夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

【掌(たなごころ)未来小説】  この世に稀(まれ)な錠剤を、たった一錠を吞めば・・。

2011-08-23 16:05:12 | 掌(たなごころ)小説
この小品は、『この世に稀な錠剤を、たった一錠を服用すれば』と題して、
8月12日に【gooブログ】のサイトに投稿したが、他ブログサイトからの回覧数が圧倒的に多く、
この時にカテゴリー【掌(たなごころ)小説】未設定時期でもあり、
改めて少し加筆し、異例ながら再掲載をさせて頂く。

☆-----------------------------------------☆


1995年、ひとりの男がある大学の薬学部を何とか卒業でき、
劣等生であったが、ひとりの教授からは、余りにも独創性があると評価された推薦で、
ある大手の医薬メーカーに入社し、開発研究所に配属された。

入社後から遅刻はするし、開発プロジェクトの一員に加わっても、協調性も欠け、
周囲の開発研究員からも、次第に険悪されて、孤立化となっていた。

そして身なりも不衛生で、結婚もせず、風変わりな男と定評され、
やがて付近の若き研究員の女性も避けるようにされ、
この男は開発部の片隅に席に置かれていた。


そして20年過ぎた2015年、この医薬メーカーは業績が低迷し、
リストラが実施されて、営業本部をはじめ管理本部も削減され、
その後は開発研究所も対象となった。、
そして多くの研究員の誰から見ても、この男が解雇の最有力の対象と思われていた。

このような状況下の時、この男は入社以来初めて笑顔を浮かべて、
上司の席の前に立ちすくんだ・・。

『開発なかばですが・・この錠剤を・・一錠吞めば、
睡眠時間はわずか一時間に圧縮されます』
と男は上司に呟(つぶや)いた。

『普通の人は・・睡眠時間は7時間ぐらいだよねぇ・・
その錠剤で・・一時間ぐらいで、睡眠が満足されると言うのかい?』
と上司は男に言った。

『お疑いになると思われますので・・
私はこの一週間・・毎晩一錠吞みましたが・・
一時間ぐらい眠り、目覚めた後は、心身は至って満足しまして・・』
と男は上司に微笑みながら言った。


そして3年後の2018年の春、この医薬メーカーから、
ビタミン剤のような錠剤で、毎晩たった一錠を吞めば、睡眠時間はわずか一時間で、
誰でも充分に身も心も満足する人類初めての名薬として、販売された。

もとより一日は24時間である、と天上の神々から定められ、
古今東西、長き歴史から、人類の殆どの人たちが、7時間前後の睡眠時間を要してきた。
たとえローマ帝国時代のユリウス・カエサル、
ここ数百年に於いては、一時期ヨーロッパを制覇したナポレオン皇帝、
或いは中国人民共和国の毛沢東主席、
アメリカのケネディ大統領・・古今東西の偉人も、
この鉄則に采配されて、それぞれの時間をやりくりしてきたのである。

この一錠は10万円の高価であったが、
世界の富裕層の人たちから、この薬を吞めば残りの6時間前後は経済活動できると絶賛され、
やがて、この医薬メーカーは飛躍的に業績を伸長させ、
世界の大企業のITメーカーの各社を遥かにしのぐ世界有数な会社に躍進した。


まもなく、この稀(まれ)な薬はノーベル賞の栄誉に輝き、
この男は医薬メーカーの特別上級研究員として、社の首脳部から破格に待遇を提示されたが、
『恐れ多いのはもとより承知の上ですが・・この薬の売り上げの10パーセントを毎年頂きたいのですが・・』
と男はオーナーの名誉会長に言った。

『10パーセントって・・少なくとも5兆円になるが・・
このような巨額をどうするのよ・・』
と名誉会長は戸惑いながら男に言った。

『睡眠の短縮の薬は・・たまたま開発でき・・確かに多忙な方には貢献できましたが・・
世界では食べ物に困り・・餓死する人も多いのが実情です・・
せめて世界の子供たちに、毎年ユニセフを通して、寄付を致したく、お願い申し上げる次第でして・・』
と男は懇願するように名誉会長に言った。


やがてオーナーの名誉会長の英断により、毎年ユニセフに送金され、
男の願いは叶えられた。
その後から、この男は何かしら会社の中で浮いて、やがて退職金1000万円だけ受け取り、
退社した。

その後、かっての研究所のひとりが、
この男を伊豆の下田の外れのボロ小屋に独り住んでいるのを偶然に見かけた、
と言ったりしたが、定かでない。

                             《終り》

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処暑(しょしょ)の時節を迎え、東京郊外でも朝夕は涼風に、私は思わず微笑んで・・。  

2011-08-23 09:41:11 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
朝、ぼんやりとカレンターを見つめると、『処暑(しょしょ)』と明記され、
私は思わず苦笑させられた。

私の住む地域は、過ぎし19日の金曜日に、朝の9時半過ぎから、風も伴い大雨となり、ときおり雷鳴を響かせ、
朝の30度から昼下りには涼しげな23度となり、
乾ききった地面、樹木、そして草花も潤(うるお)し、清々しい情景に変貌し、
猛暑から初秋に移り変わり、改めて天上の気候の神々の確かな力に、私は敬意したりした・・。

