我が家の近所のホームにいる87歳の義母が、万年筆を買いたいという。文具を集めるのが趣味なのか、家には10本近い万年筆があり、ホームにあるだけでも5本位はあるのに、どれも良く書けないからという。
確かに、私がカートリッジを替えたり調整しても、次に行くと書けなくなっていることが多い。義母は、前にインク壺がほしいと言って買い、うまくいかないと壺に万年筆を浸けて書いていたようで、それが万年筆の寿命を縮めてしまったように思えた。
「文房具は丸善」といつも口癖の義母を丸善は遠すぎるので、船橋のデパートに連れて行った。
万年筆売り場にいくと、(丸善でない文具は、品質が悪いもの)という考えで凝り固まった高級住宅街育ちの義母の話しに、応対の男性社員がやさしくやさしく耳を傾けてくれた。そして、丸善においてあるのと同品質の同じ製品が船橋でもちゃんと買えることを丁寧に説明。根気づよく万年筆選びにつきあってくれた。
「もう、こんな年寄りの相手はいい加減いやになったでしょ」と何回も店員に声をかけながら、「とんでもございません。ゆっくりお選びください」というのに甘えて、本当に30分以上かけてやっと1本の万年筆を選んだ。
そして、ふたは使用後はしっかり閉じること。書きづらくなったら、インクカートリッジの交換のついでにペン先を水に1晩浸して、よくインクを溶かしだすとずっと使用できることを教わった。
万年筆が「万年」使えるためには、大事にメンテナンスをしてあげることが必要だったのだ。
ホームに義母を送ったついでに、書けないという万年筆をすべて回収。家で、ペン先を水につけてみた。何回やっても大量のインクが出てきた。
そんなことをしながら、高級万年筆を何本も持ちながらメンテナンスもせずに過ごして来た義母のことを考えた。
高級住宅街に住み、お金に不自由せず、たくさん丸善で買った高級万年筆に囲まれてすごしても、義母の生活は孤独で満たされていたのかもしれない。新しい万年筆を買うとき、船橋の店員のようにしっかり自分を相手に丁寧に向き合ってくれる買い物のその時が、義母にとっては一番の買い物だったのではないか。
「昔の店員は、みんな今の人みたいだった」と言っていた義母。
老人が細かいお金を出す暇もあたえないようなスーパーのレジ。慌ただしい生活の中で、誰もが心を十分に働かせる時間を失いがちだ。
まだ義母がひとりで家に住んでいた頃、家に遊びに行くと台所には食器やごみが散乱し部屋は洋服や物があふれて足の踏み場もなく、庭は荒れ放題。片づけに追われて、行く度にその繰り返し。「ねえ、ゆっくりここに座って話さない?」と声をかけられても、そんな悠長なことをしている時間がなかったことを思い出す。
同じものが大量に買ってあったり、使いきれない洋服や帽子やバックに囲まれていた義母の生活の様子が思い起こされた。ヘルパーを入れても、掃除をそこそこにお茶を入れて話をしていた義母。
なんだか、万年筆の買い物でいろいろなことに思い当った1日だった。
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