暁に咲く幻の花

花が咲くように生きていきたいな。日々のあれこれ、嬉しいこと楽しいこと好きな人のことを、花や自然にことよせて綴ります。

~夏休みは休みじゃなく~ と 『暁』

2015-07-21 22:05:49 | シンガーソングライター

こんばんは。
梅雨があけました。太陽のギラギラした熱を感じる夏休み、三連休明けの21日からが夏休みの様々なスケジュールが動き出しました。
これなら夏休みはなくていいと思うくらいイヤになりました。
 中学生と小学生低学年じゃ時間の過ごし方が全く違います。
普段学校が作成してくれた時間割を家で作って、チャイムもないから私がひたすら指示することになります。
夫を除いた3人のスケジュールを毎晩画用紙に書いて、どの時間に誰がどこに行くか書き、合間に私の家事スケジュールを埋めていく作業を先程もしたのに、「俺、午後からNの家で遊ぶから。あ、お菓子とか持ちよりだから、買っといて」と中学生の息子。
あなたはその時間は、ギターの先生と音楽の宿題の作曲をする予定でしょう、と言っても中学生になって新しく出来た友達との約束です。約束は破ってはいけません。でも、でも宿題が…
仕方なくギターの先生にはドタキャンです。
次は許しませんと言ってもどこまでわかっているのやら。
娘はまだマジメにスケジュール通り動くのですが、学校の自由水泳に行って疲れて昼寝してしまい、スケジュールが押します。

 朝、学校に送り出せば下校時間までいない普段の生活のありがたみがわかります。
去年はまだ同じ小学生だったのでマシでした。
中学生には登校日があり、宿題の一部はその日が提出日なので、悠長に8月31日までにやればいいじゃん󾠔なんて余裕はないのです。
学校側も宿題はさっさと仕上げて、受験に向けての自主勉強をしろという意図があるのでしょうが、中1にはまだ受験なんてピンときてないので本当にのんびりしてます。
先生はあの反抗期真っ盛りの中学生が親のいうことを大人しく聞くと思ってるんでしょうか?
学校で皆と集団行動をしていれば時間割通りに動きますが、テレビやゲーム、パソコンがある家で誘惑に負けずスケジュール通りに動くのは難しく、その上友達から誘われたら塾なんて後回しになりますよね。
 夫にはもっと力を抜いて、予定は狂うものだと慰められました。
多分、夫がいなければ私は壊れます。螺が切れたオートマータ人形のように。
のんびり屋なのにどこか完璧を目指してしまうから、出来ないことでも無理にでもやろうとして、私は時々、糸が切れて倒れてしまいます。出来ることをゆったりと進めたいたいですね。
無理を通せば、何かかが壊れるかもしれません。

 庭に南天の木があります。
怖い夢や悪い夢を見た時は南天の木に聞いて貰うと良いと聞いて以来、怖い夢だけでなく辛い事も南天の木に話して、聞いて貰ってます。
南天=難点 難、転じて幸いと為す。
南天の木に聞いて貰って、難点を乗り越えてきました。
南天の木さん、何時もありがとう。

  波風ひとつたたない人生はない(中略)
    僕は信じるあなたならどんな悲しみも苦しみさえも
      生きてく力にできると
    いまは あなたの心にある太陽が
           燃え尽きそうでも

     福山雅治 『暁』ゟ
私の大切な曲です。いつも勇気を元気を貰います。
明日からまた始まる1日。
笑顔でいたいですね。




蒼い花の花畑 不思議な世界への入口みたいです。

暁の空 明けの空にうかぶ明星 私も誰かの明星に成りたいです。

読んでいただきありがとうございました。

鬼灯の思い出

2015-07-21 05:59:03 | シンガーソングライター

こんにちは。
書きたかったのについ忘れてしまった、鬼灯(ほおづき)のこと。
浅草寺のほおづき市はいつか行ってみたい市の1つです。
七月十日は、四万六千日(しまんろくせんにち)と呼ばれる観音様の功徳日です。参詣すると、四万六千日分の御利益があるそうですね。
何故併せてほおづき市も催されるのかは、調べていないのでわかりません。
私より関東在の方が詳しいでしょうし、関西にもあるのかもしれませんが何分、実家も婚家も神道の家柄で仏教に疎いのです。

 ほおづきの語源は色々あります。
実が人の頰に似ているから説、実を口に入れて膨らませて頰をついて鳴らすから説、ホホという虫が大好物で寄ってくるから説、実が火のように赤いことから火火著(ほほつき)説、妖しげな赤い提灯のイメージから鬼灯説、などです。

私が気にいって使っているのが鬼灯で、【きちょう】と呼んでいます。
響きもいいし、着物を着た色白の
若く美しい女性がほおづきの形をした提灯を持って、夏の夜にほんのりと赤い灯りに照らされた道を歩く…
何だか妖しい異形の美しささえ感じるのに、手には四万六千日の御利益をいただいた観音様の参詣の証の、ほおづきを持っている。
夢の中か現し世か、観音様の使いでこの世とあの世を行き来している何かが持つ灯り。そんなイメージを膨らましてしまうのです。

 また鬼灯には遊びとしての想い出もあります。
赤い硬い実を潰さないように柔らかくなるまで揉み、中を取って膨らまして吹く遊び。
祖母から庭に成った実を沢山貰って、他愛ない話をしながら、でも手だけは一生懸命実を揉みます。
残念ながら、私は天性の不器用者で柔らかくなった実を潰してしまうか、夕ごはんの時間がきてタイムアウト。お風呂に入ったあとはほおづきのことなど忘れてしまい、次の日また始めから揉み続ける。
 多分、幼い私は、ほおづきを吹きたいのではなく硬く赤い実の感触が好きで、赤ちゃんのように同じ行動を楽しんでいたのでしょう。祖母の話や祖父の話を聞いて、一緒に昔の遊びをするのが夏の楽しみだったのかもしれません。それを知っていた祖父母は毎年私の為にほおづきを育て、沢山の実をつけて私が遊びに来る夏休みを待っていたのだと今はわかります。

暑いけど、今ほど暑くなかった小さかった私の夏休み。
氷の浮かんだ涼しげなグラス、風鈴の音、蝉の声。
金魚すくいに夢中だった神社の縁日、祖母に作って貰った白地に赤い朝顔の浴衣を着て行った盆踊り。珍しかったビー玉の入ったサイダー。シュワーっとした炭酸が口の中で弾けるのが楽しかったです。蚊帳の中に布団をひいて寝た夜。蚊取り線香の香り。
もう二度と戻ってこない、あの夏の日。
 鬼灯を持った美しい女性がくれた、楽しい子供時代の大切な大切な想い出。お祭りは毎年あるけれど、同じ祭りは一度もありません。

 福山雅治さんの夏休みは『蜜柑色の夏休み』でした。
私の夏休みは『鬼灯色の夏休み』
どちらもお祖母ちゃんの想い出が沢山ある夏休みです。

皆さんの夏休みの想い出は、何色ですか?





読んでいただきありがとうございます。