ゆりのき台自治会

このブログは東京都八王子市館町
「ゆりのき台自治会」の広報ページです

第1回ゆりのきセミナー

2008-01-23 10:10:59 | お知らせ
2007年12月2日自治会館で開催
主 催:ゆりのき台自治会
講 師:横山南住民協議会会長 田野倉 是氏 
テーマ:「館町の歴史と奉仕活動50年」
進行役:森田副会長
記 録:金一事務局長

《「お日待ち」がコミュニケーションの原点》
 田野倉さんは大正14年5月生まれで、現在82歳になられます。長年にわたり地域への奉仕活動をされていますが、どういう気持ちで奉仕活動を続けてこられたのか、お聞かせください。

 昔、この地域は南多摩郡横山村という所で例えば私の集落では20軒位しか家がなく、山に入ると何が出るか判らないような所でした。昭和30年八王子市と合併して八王子になりました。
当時、周りには買い物するところなどはあまりありませんでした。家では蚕を飼ったり農業が主な仕事でした。各家では八畳間が二間続きであり、何かあると持ち回りで集まってよく話をしたものです。
 “お日待ち”(農村で人々が集まって宴会をする行事)という言葉がありますが、皆で当番の家に集まって世間話をしたり、たまにはお酒を飲んだりします。そういう会をするために五合枡より少し大きめの枡がありました。当時の農家は蚕の真綿を売ったり、農産物を売った時しか現金が入らないものですから、現金収入は年間に2回ほど。新しいシャツなどはお正月にしか買って貰えない時代でした。
皆のコミュニケーションの場として“お日待ち”があった訳ですが、お日待ち用の枡を各家庭20軒ほどに回し、そこにお米入れて当番の家でご飯を炊いて皆で食べたり残ったお米を売って、惣菜を買ったりしたものです。
昔の人も常に隣近所仲良くして助けあっていました。お葬式などがあると20軒集まって3日間ぐらいやるものですから、お米が一表ぐらい無くなってしまいました。お葬式が出たときの準備にお米を使わずに残して置いたものです。土葬の時代ですからその係りの当番がいて、その人たちが土を掘って埋葬し、埋葬が終わると“壇払い”と称して係りの人を労いました。
皆で助け合ってコミュニケーションを図り、街作りをしていました。私もそういうことを子供のころから見ているものですから、集まってコミュニケーションを常にとっていくものだと思っていました。
 いつの時代でも、常に皆さんが集まれる場所を大事にしてコミュニケーションを図って、何でも言えるような場を作ることが大切です。団地などで、回覧は回すけれど集まって話をしないと、ご主人がどこに勤めているのかも判らないところがあり、それでは駄目だと思います。やはり集まりを設けて、何かが起きたときは皆で力を合わせて乗り切っていくという気持ちが大切だと思います。私もそういうことがとても大事だと思って奉仕活動を続けています。

《街を明るくしようと街灯設置》
 街が大きくなり、新しく入ってきた人が増えてくると、まとめていくことにいろいろご苦労があったと思いますが。

それまでの生活環境や風習が違うので、新しい人と交わるのはなかなか大変です。
北野街道から今のめじろ台の方には畑で、家が一軒もありませんでした。高専通り沿いの区画整理では、今の永生病院の所は10メートルも低い谷間で下に田んぼがあり、埋めたてて団地を開発したわけです。そこに移り住んだ新しい人と前からいる古い人は習慣が違うので、なかなか溶け込めない。私はその頃町会長をやっていましたが、新しい街ができたのだから街灯をつけて明るくしようと、町会で街灯をつけました。そこが今は素晴らしい街になってきました。
高専通り沿いには1000所帯近く家があり、またアパートが多くてお付き合いするのが大変です。
「町会に入ると何かメリットがあるのですか・・」と聞かれると、それを説明するのが大変。しかし、「近所隣話し合える仲でないと困るので是非町会に入って下さい」と口説いて歩きました。

《大切な「暇をかく」考え方》
 ゆりのき台も新しい団地ですが、ここが開発されると聞いたときどんな気持ちでしたか・・。

ゆりのき台の開発には、私の先輩の小林さんという館町の会長さんが尽力されました。体調を悪くされて団地が出来上がる前に亡くなりましたが、小林さんは開発に当たって、どうやって地域と融和させるか大変苦労したと思います。今、ゆりのき台は素晴らしい街になっていますが、幕内さんのように誰か先頭に立って暇をかく人がいてはじめて街づくりができると思います。


