もし核兵器が使われたら? 広島では11トンの衝撃波、急性障害
本の題名『放火殺人~日本人の親子関係がつくるパニック障害』
著者 坂口由美
出版日 2024.12.
中学高校の「履修漏れ問題」は「鬱病」か「統合失調症」か?
このもうひとつの典型が「中学校、高校の必須科目の履修漏れ問題」です。受験校の大学も「社会科は覚えることがたくさんあって、生徒が厭がっているので、社会科は試験に出さないことにしよう」と決めています。学校も、教育委員会も、みんなが、「指導要領」に書かれている教育方針の「国際化の中で、グローバルな視野を持つ知性人を育てよう」という、生徒自身の社会的な価値や利益が「右脳・ブローカー言語野の3分の2のゾーン」に思い浮かんでいません。このことは、「指導要領」の社会的な規範に対して誰もが「鬱病」ということになり、誰もが「統合失調症」という診断になります。このような状況の中で「学校に行かない」「仕事に就かない」という行動に対して、「社会の何と不適合(鬱病のことです)を起こし、何と不整合の乖離を引き起こして勝手な解釈をおこなって広義の統合失調症に陥っている」と指摘できるでしょうか?おそらく、「気分障害ではないのか?」「人格障害ではないのか?」と言うにとどまるのですが。しかし、新しい社会状況のもとでは、病理学も、病理の像が根本性をおびて深くなっていると理解しなければなりません。日本人の対人意識と脳の働き方のメカニズムを理解する必要は、こういうところに由来しています。
草薙 厚子著,講談社,2007/5/22
≪ケーススタディ≫
奈良自宅放火母子3人殺人事件
草薙 厚子の著書「奈良医師宅放火殺人事件」のケーススタディをとおして御一諸に考えてみましょう。
事件のあらましからご覧ください。
- 少年は、1990年4月に生まれた。父親は、奈良県内の病院の泌尿器科に勤務していた。母親は、大阪市内で医院を経営する開業医の長女だった。
- 父親には、親戚に国公立出身の医者が多くいた。私立出身の父親は彼らにコンプレックスがあった。父親は、実の母親から厳しい教育指導を受けていた。激しく叱る、殴られるなどだ。母親から殴られて頭部から出血したこともあったという。
- 結婚の初めから少年の父親は、妻(少年の母親)に暴力をふるっていた。「ビールが冷えてないじゃないか」「香水の匂いが気に入らない」しかし、少年が生まれたので、夫の暴力は収まるのではないか?と少年の母親は考えた。だが、「子供への教育方法がなってない」と暴力はいっそうエスカレートした。
- 少年が生まれて3年後に妹が生まれた。「女の子は後継者じゃないから」という考え方で、娘の教育には無関心だった。
- 少年が4歳の時、父親が母親(妻)に暴力をふるった。母親は玄関に逃れた。妹は這い這いをして泣きながら母親の後を追う。父方の祖母が仲裁に入る。母親は妹を抱く。少年は祖母の後ろに立つ。母親は、妹を抱いて家を出て行った。少年は母親の後を追わなかった。この日から少年は、実母、妹と離れて暮らすようになった。現在まで一度も実母には会っていない。少年が小学校に入学する年に、父親と母親は、離婚調停ののちに離婚した。事件後の少年の供述によれば、「私はお父さんの実家で生活していました。お父さんからは、幼稚園から帰るとすぐに勉強をやらされました。計算ドリルです。公文式の塾にも行かされました。水泳、サッカーの習い事にも行かされました。夜は、二階でお父さんが勉強の特訓をしました。卓袱台の前に座らされます。足し算、引き算、カタカナ、ひらがなの問題をやります。パパの思っているように答えられないと、怒られました。叩かれました。
- 1997年の10月。父親は再婚した。新しい母親は、神経内科医だった。新しい家庭は、奈良県田原町の一軒家だった。次の年に弟が生まれた。2000年には、妹が生まれた。
- 父親は、再婚後も、少年とのマンツーマンの教育を続けた。課題ができないと暴力をふるった。父親は、別荘やクルーザーを買った。
- 父親は、少年の小学一年生の成績に満足しなかった。学校にクレームをつける。「うちの子は、賢い。なぜ、通知表は、「オール良くできました」ではないのか?「医者にするために塾にも行かせている。こんな成績になるのはおかしい」
- 再婚して結婚当初。二度目の母親は、そんな父親の子どもへの態度や暴力に意見した。「お前の子どもじゃない。口出しするな」と命令されたので、新しい母親は、少年をかばったり、口出しできなくなった。とは言え、少年と継母との関係は良好だった。実の子のように接したので、少年も懐いた。
