なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか
アジア主義者の夢と挫折
著者 | 田原総一朗著 《ジャーナリスト》 |
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主な著作 | 『日本の戦争』(小学館) |
税込価格 | 1,870円(本体価格1,700円) |
内容 | 北一輝、大川周明、頭山満……。大東亜戦争に反対し、大戦略を構想した巨人たちの語られざる肖像に迫る。近現代史のタブーを覆す力作! |
社会の皆さま、こんにちは。
全日本カウンセラー協会の坂口由美です。
昨日は、2月26日でした。1936年(昭和11年)2月26日に発生した2・26事件とは、陸軍の青年将校によるクーデター事件です。
『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのかアジア主義者の夢と挫折』という書籍が目に留まり、読んでみました。
第四部 大川周明 より一部を引用します。
大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年(明治19年)12月6日- 1957年(昭和32年)12月24日)は、日本の思想家です。
五・一五事件(ごいちごじけん)の思想的指導者であり、極東国際軍事裁判においては、唯一、民間人としてA級戦犯の容疑者に指定されました。五・一五事件とは、1932年(昭和7年)5月15日に発生した海軍青年将校によるクーデタ事件です。第29代内閣総理大臣の犬養毅を暗殺しています。また、大東亜戦争中は大東亜省の大東亜共同宣言の作成にも携わりました。
ところが、じつは大川 周明は強烈な社会主義者で、次のように述べています。
「私はロシアに労農革命が起こつたときから、レーニンが好きでならなかった。この人物こそ必ずロシアを救ふで洗うと信じてゐた。」
ウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870年4月22日 – 1924年1月21日)は、ロシア社会民主労働党ボリシェヴィキ派の指導者として活動し、1917年に十月革命を成功させた後、初の社会主義国家であるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を樹立しました。その思想はレーニン主義およびマルクス・レーニン主義として継承され、世界の社会主義国に影響を与えたのです。
さて、 「ロシアの20世紀はラスプーチンにはじまりプーチンに終わる」 と言われます。
グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン(1869年1月21日 - 1916年12月30日)は、帝政ロシア末期の祈祷僧。奇怪な逸話に彩られた生涯、怪異な容貌から怪僧と形容されます。ロシア帝国崩壊の一因をつくり、歴史的な人物評は極めて低い反面、その特異なキャラクターは悪役として非常に人気が高い。
さらに、大川 は、戦闘的同志の北一輝の話術を「魔憑り」と評して「魔王」と呼び、北は、大川 を「須佐之男」と名付けました。ここで、インスピレーションを得た私は、一つの仮説を立てました。ラスプーチンがロシア帝国崩壊の一因をつくった歴史を模倣して、大川 周明は、ある動機から、それは、心が滅茶苦茶になったからで、それは元々の、キリスト教にのめり込んだ動機を解消できないままに持ち越していたのですが、大川一個人の心に刻み込まれた感傷と罪悪感が、極東国際軍事裁判を招いたというのが真相ではないのか?そんなことを感じたのです。しかし、まさか、そんな怪奇現象がこの世にあるのでしょうか?たった一人の国民の「罪悪感」と「感傷」が国家を揺るがして崩壊させる遠因になるなんて。
しかし、人間は、すっかり信じ込んでいたことが、まったく違う。たとえば、自分の母親が、我が子を殺したいほど憎悪している現実を理解したとき、人間は心から納得出来るものでしょうか?そんなことはあり得ない。母親が、我が子に「死ね、殺すぞ、苦しめ、私より不幸になれ」と言葉ではなく、念じていることを真から理解した時、まずすることは体制を変えることです。今まで妄信してきたことを、切り捨てて、全く新しく、自分自身の幸福を追求して、進む方向を変換するでしょう。それは、報復という言葉になるかもしれない。この報復を、たった一人の国民が、頭に思い浮かべることを切り替えるだけで、日本国家を解体・改造し、思い通りの天皇制度に作り替えたなんて、誰に想像できたでしょうか?
