったりする時もある。
こうして年金生活を13年半過ぎている中で、私は心友と明言できる人は、たったひとりかなぁ・・
と思い馳せたりした・・。
私は高校時代の友達と、定年後に毎年一度だけ逢っている。
過ぎし1962年(昭和37年)の当時、私は高校3年生で、私は彼の実家に50回ぐらいは泊まったり、
彼も私の実家に少なくとも20回は泊まったりし、こうした中、お互いの家族とも懇親していた。
こうした間柄でも、私が20歳を誕生日を迎えた時に、私は大学を中退して映画・文学青年の真似事に邁進する中、
疎遠になったりし、その後は彼の結婚式の披露宴に列席したぐらいとなった。
そして私は民間会社で35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職後になるまでは、
お互いに年賀状を交わす程度で、数年毎に電話をする程度となった。
やがて私が2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めて以来、毎年12月の時節に、
お互いの住まいの中間点の『吉祥寺』の居酒屋で、懇親を重ね丸13年が過ぎ、14年目となっている。
こうした会合は、お互いに好きな酒を呑み、食べたい料理を食べながら、
少なくとも4時間前後は談笑を重ねてきた。
話し合う内容は、昨今の過ごし方・・病気、親の介護、葬儀、お墓などの時もあれば、
相続でこじれている、或いは性の衰えまで、あらゆる人生の360度のことをお互いに打ち明けて、
苦笑したり、ときには微笑んだりしている。
今回の記事、私はいささか交友関係は差異があるが、
やはり定年後の年金生活をしている中で、話し合える人は欠かせない、と私は微笑んだりしている。