Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

Jimmys' Paradise

2011年06月18日 | 日記
友人夫婦が二年前から移動式カフェを始めました。

その名もJimmys' Paradise

ずっとずっと行きたいと思いながら、
なんか忙しさに紛れてしまって、延び延びになっていたのです。

今日、やっと行けました!
店主のこだわりが分かる、むっちゃアメリカンなお店です。
アメリカン・グラフィティのような世界が再現されています。





Jimmys' Paradise ブレンドを注文。
すぐにいい香りがして来て・・・



コーヒーにはそこそこうるさいつもりの私ですが、
マジで、すごーーく美味しかったです。

場所は花小金井駅から徒歩10分ほど。
光ヶ丘ふれあい商店街の中です。
これからの季節、かき氷もいいね~。

すでに、ここはコミュニティになっているよう。。。
色んな仲間が集まっています。

さて、記念の一枚。
今日はメガネだったのだ。



くりかえし

2011年06月16日 | 日記
「私は眠り夢見る、
 生きることが喜びだったらと。
 私は目覚め気づく、
 生きることは義務だと。
 私は働く―――すると、ごらん、
 義務はよろこびだった。」
   
          (タゴール)


この詩を紹介してくれたのはアーサー・ホーランドさんだった。
御茶ノ水でやっているフライデーナイトという会での事。
私も時々関わらせてもらっている。

この詩を若い頃に知っていたらどんなによかったか、と思う。
若い頃に聞いても共感できなかったかもしれないけれど。

日々のルーティンにうんざりして、もっと意味のある事を求めたりする。
自分にはその価値があるのだ、とか考えたりして。

だが、そういう思いの先には渇きや焦りしかない。
逆説的だけれど、突破力って一度そのルーティンに深く潜って
全力で取り組んでみる事でしか得られない気がする。

すると、ある時ふと
「これを一生のものにしてもいいな」と考えられる自分を発見したりする。

どんな場所にも、どんな役割にも
面白さや喜びってあるものだ。

でもそんな時、神様は次の扉を開いて呼んでいたりする。
「いや、実は今のあなたにしてほしい仕事があるんだ。」とか言っちゃって(笑)。

それは、はるか昔に望んでいたものかもしれないし、
思いも掛けなかった事かもしれない。

そしてまた、義務に生きる日々が始まる。

・・・人生の歩みっていつもそんな事の繰り返しのような気がする。

アクションプランナー

2011年06月05日 | 日記
手帳はずいぶん色々あれこれ試しました。
大好きな「7つの習慣」のフランクリン・プランナーを使ってみた事も。
でも、ちょっと私にはtoo muchでした。
一日1ページだし、とにかく大きくて。

自分で週間予定表の枠をパソコンで作って、
それをプリントアウトして持ち歩いていた事もあります。

モバイル端末を使っていた時期もありますが、
バックアップの際、書き換える側を間違って選択してしまい、
青くなった事もありました。

ここ2年近くは、ずっと無印良品の見開き1ヶ月の手帳に
決まった予定だけ書いて、後は別のA5のノートに
プロジェクトやタスクやアイディアなんかを自由に書いたり・・・とか
そんな風に使い分けしていたのですが、
そろそろまたちゃんと時間管理をしてみよう、という気になりました。

・・・と言うのも、佐々木かをりさん提唱のアクションプランナーに出会ったからです。

一日を30分単位に区切って、管理すると言うのが、このやり方。
手帳やノートは一元化。
いつ、何をやるのかがすべて記されたこの手帳は
いわば人生の脚本なのだそうです。

仕事や人との約束も、家族との時間も、仕事の準備のための時間も、
家事も、プロジェクトも、やりたい事も、
すべて手帳に書いて、そのための時間を取り分けない限り、
決して実現しない。

確かにそうですね。
ずうっと気になって、ノートに書いているのに
TO DO LISTから決して消えない項目ってあるものです。

また、いつか手をつけようと思っていて、心からやりたいのに、
いつもいつも後回しになってしまう事柄も。

つまりは、それをするための時間をスケジュールの中に組み入れていないからです。
大切な事は大切な事として、ちゃんと時間を配分しなくては。

さて、アクションプランナー、見た目は非常にシンプルです。


糸で綴られているので、リングのシステム手帳のようにかさばりません。
表紙は真っ白。
これに好みのカバーをかけて使います。
このカバーがいきなり7千円!とか高いので、
家にあった好きな布で作ってみました。


家の座布団にもなってる布なので、ちょっと連想が。。。
でも、私らしいオリジナルが出来ました。

1年が半分も過ぎてからの手帳の新調ですが、
ちょっと嬉しい。

自分の脚本づくり。
明日から始めてみます。

実家の片付け その3

2011年06月05日 | 日記
2週間ぶりに訪ねた実家は大幅に模様替えがされていました。

何と言っても昭和40年代初頭に建てられた公団の狭い賃貸住宅です。
そこに両親の結婚生活のすべてと巣立って行った娘たちの残した残骸があるのですから、片付けは大変。

でも、かなりのモノが捨てられ、
家具もあるものは解体され、
あるものは部屋から部屋へと移動され、
あるものは横になって使われていたものが縦にされたり・・・と
まるでジグゾーパズル!