大川 周明は、中学時代に聖書によって宗教的に目覚めさせられました。キリスト教にのめり込んでゆくのは、良心の呵責に遭って、心が滅茶苦茶になったからです。
大学では宗教の研究に進むことを固く心に決めて、熊本の第五高等学校に進んだのです。なぜ、わざわざ生まれ故郷の山形から遠く離れた九州の熊本を選んだのでしょうか?第一の理由は、西ではキリスト教と最も因縁深い土地が熊本であったこと。第二の理由として横井小楠を崇拝していたからです。
横井 小楠は、熊本藩士、儒学者。福井藩の松平慶永のブレーンとして幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍した人物。明治維新後に新政府に参与として出仕するが暗殺されました。
ところが、キリスト教への信仰以上に、大川の人生に重大な影響をもたらした事柄は、「洗礼を受けてクリスチャンになることが出来なかつた」ということです。キリスト教という奇跡とひたすらの信仰、マルクス・レーニン主義のマルキシズムという論理思想、これだけでは意味がない。日本の天皇のなかに統一された実体、骨、血、肉のある日本精神を求めていたのです。ついに、大川 周明は、戦闘的同志の北一輝が命名した「須佐之男」の本領を発輝してか、クーデターを企てます。天皇の下に金儲けに縁のない軍が中心となって万民平等の国家をつくり上げることを考えていたのです。
ではなぜ、大いなるアジア(大東亜)主義者のなかで際立った知性のある大川 周明が、青年将校たちの暴走ともいえる、クーデター五・一五事件に関わったのでしょうか?なぜ軍人たちのクーデターでしか国家改造ができないと考えたのでしょうか?
大川 周明の目指す理想的な近代国家は、レーニンの思想に似ていました。そのうえに万世一系の天皇という存在を戴ければ完璧だと、一人秘かに「美化した共同幻想」を夢見ていました。そして大川が嫌ったカネの腐臭ともっとも遠いところに位置しているのが軍人たちだと、考えていたからです。しかも、軍人は身分格差のない庶民で編成されています。
ところが、軍人は武器を独占し、暴走しかねない危険な存在でもあります。おそらく大川は「武士道」の「義・勇・仁・礼・誠」が軍人には備わっているし、大川自身が軍人たちに堅持させることが出来るという自信をもっていたのでしょう。
そして、五・一五事件が起きました。「話を聞こう」という犬養毅首相が日本間に招き入れたのを、「問答無用」として次々に拳銃を発射しました。犬養毅首相がクーデター・テロの対象になった理由がわからない。ひたすら革命家になりたい、革命を起こしたいと、そのことだけを考えていたのでしょうか?まるで革命に酔っ払っている状態であり、殺すべき相手は、誰でもよかったということになります。しかし、五・一五事件という日本の首相を殺害したクーデターの主要犯人とされる大川 周明と軍幹部の関係は尋常ではなかったのです。刑期はおそろしく軽く、それ以降も戦争に関わる暗躍を続けたのです。
そして、大川 周明には、日本が世界で孤立している現実が掌握出来ていて、絶対に戦争に勝てないこともわかっていました。
極東国際軍事裁判の法廷では、被告席にいた元首相である東條英機の頭をペタリと叩いてみせます。大川は本当に精神錯乱に陥ったのでしょうか?それとも異常を装ったのでしょうか?私は、大川 周明が異常を装ったのだと思います。ここから、私には、怪僧ラスプーチンと大川が重なって見えてくるのです。すなわち、極東国際軍事裁判によって、日本の天皇制度は、大川 周明の思い描いたままに描き換えられたことになります。大川 周明の思い描いた日本の天皇制度に書き換えるために、大川 周明は、ロシア帝国崩壊の一因をつくった怪僧ラスプーチンさながらにして、大日本帝国の崩壊の一因をつくったとしか考えられないのです。
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