朝日新聞1月1日号9面に耕論「私たちはどこにいるのか」という記事があった。その中で僕の大好きな作家である川上弘美さんが「ありえない幸運 よりよく生きた」が載せられていた。
「毎日普通の生活すること」この言葉は川上さんの多くの(すべての作品と言ってもよい)作品に表れています。小説の中に登場する人々は誰もが「普通の生活」をしている。しかし普通の生活というのは単純な平凡とは違う。しかしそれは平凡であることに変わりはない。人はその普通の生活の中に喜怒哀楽がある。家族や恋人などをはじめ多くの人の交わりの中で喜怒哀楽がある。同時に人が社会的動物であることから社会全体の中に置かれた普通の生活の中に喜怒哀楽がある。
家族内のあるいは恋人との時間。この中での喜怒哀楽は時には激しいものがある。その激しさの中で人生の方向も変わってしまうこともあるのですから普通の生活は平凡ではない。しかし人は時の流れの中で必然的に置かれる場所は決まってきますから過ぎ去る時間の中においてはやはり平凡なのです。
その平凡さすなわち「やってみる、食べる、しゃべる。そういうささやかなこと」としての普通の生活が繰り返される。
しかし、先にも書いたように人は社会的な動物ですから社会の中に平凡さや普通の生活はさらされています。
「災害や不幸をなくすことはできないけれど、極端な理不尽なことが起こらない世界になってほしい。原発事故で避難した人や紛争から逃れてきた難民のように、生まれ育った土地に住めなくなり、よそへ行かなくてはいけないのは、本当に理不尽なことです。
生まれ育った土地で喜怒哀楽を素直にあらわしながら、普通に生活できるという、ほんとうにささやかな幸せをみんなで求めていくことができる世界に、住みたいのです。」
これが「よりよく生きたい」川上さんの言葉でしょう。
激しい喜怒哀楽の中で生きなければならないのですが、この喜怒哀楽と社会的な人が作り出す「理不尽なこと」は質の違うものです。
社会的な理不尽なものをなくさないと人は個人として平凡な普通の生活を送ることができなくなるのです。それが理不尽さです。
戦争・内戦や原発事故。しかし理不尽さが現れるものはそれだけではありません。格差や貧困(絶対的にも相対的にも)特に子供の相対的貧困。社会保障全般。そして「ほんとうにささやかな幸せを『みんなで求めていくことができる』世界」という自由や民主主義などなど。この理不尽さをなくさなければ人はより良く生きることができません。
このことを「あきらめずに、そして忘れずに、なのかな。」
普通の生活の中身は個人により大きな違いがあるでしょう。しかしその基礎にあるのは「やってみる、食べる、しゃべる。そういうささやかなこと」です。これを作り上げながらその個性により人は初めて個性的に喜怒哀楽のある毎日を送ることができるでしょう。
よりよく生きるための普通の生活を守りましょう。
*「 」内は引用です。
「毎日普通の生活すること」この言葉は川上さんの多くの(すべての作品と言ってもよい)作品に表れています。小説の中に登場する人々は誰もが「普通の生活」をしている。しかし普通の生活というのは単純な平凡とは違う。しかしそれは平凡であることに変わりはない。人はその普通の生活の中に喜怒哀楽がある。家族や恋人などをはじめ多くの人の交わりの中で喜怒哀楽がある。同時に人が社会的動物であることから社会全体の中に置かれた普通の生活の中に喜怒哀楽がある。
家族内のあるいは恋人との時間。この中での喜怒哀楽は時には激しいものがある。その激しさの中で人生の方向も変わってしまうこともあるのですから普通の生活は平凡ではない。しかし人は時の流れの中で必然的に置かれる場所は決まってきますから過ぎ去る時間の中においてはやはり平凡なのです。
その平凡さすなわち「やってみる、食べる、しゃべる。そういうささやかなこと」としての普通の生活が繰り返される。
しかし、先にも書いたように人は社会的な動物ですから社会の中に平凡さや普通の生活はさらされています。
「災害や不幸をなくすことはできないけれど、極端な理不尽なことが起こらない世界になってほしい。原発事故で避難した人や紛争から逃れてきた難民のように、生まれ育った土地に住めなくなり、よそへ行かなくてはいけないのは、本当に理不尽なことです。
生まれ育った土地で喜怒哀楽を素直にあらわしながら、普通に生活できるという、ほんとうにささやかな幸せをみんなで求めていくことができる世界に、住みたいのです。」
これが「よりよく生きたい」川上さんの言葉でしょう。
激しい喜怒哀楽の中で生きなければならないのですが、この喜怒哀楽と社会的な人が作り出す「理不尽なこと」は質の違うものです。
社会的な理不尽なものをなくさないと人は個人として平凡な普通の生活を送ることができなくなるのです。それが理不尽さです。
戦争・内戦や原発事故。しかし理不尽さが現れるものはそれだけではありません。格差や貧困(絶対的にも相対的にも)特に子供の相対的貧困。社会保障全般。そして「ほんとうにささやかな幸せを『みんなで求めていくことができる』世界」という自由や民主主義などなど。この理不尽さをなくさなければ人はより良く生きることができません。
このことを「あきらめずに、そして忘れずに、なのかな。」
普通の生活の中身は個人により大きな違いがあるでしょう。しかしその基礎にあるのは「やってみる、食べる、しゃべる。そういうささやかなこと」です。これを作り上げながらその個性により人は初めて個性的に喜怒哀楽のある毎日を送ることができるでしょう。
よりよく生きるための普通の生活を守りましょう。
*「 」内は引用です。