- 少年は12歳になった。「灘中学校」の受験には失敗した。だが、「私立高・東大寺学園中学校」に入学した。奈良県内で屈指の進学成績を持つ「中高一貫の男子校」だった。2006年の大学入試では東大に35名、京大に78名が合格している。少年は、小6の時に「算数オリンピック」に出場していた。だが、入学後の最初の「中間試験」の結果は「176人中、162番」だった。保護者会でこの成績を知った父親は、帰宅すると少年の髪を掴み、引き摺り回した。殴った。蹴り続けた。
- 少年は、地元の有名進学塾、数学塾、英語塾、英会話塾に通い始めた。いちばん厳しかったのは、父親とのマンツーマンの勉強だった。「毎日、午後の7時30分から零時ごろまでパパの書斎で勉強します。目の前にはパパが座って監視しています。問題が速く解けないとき、パパは、僕の頭を拳で殴ります。髪の毛も引っ張ります。立たせて顔を殴ります。倒れると、足蹴りします。「ゴッゴッゴッ」という、大きな音がします。パパの鼻息がふんふんと聞こえます。
- パパから遊んでもいいと言われたのは一週間のうち日曜の昼から午後6時までです。睡眠時間は、4時間から5時間です。試験前は、2時間しか眠らせてもらえませんでした。携帯電話は買ってもらいました。こっそりアダルト画像を取り込んで見るのが楽しみでした。この頃から、パパへの不満が芽生えました。
- 中一の3学期のテストは、全科目が平均以下でした。パパに知らせるわけにはいきません。また、怒られます。成績表を作り変えることを思いつきました。パパが重要だと言っている数学、理科、英語の点数を変えました。コピー機を使って点数を良くしたのです。パパは、偽物の成績表を見て、「良く頑張った」と喜びました。その後、担任の教師から、「息子さんのテストの成績が悪いですよ」と、自宅に電話が入りました。パパは、「何か嘘を吐いてないか?」と問い詰めました。「ごめんなさい」と謝りました。すると、髪の毛を掴んで書斎に連れて行かれました。「なんでこんな嘘を憑くのだ」「なんでこんなに成績が悪いのか」と蹴ったり殴られたりしました。顔、頭、身体中です。口の中が切れて、血の味がしました。血の味は、金物の鉄の味といっしょでした。
- 中二のある夜のことでした。勉強が終わったので、パパの書斎から寝室に戻りました。ゲームが好きだったので、ロールプレイングゲームをやり始めました。パパが買ってくれたものです。パパは、ゲームをしていると叱ります。いつも、階段を上がってくる足音に気を付けてプレーします。この日は気が付きませんでした。パパは、ゲーム機を取り上げて、「来い」と言います。風呂場に連れて行かれました。パパは、湯船にゲーム機を投げ捨てました。書斎に連れて行かれて頭を叩かれ倒れました。「ゴッゴッゴッ」という、大きな音をさせて殴られました。パパの鼻息がふんふんと聞こえました。ママ(継母)は、部屋の外から覗いて見ていました。この日から、自分の部屋ではなくて、パパの隣の部屋で寝るように命じられました。
- 中学2年の3学期の理科のテストのとき、公式を思い出せませんでした。仕方がないと机の中から資料を出して調べていると先生に見つかりました。「カンニングだ」と叱れました。このことをパパに正直に告白しました。「何でそんなことをするんだ」と怒鳴られました。こぶしで顔、頭を殴られました。「今度、嘘を吐いたら殺すぞ」と言い渡されました。
- 高1の春休みでした。パパは、いつものように僕の勉強を見ていました。数学の勉強でした。なかなか問題が解けませんでした。パパは、僕が使っていたシャープペンシルを取り上げて、「こう解くのだ。解ったか」と説明しました。言い終わると、パパは、芯の出ているシャープペンシルを僕の頭に突き刺しました。頭がズキズキと痛みます。僕はパパを睨みました。でも、「早く解け」と怒鳴ります。僕の頭を手で触ってみるとシャープペンシルの芯が刺さっていました。問題を解きながら、やっと抜きました。
- 高1の1学期の中間テストの2日前のことでした。英語の勉強をしている時、ついウトウト眠りました。パパは、英語の辞書を顔に投げつけました。僕はまだ寝ぼけていて下を向きました。すると、冷たいお茶を顔に掛けられました。このときから、残り3年近い高校生活をパパの暴力を受けながら監視されて勉強するのはもう無理だと思いました。前歯は2本折れていましたし、差し歯にもなっていたからです。
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