これをすべて喜寿を過ぎた父が一人でやりました。

「もぅ~~。お父さん一人でやるなんて~。
 私を呼んでくれれば手伝ったのにぃ~。」

と、一応言ってみましたが(笑)、
私はそっち系の才能が乏しいので使いものにならない事は目に見えていますが。

実家滞在時間はいつもだいたい2時間くらいです。
冷蔵庫を漁って、
ピアノをちょこっと弾いて、
昼寝して、
帰って来ました。

帰り道、買い忘れがある、と言う母と一緒に商店街まで。
改めて歩いてみると、本当にたくさんの店がクローズし、
まさにシャッター通りでした。

「ここは○△商店だったよねぇ~~?」
「ここって、何だったっけ??」

などと記憶をたどりつつ、
子どもの頃から見慣れたおばさんが、髪が白くなっても尚ちゃきちゃきと店番をしている姿にちょっとホッとしたり。

日本の戦後って本当に変化の激しい60年余だったんだなぁ・・・と。

何もない所から始まって、高度成長を続け、人口は増え、モノはあふれ。
そしてこれからは人口は減少し、経済は停滞し、高齢化して行く。

たった数十年の間にこんな大きな変化に適応しなければいけないのですから。

親の世代の常識はいわゆる上り坂。
でもそれはもう私たちの生きて行く上での常識にはなりえないし、
人としての原則は変わらずとも、私たちは新しい知恵を得なくてはならない。
そして、私たちの世代の常識は次の世代にはもう通用しないし、
よかれと思って敷いて上げたレールが逆にあだになるかもしれない。。。

とは言え、柔軟さや変化への適応は大切だけれど、
原則を見失えば、あらぬ方向に行ってしまう。

いや、もしかしたら、これまでの20世紀が既に原則を見失った社会で、
今はそのツケが回って来ているのかもしれない。。。

かつての商店街を歩きながら、そんな事を考えていました。
やっぱり寂しいよ。
シャッター通りは。。。

ニッチ

2011年06月02日 | 日記
この頃茂木健一郎さんのツイートに示唆を受ける事が多いのです。

一昨日は才能について書いておられました。

茂木さんは勉強には全く苦労しなかった、
そういう事は、だいたい小学校の低学年くらいで分かるもんじゃないか、と。
一方でスポーツや絵が得意な友人たちがいて、劣等感を感じていたそう。

それぞれ違った所が得意で、それでこそ全体として豊かな世界が生まれる、
だから、直線的な競争の原理で考える事は間違っている、と。

そして、その得意な事と言うのは、つまりは脳の個性で、
「才能」とはすなわちニッチ(生態的地位)だと書いておられました。

よく、隙き間ビジネスなんかでニッチな市場なんて言葉が使われますけど、
やりたい事と得意な事が必ずしも一致するとは限らない。
だから、それぞれがそれぞれのニッチを探し続けるのが、人生だと言うのです。

音楽をやっていると、才能ないなぁ~と感じる事がしょっ中あります。
周りにすごい方たちがいっぱいいますしね。

時に、私は何か間違った人生の選択をしてしまったんじゃないか、とか、
ホントはもっと合ってる事があって、そっちの方面に注力していれば、
もっともっと世界が広がったんではないか、とか
どよ~んと落ち込んだり(笑)。

で、振り返ってみました。
子どもの頃の事。
その頃の私と音楽の関係。
すると、色んな記憶がよみがえって来ました。

そういえば、初めて人前で歌ったのは幼稚園のクリスマス降誕劇の時です。
イエスの母、マリアの役で讃美歌をソロで歌うと言う場面がありました。
母は子どもの晴れ舞台に心配したようです。
声が出ないんじゃないか?つっかえるんじゃないか?
でも、当の本人の私はまったく平気でした。

6歳になるちょっと前にピアノを習い始めました。
同年代では遅めのスタートでしたが、楽しくて楽しくてすいすい進み、
先に始めた友人たちをどんどん追い抜いて行きました。
そして難しい課題であればあるほど、闘志を燃やしていました。

当時のピアノの先生の所では月に1度、同年代の生徒たちを集めて聴音のクラスがありましたが、
何故かいつも不思議と音が分かりました。
単音でも、二つ、三つと音が重なっても聴き分けられるのです。
音の早当てクイズがありましたが、いつも最後までついて行けるのは
私と、もう一人の友人だけでした。

初めて渡された譜面を歌う事も簡単でしたし、
大学受験で高三の秋になってから音楽系を受験しようと決めた時も
それまで化学やら英語やらの勉強は全く進まなくて惨憺たるものだったのに
音楽理論の勉強になった途端、すぅっと身体に染み込むように理解できました。

こういう事は一生懸命努力して出来た、と言うよりも、
当たり前にごくごく自然にしていた事でした。

そして、私が簡単だと感じる事に苦労する人たちがいる、また逆も、という事も知りました。

してみると、私のニッチは確かに音楽方面なのです。

では、時折感じる自分へのこの失望感は?と問うてみると、
それこそが、直線的な競争の思考だと気づくのです。

結局・・・音楽という中にもやはりニッチがあって、
それを探して行くのが人生なのかなぁ。