育った家は普通だと思っていた
そんなに大きな問題にならないだろう
いつか慣れるはずだと
深刻に考えたくなかったのかもしれない
迂闊といえば 確かに迂闊な話だった
嫁を取る話が出て
気になる娘がいたのだ
父から譲り受けた部屋で見つけた亡き母の写真
大振袖姿で困ったような笑顔のーその写真の裏に 父の字で「与えられた娘」とあった
別にある婚礼の時の写真が無ければ それが母の写真とは気付かなかっただろう
かしこまった表情の父の横で緊張した母
母はわたしを産んで 間もなく死んだ
わたしの物心がつく前に
生きた母の姿を見たことは無い
父に尋ねると「あれは 弱って死んだ」
とだけ言った
その母によく似た少女を見つけた時は嬉しかった
足腰の鍛錬と言っての遠歩き
それで見つけた優しい少女
汗を拭いてると「喉が渇いているの」
そう言って 摘んでいた木苺をくれた
家では見ることのできない自然な笑顔
その少女が女学校を卒業し戻ってきていることを知っていた
その娘が嫁にほしいと言うと 祖母はひどく嫌な顔をした
母親代わりの父の従姉は言う
「良いじゃありませんか 新しい血を入れないと濁りますでしょ」
話をとりもつ人間とその娘の両親とその娘は家に来た
しかし 娘の調子が悪くなったとかで 会う前に帰ってしまい 病気になって とてもこのようなお屋敷の嫁にはなれないー
そう断りの返事が来た
少しして祖母のしたことを知った
祖母は他に嫁にしたい娘が 親戚筋にいて
壊したのだ
試験だーと父の従姉には言ったようだが
「目の前で 鼠を食べてあげたのよ 震えあがってね 根性の無い娘だこと」
そう 祖母は笑っていた
そうか
そうか
ならば 要らぬ
鼠を食らう家の方が 異常なのだ
それを家風とする方がー
わたしは鼠を食らうまいとした
だがー
食べないでいると飢えたようになる
こんな体になってしまっているのだ
この家で育つ間に
普通の人間では無い 化け物だ
野鼠を食う猫や鼬や狸や狐
あのモノらと変わらぬのだ
あさましい
おぞましい
外の家から来た母も だから生きられなかったに違いない
この家ではー
化け物の家
絶えた方がいい
嫁は だから 要らぬ
子など作らぬ
祖母へのあてつけの思いもあった
失恋の苦しさもあった
やがて あの娘の母親が亡くなり 葬儀に来ていると聞いた
見にいかずにはいられなかった
会えないかと
墓地に出かけて あの娘そっくりの -娘を見た
あの娘の娘なのだと聞いた
ああ あの娘は幸せになったのだ
諦めと ほっとした思いと なんともいえぬ寂寥とー
その少しあとに 祖母が死んだ
譫言を言いながら
脅えたような苦鳴と
ひどく恐ろしいモノを視(み)たような死に顔だった
一族の者は少しずつ減っていき
父の従姉も病気になった
祖母と同じように 譫言を繰り返す
その言葉の中には わたしの母への詫びもあった
ー好きだったというなら 食べればよかったのよ 鼠くらい 弱いから負けたのではないの
お門違いだわ
ああ ああ 許して 赦してちょうだいー
父の従姉は 父が好きだった
祖母に言われて 父に女性を教えた
嫁いできた母が妊娠し 父と居室を別にさせて
父には 母は子供を産むモノに過ぎず
母は孤独と絶望のうちに死んだのだ
座敷牢に閉じ込められて
そんな目にあったのは 母だけではなかった
一族のうちに 合う年頃の美しい娘がいなければ もしくは新しい血を入れるために 時々外から嫁を迎えた
大概の娘は 鼠を食らうことに耐え切れなかった
子供を産んだ娘は死んでいく
座敷牢の中で
新しい血と跡継ぎと 美しさ
なんという人でなしの一族
父の従姉が苦しんで死ぬと 父は言った
「お前が終わらせるのか」
この家をー
そういうことになる
従姉の葬儀の後で 父は首を吊って死んだ
その夜 風が強く吹き始め 間もなく落雷があった
屋敷を取り囲むように火が拡がった
業火というのか
燃える炎はとても綺麗な色をしていた
葬儀で屋敷に居た一族の者たちはー迫る炎に怯えて逃げ惑う
木の葉のような形のモノが一族に飛びかかっていた
その木の葉のようなモノにはしっぽがある
燃える鼠
火に追われたものか それが屋敷に逃げ込んできたか
いや
鼠は炎と共に復讐にやってきたのだ
さあ 来い
鼠よ
受け入れよう
その火を
わたしも焼き尽くせ
だがー 鼠は来ない
息は苦しいが
ーああ 煙にやられたか
足に力が入らなくなり へたりこむ
薄ぼんやりと誰かがいるのが 見えた
通せんぼをするように 両手を広げて鼠を防いでいる
鼠は近寄れない
それは ああ 母だ
若くして死んだ母
わたしよりも若い
母はわたしに笑いかけた
母がわたしの手を取る
ー一緒に行こうー
