和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:述而第七 〔34〕 丘の禱るや久し


論語を現代語訳してみました。



述而 第七

《原文》
子疾病。子路請禱。子曰、有諸。子路對曰、有之。誄曰、禱爾于上下神祇。子曰、丘之禱久矣。

《翻訳》
〔し〕 疾〔やまい〕 病〔あつ〕し。子路〔しろ〕 禱〔いの〕らんことを請〔こ〕う。子 曰〔のたま〕わく、諸〔こ〕れ有〔あ〕りや、と。子路 対〔こた〕えて曰〔い〕わく、之〔こ〕れ有り。誄〔るい〕に曰〔い〕わく、爾〔なんじ〕を上下〔じょうげ〕の神祇〔じんぎ〕に禱る、と。子 曰〔のたま〕わく、丘〔きゅう〕の禱るや久〔ひさ〕し、と。




《現代語訳》


あるとき孔先生が、長いあいだ、学を修めることができないほどの病いに冒〔おか〕されてしまいました。このことを知った子路さんが、先生の健康を願い、祈祷〔きとう〕してもよいかを尋ねられました。これに対して先生が、次のように仰られました。


なにか、特別な祈祷でもあるのか、と。


すると子路さんが、次のように答えられました。


はい、ございます。祈祷のことばはこうです。「汝〔なんじ〕を天地の神々に願いたてまつる」と。


これに対して先生が、次のように仰られました。


子路よ。その祈祷ならば、私はつねに行なっているぞ、と。


〈つづく〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

まず、孔子が患った病気に関してはいえば、生死をさまようほどの重篤な病い、というよりは、学を修めることができないほどの病い、とした語訳にしてみました。そしてそれは、当時のことを想えば、現代的には簡単に治るであろう病気であっても、昔はそう簡単に治すことはできなったでしょうし、なにより、身体的な病いだったのか、それとも精神的な病いだったのか、とすれば、さまざまに苦悩が多かったであろう孔子の心情を想えば、どちらかといえば精神的な病いと解するほうが妥当なのかもしれません。

さて、『論語』のなかでもこの語句は、なんど読みなおしてみても、「ぷっ=3」とさせられる語句でして、子路の純粋な気持ちもさることながら、孔子の最後の返しのことばは、こころが和まされます。

かさねて、両者の間柄が、互いに信頼(=尊重)しあえるものであったからこそ成立する、問答だったんだとも思われます。

また、このことをもって、公冶長『左丘明 之を恥ず』のなかで孔子の考える「まことの友とは」の真意も理解することができた気がします。

ちなみに私は昨年、このような(孔子と子路との間柄のように)「かくありたいな」と思える親友(同い年のいとこ)を亡くし、そして、ひとりの旧友は難病指定を受けるほどの病にかかり(一人で歩くことも、まともに話すこともできない)、もうひとりの幼馴染は重い肝硬変を患ってしまい(お酒の呑みすぎ)、ともに度々入退院を繰り返す日々を送っております。

このことによって、 "仲良く大ゲンカ" できる友も減り、まこと、さびしいかぎりです。



※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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