この後、小雨が降ったり止んだり、ときには本降りとなって、
古人の人々からは、ひとしきり降ったり、
思い出したかのように激しく降る雨の状況を村雨(むらさめ)と称してきたので、
私はさしずめ夏の名残りの村雨かしら、
と戸惑いながら、ここ4日ばかりの初秋のような涼しげの中で過ごしてきた。

これ以前の18日の木曜日までは、連日の猛暑で、34度前後の残暑厳しい日が続き、
特に18日の木曜日には36度の今年一番熱い日となり、
節電の風潮の中の上、勘弁して欲しい、と燦々と照らす陽差しを
恨めしげに見たりしてきたひとりである。


昨夜、玄関の軒下に下り立つと、微風が吹く中で、心も身もゆだねると心地よく、
今朝も小雨降る中、清々しい空気につつまれて、
この時節は古人から処暑(しょしょ)と称され、改めて実感したりした。

旧暦に於いては、暑さが止むと云われているが、
新暦の今日では朝夕は涼しく感じられ、日中の残暑があるが、
過ぎ去った一時の連日の猛暑を思い浮かべれば、
それなりに、暑さに苦手な私は笑って受け止めることが出来る。


先ほど、地元の天気情報は、
朝の6時は21度、昼下りは30度前後、夕暮れの6時に28度前後となり、
朝の10時過ぎまで小雨が降り、その後は曇り空、そして昼下りからは快晴、
と報じていた。

この後の一週間も朝の6時は24度前後、昼下りは30度前後、夕暮れの6時は26前後、
晴れ時々曇りの日々、と報じていたので、
この時節としては限りなく穏(おだ)やかな時節を迎える。

先ほどから、ここ4日ばかり初秋の中、蝉(セミ)も元気のない鳴き声をしていたが、
少し夏めいた空気に回復したせいか、大きな鳴き声の合唱が、盛大に聴こえてくる・・。


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夏の名残りの村雨(むらさめ)かしら、と東京郊外に住む私は思いながらも・・。

2011-08-22 11:00:51 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
過ぎし19日の金曜日に、朝の9時半過ぎから、風も伴い大雨となり、ときおり雷鳴を響かせ、
数時間後は気温が急激に低下し、驚いたりしていた。

その前日までの1週間は連日の猛暑で、34度前後の残暑厳しい日が続き、
特に18日の木曜日には36度の今年一番熱い日となり、
節電の風潮の中の上、勘弁して欲しい、と燦々と照らす陽差しを
恨めしげに見たりしてきたひとりである。

19日のたった一雨(ひとあめ)の強い雨で、
私の住む地域でも、朝の30度から昼下りには涼しげな23度となり、
乾ききった地面、樹木、そして草花も潤(うるお)し、清々しい情景に変貌し、
猛暑から初秋に移り変わり、改めて天上の気候の神々の確かな力に、私は敬意したりした・・。


10日前の猛暑の頃は、我が家は雑木の多い小庭の片隅に、
鈴虫が鳴いて、蝉も負けじと盛んに鳴いて二部合唱で朝を迎えていた。

日中になると、蝉がワンマン・ショウのように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように元気いっぱいで鳴き響いていた・・。

鈴虫の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、
と私は思ったりしていた。

夕暮れの6時過ぎになると、蝉は鳴き声が途絶えたので、
私は暑さの日中に蝉は盛んに鳴いていたので、
鳴き疲れてお休みの睡眠時間となったと思ったりしていた。

鈴虫は夜行型、蝉は日中型と理解は出来るが、
我が家のコウロギは、耳をすませないと聴きもらすのである・・。

夜のひととき、鈴虫の盛大な合唱の中、コウロギだけは、
定年退職後に何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
少し遠慮しながら鳴いているのである。

可哀想なコウロギであるが、やがて初秋になれば、
蝉が消え果てるので、ライバルは鈴虫となる。

鈴虫も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と私は秘かに願望したりしていた。


この後、過日の19日の恵(めぐ)みの大雨となった後、
小雨が降ったり止んだり、ときには本降りとなって、今朝も小雨が舞い降りている。

古人の人々からは、ひとしきり降ったり、
思い出したかのように激しく降る雨の状況を村雨(むらさめ)と称してきたので、
私はさしずめ夏の名残りの村雨かしら、
と戸惑いながら微苦笑している。

ここ三日ばかりの初秋のような涼しげの中で、
蝉(セミ)はかぼそい鳴き声に変わり、鈴虫だけは元気よく鳴いている。
私に似た愛(いと)しきコオロギは、昨夜は雨宿りしているのか、私は耳をすませたりしたが、
無念ながら、聴こえなく、私は苦笑したりしていた・・。


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『なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ』のコピー文、私は瞬時に絶賛し・・。

2011-08-21 17:36:27 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先程、本棚を見ていたら、単行本が並列に並べた上に、
気になった雑誌を6冊を載せていたので、この中の一冊をどうして保存していたのかしら、
と思いながら手に取ったりした。

