蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

花、狂う

2012年10月13日 | 季節の便り・花篇

 2枚の葉から始まったこの花の我が家の歴史は、もう35年になる。起点は沖縄だった。住み着いた豊見城の我が家の庭に、見たことのない多肉植物を見つけ、2枚の葉を捥いで花好きな福岡の父に送った。父が丹精を込めて次々に鉢を増やして花を咲かせ、時にはご近所を招いて花を見てもらうまでになった。当時この花まだは珍しく、我が家ではやったことはないけれども、花が咲くと知らせたら、新聞社やテレビ局が取材に来るほどだった。

 父が逝ったあとを母が受け継ぎ、母の死と共に私がそのあとを引き継いだ。古くなって弱ってくると、又元気な葉を捥いで鉢に挿し……そんなことを、もう何世代繰り返したことだろう。南米を原産とし、台湾から長崎に渡って全国に広がった花である。不思議に、全国ほぼ同じ夜に花を咲かせる。ご近所や友人宅にも、我が家から幾鉢かお嫁に行った。
 棘とげの小さな蕾が、やがて大筆のような蕾となり、それが次第に首を擡げ、やがて45度ほどの角度で立つと、数日で綻び始める。夜8時頃から徐々に膨らんで花びらを広げ、ある瞬間から息詰まるほどの濃密な香りが一気に溢れる。10時頃には豪華絢爛の花が漲るように満開となり、翌朝にはすっかり萎れてうな垂れるという、紛れもなく潔い「一夜限りの花」故に、人々が慈しみ愛でてきた。

 そのリズムが35年目に初めて狂った。急に冷え込んできた朝だった。そろそろ、と思っていた今年最後の月下美人を部屋で咲かせようと庭に下り立ったところ、何と眩しい日差しを浴びながら、満開の花を咲かせていた。日差しを浴びる月下美人なんて、35年一度も見たことのない現象である。気候の異常が、デリケートな花を狂わせたのだろうか?夜の闇に咲いてこその「月下美人」である。何となく気持ちがざわつく朝だった。

 いつもの散策路を歩いた。89段の階段を上り、博物館の横を抜けて北側に抜けると、小さな雨水調整池に至る。(希少種・ベニイトトンボが生息する貴重な池であり、かつて「ビオトープ」として守り育てたいと博物館に提言したが、残念ながら一蹴された。私にとっては曰くつきの池である。今では水蓮が植えられたり、亀が放流されたりして、生態系は乱れてしまった。)
 入館者が先日1000万人を超え、記念に太宰府天満宮名物の「梅ケ枝餅」が5000個配られていた。その焼きたての1個をいただいて、ポケットを温めながら池のそばの四阿を抜けると、お気に入りの遊歩道が始まる。湿地には蒲の穂が立ち、一面のミゾソバがピンクの花を敷き詰める。数珠玉も黒く色づき始め、真っ赤なトンボや、キチョウ、ツマグロヒョウモンが舞う。木陰をかすめる黒い影はまさしくクロヒカゲ。足元にはバッタが跳ね、導くようにハンミョウ(ミチオシエ)が小刻みに飛んで逃げる。檜と孟宗竹がトンネルを作るほの暗い小道は、やがて110段あまりの急な階段を経て、博物館へ至る車道に登りあがる。いつもは早足で一気に登る階段を、踊り場毎に足を止めて息を整え、風を聴き、緑を呼吸しながら、木立を群れて抜けるヒヨドリを目で追った。

 車道から、天神山の遊園地を巡る散策路にはいると、斜面には漸く平地に降りてきたススキが今真っ盛りである。その先の小さな梅林の足元の草むらは、毎年真っ先にオオイヌノフグリが咲いて、私に早春の訪れを知らせてくれる場所である。
 緩いアップダウンの山道を、少し後ろめたく思いながらドングリを踏んで歩く。玄関の棚の飾りに、いくつかのドングリをポケットに入れた。額の汗を秋風が弄って過ぎる。捲り上げた腕の汗の匂いに誘われて、藪蚊がしぶとく吸い付いてくる。たけなわの秋までもう間もなくというのに、秋の「哀れ蚊」というには些か躊躇うほどのしたたかな痒みだった。天開稲荷の脇を抜け、まだ青いウバユリの実が立つ山道は人の姿もなく、落ち葉を踏む私の足音だけが静寂を破る。
 博物館のエスカレーター・エントランスのそばに下り、うぐいす茶屋の脇から、天満宮の西高辻宮司邸の裏を抜けて、光明寺の前から国博通りに出た。

 ちょっと山野草の店「うさぎ屋」に寄り道して、ピンクの大文字草を買った。ここ数年の酷暑と日照りに加え、40日を越すアメリカへの長旅の留守で、多くの山野草の鉢を枯らせてしまった。
 やっぱり秋には大文字草が欲しいと、ふと思った。
             (2012年10月:写真:日差しを浴びる月下美人)