 田野倉さんは今“暇をかく”表現されました。仕事を持っていてその合間に奉仕活動をする事は大変だと思いますが、どうしてそれが出来たのですか。

 中々大変なのは事実ですね。
小学校のPTAの役員をやっていたころ、この広い横山に中学校が1校しかなくて、大船からも寺田からも横山中学に通っていました。
横山中学校を作る事になったのですが、村にお金が少ない。村長さんから皆で整地をしてくれないかと頼まれた。村長さんが黒澤さんで私は青年団長でした。皆自転車に乗ってきて整地しました。村から多少手間賃を貰ってそれを青年団の費用に当てたのです。現在の田中町自連会長をとも古い友達ですが、彼は川口に住んでいる。お互い自転車に乗って会っていました。幹線道路しか舗装されていなくて砂利道を自転車いくのですから、大変な時代でした。
 こんなことがあって街づくりしてきましたが、青年団が終わると消防団に入るなど色々段階がありまして、中々足を洗えません。商売を始めてすぐ、中学校のPTAの副会長をして、家内をPTAに出したのですが、校長先生から連絡が来て、田野倉さん出てきてくれと言われた。商売を始めたばかりで右も左も分からない時期で大変だったけれども、人に店を頼んでPTAにいきました。
仕事の合間に時間を作って奉仕をやってきました。

《保護司21年》
 仕事と奉仕活動の大変なときに“保護司”(犯罪者などの改善・更生を助け、犯罪予防に努めることを使命とする非常勤の国家公務員)をなさっていますが。

私は人を指導できる立場ではないと断っていたのですが、連合町会の会長の林さんが、自転車にも乗らず歩いて私の家に通ってどうしてもやって欲しいと口説かれて昭和58年に引き受けました。
保護司というのは“刑務所”とか“少年院”にいる人が仮出所・仮退院で帰ってきて、家庭とか周りに大事にされて更生できるかどうかを調べて報告する役割です。住んでいた家に様子を聞きにいく訳ですが、行っても大事にされない家もあるし、怖い家もあり、始めた頃は大変でした。仮出所で家に帰ってきて暖かく迎え入れてくれるかどうかを私たちが調べて報告をして、それで出所が決まるわけですが、なかなか難しい家庭の事情もある。そのためか、今も若い人は保護司になかなかなってくれません。しかし、保護司をやっていると交通違反も出来ないわけで、その点は自分のためになりました。

保護司を始めた最初のころ、椚田中学の子供でしたがお父さんの体が弱くて、お母さんが一人でいるときにグループの友達を家に連れてきていろいろ悪さをしてお母さんが困っていました。伊豆に嫁いだ姉がいて、そこの旦那さんが「俺も若い頃は悪い事していた。俺のところに寄こせ」ということで伊豆に行ったのですが、居酒屋の仕事をしながら、その子の面倒をみてくれたのです。
そうしたらその子が改心して、ラーメン屋を始めたのできて欲しいと連絡があり、行って来ました。「おかげ様でこんな店を持てるようになりました」と言うことで子供が3人もいて私も嬉しかったです。今でも年賀状のやり取りをしています。

 今回テーマでもありますが50年間も奉仕活動を続けてこられたと言う事は、奥様の理解があったからだと思いますが。

 家内とは結婚して55年になります。先日もある集まりに行ったら議員さんが、「何をするよりも奥さんを大事にしろ」と言っていました。「私の娘は議員の嫁にはやらない」とも言っていました。私もたまたま家内に恵まれて理解してくれたので出来たのだと思います。“また親父は出かけるのか”と、思われたらやってられません。

《お互いに認めて、言いたい事が言えるような街づくり》
 ゆりのき台自治会をどのようにご覧になっていますか。

幕内会長以下、よくまとまっていていいと思いますよ。横山南市民センターを建設するとき地主さんが北野の人で、私も何回か土地の購入交渉で通ったのですが、最後は友達になって他には売らないということでセンターが建ったのですが幕内さんには色々お世話になりました。幕内さんがいなければセンターは出来なかったかもしれません。

この団地は若い人が多いので、顔も名前も一致しないかも知れませんが、お互い会ったときは挨拶をした方がいいと思います。私もそのように心がけています。そしてお互いに行ったり来たりできるようになればいいと思います。こんな立派な場所があるのだから常に皆で集まったらいいと思う。私の町会でもゆりのき台の人のことは皆あまり知らないので皆に話して、早く仲良くできればいいと思います。当然それぞれ雰囲気が違うので、われわれみたいな古い人間がいかにして皆さんと付き合っていくかを考えて行きたいと思います。周りと付き合いをしたくないからと引っ越してくる人もいるようですが、それでは街づくりができません。お互いに認めて言いたい事が言えるような街づくりをして欲しいと思います。
大事なことは心とか、思いやりだと思います
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