中間小説の月刊誌の『小説新潮』で、2008年11月号であったが、
特集として『鉄道百景』であり、今は亡き紀行作家の宮脇俊三さんの単行本未収録短編2編が
掲載されていたので、
私は保存していた、と私は解った。

そして何故かしら、栞(しおり)が本書の中に入っていたので、
このページを開いたのである。

この当時鉄道紀行作家として溌剌としていた酒井順子さんが『こだま号の女』と題し、
東京から博多までをこだまを乗り継いでスロー旅の紀行文であった。

この中に、私が赤マジックで罫線を引いていた。

この綴りの中で、豊橋に停車した後、三河安城を過ぎると、

《 なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ 》

とセロテープを製造されているニチバンの工場に巨大な看板が観える、
と綴られていたのである。

この箇所を私は赤マジックで罫線を引いていた。


私は3年ぶりぐらいで罫線の文を再読したのであるが、
人生の苦楽をさりげなく込められたコピー文・・
巧(うま)いなぁ、と瞬時に感心し、まぎれなく名コピーと思ったりした。

そして、社内の企業コピーの応募コンクールに於いて、
この工場に勤めいる男性社員が、人生の苦楽が解かりはじめた方が発想されたのかしら、
その上で、感性のある会社の首脳部のひとりが、認定されたのかしら、
と高齢者2年生の私は微笑みながら、感じたのである。


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小林正樹・監督の『人間の條件』、15日より昨夜まで毎夜、テレビ放映を視聴し、そして・・。

2011-08-21 14:08:30 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
NHK BSプレミアムで、『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 ~家族編~』に於いて、
小林正樹・監督の『人間の條件』が過ぎし8月15日の月曜日から昨夜の20日まで、
毎夜放送された映画を視聴した。

この作品は五味川純平・著作『人間の條件』の巨編を映画化し、
全6部構成として、第一部 ・純愛篇、第二部・激怒篇として1959年1月15日に同時上映され、
第三部・望郷篇、第四部・戦雲篇は、この年の1959年11月20日に同時上映され、
その後の第五部・死の脱出篇、第六部・曠野の彷徨篇は1961年1月28日に同時上映された大作である。

そして全6部の総上映時間は9時間半となり、この当時として空前の最長の映画作品となり、
後年に本作の全6部を一挙に上映したことが、
日本の映画館でのオールナイト興行の走りと話題にもなった巨編と知られている。


今回、NHK BSプレミアムで、放送した構成は、
各部を毎夜連続に放送したので、6日間に及び私は視聴したのである。


そして昨夜、最終の第六部・曠野の彷徨)を視聴した後、
感動を新たに深めて、ぼんやりと映画館で初上映された1959年の頃に思いを馳せたりした。

この当時の私は、中学2年生で、
小学3年の頃から独りで映画館に通い、映画に熱愛した映画少年であった。
小学生の頃は、東映の時代劇3本立の作品をこよなく見たり、
ときには市川崑(いちかわ・こん)の監督『ビルマの竪琴(1956年)』に感動に震えたりしたが、
この当時頃から流行った石原裕次郎の出演した作品は苦手となり、
殆ど洋画の作品を見ることが多くなった時代であった。

そして『人間の條件』第一部 、第二部が1959年1月に同時上映され年は、
私は洋画の『リオ・ブラボー』、『大いなる西部』、『騎兵隊』、『ワーロック』、『ヘンハー』など、
その後は高校生になると『アラモ』、『太陽がいっぱい』、『バファロー大隊』、『渚にて』、『栄光への脱出』、青春物とか、
リバイバル上映として『風と共に去れぬ』、『駅馬車』、『禁じられた遊び』などを観たりしていた。

こうした時に、黒沢明(くろさわ・あきら)監督の『椿三十郎(1962年)』、『用心棒(1961年)』の二本立てを、
映画館で観て、特に『用心棒』に圧倒的に感銘して、
日本の映画も凄い、と私は評価を改めて、
これ以降は、邦画も洋画も益々熱中したのであった。

こうした経過であったので、無念ながらリアルタイムで、『人間の條件』は見逃していたのであった。


この後、私は益々映画に深く魅了され、邦・洋の名作を映画館に通い鑑賞し、
東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋、
私はシナリオライターになりたくて大学を中退して、
映画専門誌の『キネマ旬報』の作品評論、シナリオを精読していた。
そして、ある養成所の演出科に通い始めた頃であった。

確か1964〈昭和39〉年の晩秋だったと思われるが、
池袋にあった人世座という名画を上映する映画館で、この当時に『人間の條件(全六部作)』を土曜日の夜に、
オールナイトで上映していた。

遅ればせながら私は見逃した作品であったので、心身気合いを入れて、この映画館に行き、
観賞し、その次週も観たのであった。

この当時の私は、小林正樹監督に敬愛を始めた頃であり、
少なくとも『あなた買います(1956年)』、『黒い河(1956年)』、『切腹(1962年)』を鑑賞した後なので、
この『人間の條件(全6部作)(1959~1961年)』は、
映画の作品を完成させるまでの、あらゆる執念を多々学んだりした。