はい おかあさん
そんなに大きな問題にならないだろう
いつか慣れるはずだと
深刻に考えたくなかったのかもしれない
迂闊といえば 確かに迂闊な話だった
嫁を取る話が出て
気になる娘がいたのだ
父から譲り受けた部屋で見つけた亡き母の写真
大振袖姿で困ったような笑顔のーその写真の裏に 父の字で「与えられた娘」とあった
別にある婚礼の時の写真が無ければ それが母の写真とは気付かなかっただろう
かしこまった表情の父の横で緊張した母
母はわたしを産んで 間もなく死んだ
わたしの物心がつく前に
生きた母の姿を見たことは無い
父に尋ねると「あれは 弱って死んだ」
とだけ言った
その母によく似た少女を見つけた時は嬉しかった
足腰の鍛錬と言っての遠歩き
それで見つけた優しい少女
汗を拭いてると「喉が渇いているの」
そう言って 摘んでいた木苺をくれた
家では見ることのできない自然な笑顔
その少女が女学校を卒業し戻ってきていることを知っていた
その娘が嫁にほしいと言うと 祖母はひどく嫌な顔をした
母親代わりの父の従姉は言う
「良いじゃありませんか 新しい血を入れないと濁りますでしょ」
話をとりもつ人間とその娘の両親とその娘は家に来た
しかし 娘の調子が悪くなったとかで 会う前に帰ってしまい 病気になって とてもこのようなお屋敷の嫁にはなれないー
そう断りの返事が来た
少しして祖母のしたことを知った
祖母は他に嫁にしたい娘が 親戚筋にいて
壊したのだ
試験だーと父の従姉には言ったようだが
「目の前で 鼠を食べてあげたのよ 震えあがってね 根性の無い娘だこと」
そう 祖母は笑っていた
そうか
そうか
ならば 要らぬ
鼠を食らう家の方が 異常なのだ
それを家風とする方がー
わたしは鼠を食らうまいとした
だがー
食べないでいると飢えたようになる
こんな体になってしまっているのだ
この家で育つ間に
普通の人間では無い 化け物だ
野鼠を食う猫や鼬や狸や狐
あのモノらと変わらぬのだ
あさましい
おぞましい
外の家から来た母も だから生きられなかったに違いない
この家ではー
化け物の家
絶えた方がいい
嫁は だから 要らぬ
子など作らぬ
祖母へのあてつけの思いもあった
失恋の苦しさもあった
やがて あの娘の母親が亡くなり 葬儀に来ていると聞いた
見にいかずにはいられなかった
会えないかと
墓地に出かけて あの娘そっくりの -娘を見た
あの娘の娘なのだと聞いた
ああ あの娘は幸せになったのだ
諦めと ほっとした思いと なんともいえぬ寂寥とー
その少しあとに 祖母が死んだ
譫言を言いながら
脅えたような苦鳴と
ひどく恐ろしいモノを視(み)たような死に顔だった
一族の者は少しずつ減っていき
父の従姉も病気になった
祖母と同じように 譫言を繰り返す
その言葉の中には わたしの母への詫びもあった
ー好きだったというなら 食べればよかったのよ 鼠くらい 弱いから負けたのではないの
お門違いだわ
ああ ああ 許して 赦してちょうだいー
父の従姉は 父が好きだった
祖母に言われて 父に女性を教えた
嫁いできた母が妊娠し 父と居室を別にさせて
父には 母は子供を産むモノに過ぎず
母は孤独と絶望のうちに死んだのだ
座敷牢に閉じ込められて
そんな目にあったのは 母だけではなかった
一族のうちに 合う年頃の美しい娘がいなければ もしくは新しい血を入れるために 時々外から嫁を迎えた
大概の娘は 鼠を食らうことに耐え切れなかった
子供を産んだ娘は死んでいく
座敷牢の中で
新しい血と跡継ぎと 美しさ
なんという人でなしの一族
父の従姉が苦しんで死ぬと 父は言った
「お前が終わらせるのか」
この家をー
そういうことになる
従姉の葬儀の後で 父は首を吊って死んだ
その夜 風が強く吹き始め 間もなく落雷があった
屋敷を取り囲むように火が拡がった
業火というのか
燃える炎はとても綺麗な色をしていた
葬儀で屋敷に居た一族の者たちはー迫る炎に怯えて逃げ惑う
木の葉のような形のモノが一族に飛びかかっていた
その木の葉のようなモノにはしっぽがある
燃える鼠
火に追われたものか それが屋敷に逃げ込んできたか
いや
鼠は炎と共に復讐にやってきたのだ
さあ 来い
鼠よ
受け入れよう
その火を
わたしも焼き尽くせ
だがー 鼠は来ない
息は苦しいが
ーああ 煙にやられたか
足に力が入らなくなり へたりこむ
薄ぼんやりと誰かがいるのが 見えた
通せんぼをするように 両手を広げて鼠を防いでいる
鼠は近寄れない
それは ああ 母だ
若くして死んだ母
わたしよりも若い
母はわたしに笑いかけた
母がわたしの手を取る
ー一緒に行こうー
はい おかあさん