本日は、フランツ・カフカの「火夫」を読んでいます。
私の読み方は、まず、作品を黙読して、内容を把握します。
次に、自分なりの小説やエッセイに書き換えます。
ここまでは、書き言葉を遣います。
書き終えると、カフカの「火夫」を朗読します。
ここでは、声に出す、言葉を話すために、音読・話し言葉を遣います。
話し言葉と書き言葉は、どちらも必要です。
家の中での、書き言葉・話し言葉の訓練は、生きてゆく人生の上で、どういう意味を持つものでしょうか。内面の世界の不安や違和というものは、現在の不安のように見えますが、実はそうではなくて、これから生きてゆく人生の将来の不安や違和、恐怖を象徴しています。家の外での関係意識と了解意識、与えられた現実への関わり方の方法、生きてゆく現実の世界の認識の方法に基付いて、この逸脱や歪みから発生するものです。
人間の一生において、何も書かない、誰とも喋らないで生きることは辛いことです。
朗読をすることや小説を書くことで、こうした生き難さは、「乗り越えていくべき課題」に姿を変えてくれます。これは、他者の観念に、自分の観念を内容本意に辿らせていくということです。
カフカの「火夫」の主人公カルルは、女性の欲望の理不尽さ、意味不明さに翻弄されて、頼るものがなく、ひとりぼっちで助けのないさまに陥ります。主人公は、強いられてくる強圧に不安や恐怖を覚える存在の象徴です。この世の中には、真の安全や安心というものはありえない反面、その強圧や暴威の真の発生の原因、しくみ、必然をなす根拠というものが明瞭になる時、必ずしも、恐怖や不安を感知し続けることはできないのです。主人公の心に魅入り、守ってくれる人は、真相を語る火夫だけです。しかし、火夫は真相を話しているのに、それが人から見て理論性とか説得性がないために、主人公以外、誰も信じない。
権力や権利がないと言葉は言葉として機能しないし誰とも繋がれない。これが真相です。
この真相を覆い隠して、遂には排除するために、出来るだけ大勢の人々に、同じ言葉を言わせることで、説得性を捏造することができる。同じ言葉の集合体には、意味不明な偏見が、権力に変わるように仕向けるトリックが仕掛けられています。すなわち、理不尽な残酷さによって、権利は保証されるという現実が描かれています。
しかし、この小説の教訓は、強いられてくる強圧への不安や恐怖の発生や成立の原因や根拠に対して、誰も関心や興味がないという、絶望的な恐怖を如実にものがたります。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/tbs/politics/tbs-1338905
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