この後は『怪談(1965年)』にも魅せられて、
東宝の宣伝部にも出入りしていた時期であったので、この『怪談』の大きなポスターを頂き、
実家の自室の四畳半の壁に貼り付けて、ときおり見惚(みと)れていた。


この後の私は、映画・文学青年の真似事も敗退し、
やむなく安定したサラリーマンの身に転向し、
その後は35年ばかり音楽業界のある会社の情報畑・管理畑などのサラリーマン生活をして、
2004(平成16)年の秋に定年退職を迎えた。

この間、小林正樹監督の作品としては、数多くサラリーマンと同様に、私も多忙の中、
『上意討ち 拝領妻始末(1967年)』、『東京裁判(1983年)』を鑑賞し、
もとより私にとっては、敬愛できる映画監督の10人の中のひとりある。


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【掌(たなごころ)未来小説】  2018年 日本の悪夢   あとがき

2011-08-20 15:22:36 | 定年後の思い
この小品を私が綴ったのは、2008年9月14日であり、
原題は、『小説 10年後の悪夢』として三回に及び投稿したものである。

この当時の私は、民間会社を2004年の秋に定年退職し、
ブログの世界を知り、各ブログサイトに投稿を重ねていた。

そして政治も疎(うと)い無力な身ながら、政治の混迷に憂いながら、
団塊世代の方たちも定年退職を迎え時代となり、超高齢化社会になり、
果たして日本の今後の進路は、と私なりに思索していた時期であった。


この2008年9月の状況下は、8月には『北京オリンピック』が開催され、
9月1日には、自民党政権下に於いて、福田首相が辞意表明をしていた。
そして9月22日には、自民党の総裁選で麻生氏が勝利し、21日は麻生内閣が発足。

この間の9月15日に、アメリカの有力証券・投資会社のリーマン・プラサースが経営破綻し、
その後に『リーマ・ショック』で世界の主要国の経済悪化を向かえた当時であった。


こうした中で、果たして日本の今後は・・と私は思いながら、
エッセイ、コラム風でも表現ができなる範囲を遥かに超えて、やむなく創作の手段を用いたのである。

もとより筆力も未熟で、創作の小説は若き20代の前半に習作の真似事をして以来、
40数年ぶりであったので、表現不足はご容赦を願いたい。


今後の私としては、無念ながら体力を衰えた今、中編の小説は書き上げることはできないが、
エッセイ、コラム風の投稿文は従来通り、日々数通は投稿し、
この間に、せめて深淵ある掌(たなごころ)小説を月に数編を創作しょう、
と思ったりしている。


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【掌(たなごころ)未来小説】  2018年 日本の悪夢(下)

2011-08-20 12:51:52 | 掌(たなごころ)小説
この小品は、『小説 10年後の悪夢(下)』の原題で、2008年9月14日にこのサイトに公表した作品である。


新党の『再生党』が、連立政権を目指し、
旧・野党の一部の党の代表と協議した間、
自民党も野党の一部の党を誘い、与党としての連立政権の確立を目指していた。
民主党は若手議員の大半が離脱された後は、
野党の中堅グループに零落していた。

このような状況を眺め、日本の混迷に憂いたアメリカは、
新テロ対策の給油活動の決断も遅れ、
そして自国の防衛費も削減する日本を、ヨーロッパの主要国と協議し、
日本は世界の主要国としての輸出入の権利ばかりを享受し、
一体となる責務を果たしていない、と公然と非難されたりしたので、
日米安保の継続不可能と結論した。

世界の各国に輸出し、自国とその周辺の安全をおろそかにする日本は、
まもなく各国から輸入、そして原材料の輸出を拒否されるかのように激減した。

そして、1年後は1ドル400円の円安となり、
経済大国としての日本は没落した。


このような中で、中国だけは日本に手を差し伸べたのである。
自国の原材料を程々に日本に、そして日本の技術を自国に、
こうして日本の周辺の海上はもとより、インド洋の彼方まで、
中国の艦隊が圧巻していた。

そして、日本は中国を宗主国のようにあがめ、
これでは中国がかっての明王朝の時、朝鮮半島を支配した李朝と同じだ、
と再生党の要人は肩を落としたのである。


再生党の要人は、ひとりの老人を訪ねる為に、
東北新幹線の水沢駅で下車した。

『君かぁ・・』
とこの老人は、懐かしそうに云いながら、苦笑した。

『私が学生の時・・1989年の頃、自民党の幹事長をされていた先生に感銘を受けて、
私は政界入りを決断したのです。
その後、1993年に『日本改造計画』のご本を拝読した時、
今後の日本はこのお方しかいない、と確信したのですが・・
その後の先生の言動には、失望ばかりでした・・』
と再生党の要人は、この老人に云った。

『そりやぁ・・いろいろとありすぎて、
根幹となす政策もままならず、
政局に応じざるを得なかったのよ・・』
と老人はかみ締めるように云った。

『私達は、かっての先生の日本を真に改革する意志を実現しょうと、
あえて『再生党』の命名し、国民に訴えながら、
連立政権を目指してきたのですが・・』
と再生党の要人は云った。


