今朝、兄から電話があって、100歳の伯母が昨日亡くなったことを知った。
伯母は我が家から30分くらいのところにある「百寿苑」に入居していたので、11月中旬に会ったばかりだった。
片足をちょうど骨折した後でギブスをした車椅子姿だったが、頭はしっかりしたもので、私のこともすぐ名前で呼んでくれた。
女学校を出て歯科医と結婚。6人の子供を育て、伯父が始めた保護司の仕事のあとを引き受けて、32年社会奉仕。保護司連合会などの役職にもつき、昔名刺を見せてもらって肩書の多さに驚いたことがあった。
千葉の館山に住んでいたので、子供の頃よく兄と夏休みに遊びに行き世話になった。帰りに駅で切符を買おうとすると、それは小遣いに取っておいたらいいよと言って切符を買ってくれた伯母だった。
母世代に仕事を持つ女性が身近に持たなかった私にとって、伯母は社会性をもつ女性のよき見本だった。大学時代も遊びにいったし、結婚後も遊びに行き、伯母がホームに入ってからも遊びに行った。
前は、便箋がほしいとか、国語辞書、誰々の小説、みんなに配れるお菓子がほしいとか言っていた伯母が、今回行った時は、何もいらないのと言った。そして、部屋はきれいに整理され、小ざっぱりと印象で、物も最小限のものがあるだけ。伯母からは、物欲が消えてしまったように感じられた。
そんな伯母の姿を見ながら、自然と何ひとつ物をもたずに空を飛ぶ鳥の姿を私は重ねていた。
(旅する鳥は、荷物のひとつも持たずに飛び立っていく。元気そうに見える伯母だが、飛び立っていく日が近いのでは?)
そんな思いがした。
そして、思いがけずに早く訃報を聞いた。
あの伯母は、やはり何も持たずに鳥になって旅立ってしまったのだ。
夫や、伯母の弟夫妻である私の両親のいる世界へ。
伯母さん、お世話になりました。ありがとう。
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