『君ねぇ・・今からでは遅いが・・
日本の選挙民の大半は、国家の理念などと云っても・・駄目なのよ・・
当選数を増やしたければ、目先の景気対策をし雇用の安定を図り、
そして年配者には、年金と医療に期待を持たせれば、
当選するよ・・』
と老人はポツリと云った。

それでは従順な羊(ひつじ)と同じだ、
と云おうとしたが、再生党の要人は言葉を呑みこんだのである。


               《終り》


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【掌(たなごころ)未来小説】  2018年 日本の悪夢(中)

2011-08-20 00:25:19 | 掌(たなごころ)小説
小説この小品は、『小説 10年後の悪夢(中)』の原題で、2008年9月14日にこのサイトに公表した作品である。


新党は『再生党』と称し、党首は前原誠司の下で、
政策が具体的に懸案した後、連立政権を目指し、
旧・野党の一部の党の代表と協議した。

これまで日本は、バラマキ合戦の結果、
国債の元本だけでも、1000兆円となり、
年金・医療などは毎年8000億円増加している。

かっての時の政権が2011年度までには、
何とか基礎的財政収支は正常にしたい、と公約していたが、
選挙民に媚(こ)びる為にバラマキで、
更に悪化していたのである。


遅ればせながら、消費税5%に代わる『社会保障税 10%』と発言した後、
『そりやぁ・・無理です・・
国民の生活は益々困窮して・・賛意できないわ・・』
と旧・野党の一部の党の代表は、再生党の要人に云った。

そして
『財源がない・・と云うけれど・・
自衛隊などの防衛費を半減すれば・・
多少の補助となるし・・少し時期を改めてからに・・しましょう・・』
と要人に言い切ったのである。


国を守る基盤を崩し、貿易立国の日本の輸出入の安全を低下させてまで、
国民の負担を従来どおりで、社会保障費が増大ばかりで、
本当に国民は、国にサービスを求めているのか、
と要人は思い込んだのである。

そして、自宅のご近所に住まわれている70近いお2人は、
贅沢をしなければ生活できるし、何より自在に時を過ごせ、
と趣味に没頭され、目に輝き持ちながら、過ごされている。


この後、2008年の頃、ある高名なエコノミストの講演を
拝聴した内容を思い出された・・。

父たちと同期で1960年に40歳だった人たちは、
年金保険料率の生涯は3%~10%しか納めなく、
若い世代の14%以上の保険料率から年金を支えられている。
そして、高齢世代が若年世代から過分なプレゼントであり、
不公平なシステムないか、と提言されていた・・。


日本の官民とわず、米ソの冷戦でベルリンの壁の崩壊するまで、
年功序列の組織の多い中で整然と勤務できた人たちであった。

今の現役の人びとは、昨今の成果主義の多い中で勤務され、
これ以上の負担を求めるのは、過酷である。
何より、現役世代が意欲を失くされ、肝要の勤労精神が薄すられ、
国力は低下する。


このままでは高齢世代はいきいきとしても、現役世代は意欲をなくせば、
国力は衰退し、やがて国は没落する、
とやりきれない面持ちとなったのである。


             (つづく)

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【掌(たなごころ)未来小説】  2018年 日本の悪夢(上)

2011-08-19 21:42:00 | 掌(たなごころ)小説
この小品は、『小説 10年後の悪夢(上)』の原題で、2008年9月14日にこのサイトに公表した作品である。


2018年の晩秋、岩手県の水沢市の郊外の里山で、
ひとりの80前後の男が、落胆した容姿で、
『このようになるはずは・・なかったんであるが・・』
と呟(つぶ)くように自分に言いきかせるように独り言を云った。


あの頃は地方の多くは疲労感がたたよい活性化もなく、
都心に戻れば、70代の婦人の一部は『生活が大変よ・・・』
と洒落た高価なブラウスを召した方に云われた。

与野党が伯仲し、お互いに、
団塊世代が退職後、急激に社会保障費が増大していたが、
清き一票を獲得するために、大都市、地方に係わらず、
財源を無視し、景気対策はもとより、
高齢者を更に優遇するバラマキ政策が多く実施された。

以前、時の政府は2011年までには、
基礎的財政収支を正常にしたい、と目標としていたが、
与野党議員は選挙民より一票を獲得し、晴れて国会に戻りたい為、
バラマキ合戦となっていたのである。


野党の一部の党は、社会福祉の充実こそ何より大事で、
新テロ対策の給油活動は反対し、自衛隊の予算を疑り、
果ては無駄な存在と公言されたりした。

ある一部の野党も、何より憲法第9条は大事とばかり、念仏のように大事し、
防衛費にも険悪としたりしていた。

自民党、民主党は、お互いにこの中の野党を取り込み、
連立政権として与党になりたく、
党の基本方針の政策を曲げてまで、安易に妥協したのである。
怜悧な面からすれば、野党の一部の党に与党へのワッペンを握られ、
更に政局は混迷したのである。

民主党は、旧・社会党系議員と若手の保守系議員のごった煮で、
党内は妥協を繰り返し混迷していたが、
豪腕と定評のある小沢一郎・代表の凄みで、
党の政策を政局に応じて変化させてきた。


このような時、日本の国として根幹となる政策が揺らいできたので、
民主党の前原誠司、野田佳彦、岡田克也など、
この3人に同調する若手の議員は民主党を離脱し、
自民党の渡辺喜美、石原伸晃ら数10名は共鳴し、新党を結成し、
たちまち第一党の自民党の議員数に迫る勢いとなった。

しかし、与党となるためには、野党の一部の党と連立しなければならず、
肝要の政策に決断するのに、苦悩が迫まわれたのである。

                        (つづく)

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天上の気候の神々は、たった一雨(ひとあめ)で猛暑から涼しい秋に変貌させ・・。

2011-08-19 17:36:51 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
午前の9時半過ぎから、地元の天気予報より早く雨が降りだして、
風も伴い大雨となり、ときおり雷鳴を響かせていた。

都心でも午前9時10分に30・9度あった気温が、
2時間後の11時20分に22・6度まで下がった、
とNHKのテレビニュースは報じていた。

私はここ1週間は連日の猛暑で、34度前後の残暑厳しい日が続き、
昨日は36度の今年一番熱い日となり、
節電の風潮の中の上、勘弁して欲しい、と燦々と照らす陽差しを
恨めしげに見たりしてきたひとりである。

こうした昨今の中で、たった一雨(ひとあめ)の強い雨で、
私の住む地域でも、朝の30度から昼には涼しげな24度となり、
乾ききった地面、樹木、そして草花も潤(うるお)し、清々しい情景に変貌してくれ、
改めて天上の気候の神々の確かな力に、私は敬意したりした・・。

何かしら秋雨前線の影響と専門家の方たちは発言しているが、
政治の舵取りしている混迷を深めている国家議員の諸兄諸姉よりも、
誰しもが実感できる猛暑から涼しい情景をもたらしてくれる天上の気候の神々に、
確かに力があります、と無力な私は、小雨降る空を見上げたりしている。


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東京郊外に存在する天上の気候の神々は、せっかちな性格に変貌・・!?

2011-08-19 11:51:44 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は独り住まいの家内の母宅に行き、大掃除を兼ねて5泊6日で孤軍奮闘し、
昨夕に帰宅し、我が家は平常の『おふたりさま』の生活に戻った。

今朝、地元の天気情報を見たりしていると、
朝の6時は28度、昼下がりは31度前後、夕方の6時は25度前後であり、
午前中は快晴の後は、曇り空となり、午後3時過ぎから小雨が降りだして、
夜の7時頃から強雨となり、久しぶりに涼しげな夜になるでしょう、
と報じていた。

我が家の日常の買物は、私は定年後から自主的に専任担当となっているので、
雨の降る前の午前中に買い物をした後、散策しょうと、
朝の8時過ぎから、心身一新していた。

家内は早朝から、掃除をする合間に、洗濯物を洗濯機にセットし、
洗濯後の外干しとなり、淡い陽射しの中で、おだやかな空気につつまれていた。

過ぎし一週間は、早朝から燦々と照らす熱い陽射しとなり、
昼下りには34度前後で、昨日は36度の今年一番の暑さとなり、
何よりも暑さに苦手な私は、残暑の厳しさも程ほどにしてねぇ、
と空を見上げて、天上の気候の神々に祈願したりしていた。


我が家の最寄にあるスーパーは、開店時間が10時であったので、
買い物の事前準備、着替えも終えた私は、玄関の軒下に下り立ち、
樹木を眺めたりしながら、蝉(セミ)の元気な鳴き声を聴いたりしていたのが、
9時半過ぎであった。

そして何故かしら大粒の雨がポッリ、ポッリと空から舞い降り、
『XXちゃん!・・雨が降りだしたょ!』
と私は居間にいる家内に大声で叫んだ。

家内は外干ししている洗濯物を取り込み、私は家の中の戸締りをした。
まもなく薄暗くなり、小雨から本降りになった。

この後、私は庭に降る本降りの雨を眺めて、
『この辺の・・天上の気候の神々は・・午後の三時から雨降る予告だったのに・・
こんなに早くから降りだして・・せっかちに性格に変わったのかしら・・』
と私は苦笑しながら、家内に言ったりしていた。

『私だって・・昼過ぎまで洗濯物は乾く予定だったし・・』
と家内は微苦笑しながら私に言ったりした。


まもなく雷鳴を響かせ、風が吹きはじめ、強い雨が降ったり、ときおり止んだりし、
めまぐめしい天気となったりしているが、爽やかな空気につつまれた・・。

朝の7時半過ぎは、30度ぐらいの少し汗ばんだりしていたが、
先ほど気温を眺めたら、27度ぐらいとなっていた。

そして、夕方には25度前後の9月気温になる、とテレビのニュースは報じていた。

私は買い物、散策もできず予定は大幅に変わってしまったが、
昨日の36度の猛暑から、10度ばかり下がった涼しい昼下りのひとときを迎えることができるので、
天上の気候の神々の突然のプレゼントに戸惑いながら、私は微笑んだりしている。


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『Yahoo! JAPAN 節電・停電 東京電力エリア版』、高齢者の私は初めて見て、微苦笑し・・。

2011-08-18 18:28:30 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ5日ぐらい連日34度前後の猛暑となり、残暑厳しい日となっている。

今朝も燦々と照りつける快晴となり、地元の天気情報に於いては、
朝の6時は27度、昼下がりは36度、夕暮れの6時は33度となり、
私は今年一番の猛暑だょ、と暑さに苦手な私は、過ごしてきた。

先ほど、ネットでニュース見ようして、パソコンを開き、
私の場合は、トップページは【Yahoo! JAPAN】を設定しているが、
産経新聞から配信された《 東電、今夏の最大電力を更新 使用率も90%超える 》
と題された記事を読みながら、やはり今年一番の暑さだったからねぇ、と私は苦笑したりした。

この記事が掲載されている下段に、
【Yahoo! JAPAN 節電・停電 東京電力エリア版】と題されたのが、
たまたま初めて見て、思わずクリックした。

http://setsuden.yahoo.co.jp/tokyo/
☆【Yahoo! JAPAN 節電・停電 東京電力エリア版】☆


私は30分ぐらい見て、丁重に解説されて、多々教示された。

もとより政府が7月1日に電力使用制限令を発動して以来、
それぞれ企業は創意工夫しなから、何とか努力を重ねて対処された前提条件下、
本日の猛暑の中《・・管内各地で35度を超える猛暑となり、
電力需要が増大、今夏のピークだった10日の4891万キロワットを超えた。
供給力に占める需要の割合を示す使用率も90・0%に達し、
東電管内で使用率が90%を超えるのは初めて・・》
と産経新聞の記事で学んだが、私たち一般家庭の節電にも限度がある、と高齢者の私は思ったりした。

こうした中、何よりも働いて下さる諸兄諸姉の通勤の時、職場の過酷な節電、そして帰宅すれば節電・・
暑さの中、大変な苦節の時期を過ごされている、と現役時代は中小業のサラリーマンだった私は、
無力ながら同情してしまう・・。

私は年金生活の身としては、せめて何とか熱中症だけは避け、
救急車にお世話になったり、病院に入院したりし、
これ以上、世間にはご迷惑をかけるのをやめようと思ったりしている。

そして、働いて下さる諸兄諸姉の前で恐縮であるが、
家の中の居間、そして寝室の2部屋だけ、エアコンの28度の設定で、秋の彼岸まで・・、
このような我が家として、節電の確かな対処かしら、と微苦笑したりしている。


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東京郊外は今年一番の猛暑を向かえ、私は降参します、と呟(つぶや)きながら・・。

2011-08-18 10:28:52 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ5日ぐらい連日34度前後の猛暑となり、残暑厳しい日となっている。

今朝も燦々と照りつける快晴となり、地元の天気情報を見たりすると、
朝の6時は27度、昼下がりは36度前後、夕暮れの6時は33度前後、
と表示されて、私は今年一番の猛暑かしら、と何よりも暑さに苦手な私は、溜息をしたりした。


日常の買物は、定年後から自主的に私の担当となっているが、
この5日間は最寄のスーパーに買物に行き、駅前までの徒歩20分のスーパーは敬遠し、
散策も近回りのコースを歩き廻ったりしている。

半袖のスポーツ・シャツと長ズボンのストレッチ・パンズ、夏の帽子を深めに被り、
サングラスをして、ときには扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落ちる・・。
やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、気合いを入れて足早に歩いているのが実情である。


帰宅後は、洗面所で顔を洗い、衣服、そして下着も脱いで、タオルで身体を拭いたりした。
この後、恥ずかしながらこっそりと居間のエアコンの冷風の下で、
身を寄せたりしている・・。

そして、涼しげになった身体に、
新たな下着、半袖のスポーツ・シャツと長ズボンのストレッチ・パンズを身につけた後、
冷やした煎茶を飲んだりしている。

この後は、殆ど居間で過ごすことが多く、昼下がりには居間の外れに簡易ベットを敷いて、
エアコンの冷風の中、私は横たわり本を読んだりすることが多い。

高齢者2年生の私は、熱中症で救急車、或いは病院にお世話になることは、
勘弁してほしいので、このように過保護のような生活を過ごし、
猛暑の時は、冷気に享受している。


先ほど、燦々と照らす庭を眺めたり、そして眩(ま)ばゆい青空を見上げたり、
このような暑さ・・いつまで続くの、と天上の気候の神々に問い続けている。


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『おひとりさま』の生活に、私がなった時は、果てして私はどのように・・。

2011-08-17 18:42:12 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦は、子供に恵まれことがなく家内と2人だけの家庭であり、
そして築後30数年の古惚けた家に住んでいる・・。

平素の私は、煙草を喫う愛煙者のひとりで、スポーツは無縁で散歩するぐらい、
お酒大好きだった呑兵衛の私は何とか卒業して、冠婚葬祭、国内旅行以外は月に一度ぐらいとなっているのが、
昨年の秋からの状況である。

このような齢ばかり重ねぐうだらな生活をしている私は、
私としては家内より早くあの世に行く、と確信はしているが、
こればかりは天上の神々の采配にゆだれられているし、
まして、この世の中は、先のことは何が起きるか解からないので、
一年に何回かは、家内に先立だれた場合のことを考えたりしている。


我が家はたった二人だけの家庭のせいか、
私は家内と日頃から、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、
とお互いに確認し合っている。

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行うが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に安心して話す相手がいなくなったことが、何よりも困るのである。


こうした時を過ごした後、やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、
都立の大きな公園が隣接した場所で、小さな2DKのマンションに転居すると思われる。
そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の交通機関の利便性のある場所を選定するだろう。

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、1000冊前後に厳選した上、
映画作品のビデオテープ、DVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。


こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、
数冊を購入する。

そして週一度は定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
こうした中でも、私は家内の位牌の代わりに、
定期入れに愛用した革のケースに、家内のスナップを入れて、
いつも持ち歩くと思われる。


こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、月に3泊4日前後で、各地を訪れるだろう。

劇作家のチェーホフの遺(のこ)された、
《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる・・》
と人生の哲学のような名言は、
どうしたらよいの、と私は考えたりするだろう。

やむなく、私は宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。

そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの・・、と天上の人となった家内に呟(つぶや)きながら、眠るだろう。


このようなことを昼下がりのひととき、ぼんやりと私は思ったりしていた。


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ときには『おひとりさま』となる私、血液B型の私は気まぐれな日々を過ごし・・。

2011-08-17 13:18:57 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私達のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家から2時間ばかりの地で、一戸建ての独り住まいの生活をされている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職日の直前に主人に死去され、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、7年近くなっている・・。

家内の母は友人たちのグループで、国内旅行、買い物などを楽しんで過ごしたり、
ときおり自身の故郷の新潟県の上越市に里帰りし、同期の人たちと交流を深めたりしている。
確かに80代の初めとしては、身体は衰えても心は元気である、と私は感じたりしている。

このような中で、身の廻り程度はある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて、年に5回ぐらい6泊前後で、母宅に泊りがけで行っている。

今回はたまたま過ぎし13日(土)より明日の18日(木)まで、5泊6日となり、
家内は孤軍奮闘しているのである。

この間は私は『おひとりさま』の生活となり、のんびりと気ままな独り住まいをしている。


起床は5時半過ぎが多く、雨戸、アルミのガラス戸を開け、簾(すだれ)越し外気を取り入れ、
この後に着替え、洗面をする。
そして、連日の猛暑なので、やむなく主庭、玄関庭にある樹木、草花、そして地面に水撒(みずま)きをして、
朝涼のひとときを享受する。

この後は、私は台所にある市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日を確認して、
指定された道路に面した門扉に置く。

そして、読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりしている。


食事に関しては、夏場であるので家内の料理は事前に辞退し、
私はスーパーで買い物をし、野菜コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
食べたりしている。

肉類などの主食の前に、私は小さめのキャベツを四分の一ぐらい千切りし、
その脇にセロリ、トマト、ニンジン、キュウリを大皿に盛り合わせ、
この特選の野菜の盛り合わせだけは、朝、昼、晩と食べて、
この熱い夏の時節には、身も心にも良いと大量に頂いたりしている。

そして、洗濯に関しては、たまたま昨年の早春に乾燥の機能がある洗濯機に買い改めたので、
オール自動セットとし、
日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたり、台所で皿洗いをしたり、
夜の入浴の時間も、平素より遅かったりしている。


こうした中で、この猛暑の時は熱中症を避けたく、散策も短めとなり、
平素より居間にいる時間が多くなる。

居間のエアコンの冷気の中で、昼下がりの多くは、
簡易ベットを敷いて横たわり、本を読んだりすることが多い。
月刊総合雑誌の9月号の『文藝春秋』、『中央公論』の読み残した記事、
佐野眞一・著の『されど彼らが人生 ~新 忘れられた日本人 Ⅲ~』(毎日新聞社)、
そして『吉村 昭が伝えたかったこと』(『文藝春秋』9月臨時増刊号)などを読み、
夕寝になってしまう。

夕食後は映画のビデオ・テープ、DVDの作品を映画棚から取り出して、
テレビ画面を通して視聴したり、好きな音楽も大音量で聴いたりしている。

いずれも家内は、大音量が苦手な身であるから、平素は抑制しているが、
この時とばかり、映画の作品、音楽もはある程度の音量でないと、
作品の秘めたる魅感が薄れると固く信じているので、自在にしている。

このような思いでいると、血液B型のせいかしら、深夜の一時過ぎでも、
20世紀の私の愛してやまい映画を鑑賞したりした。

セルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)、
マイケル・チミノ監督の『ディア・ハンター』(1979年)、
フランシス・F・コツポラ監督の『ゴットファーザー(三部作)』(1972・1974・1990年)、
アンリ・コルピ監督の『かくも長き不在』(1961年)を観たりしてきたが、
名作は少なくとも10回を以上鑑賞しても、必ず学ぶところが確かにある、
と思ったりすると早朝の3時になったこともあったりした。

こうした結果、寝不足になり、結果としては夕寝をしてしまうのかしら、
と微苦笑を重ねたりしている。


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