【2024年】ツイッターつぶやき
さむいですなぁ。。。。。。
今年の秋は異常なほど暑さも感じる秋でした。このまま弾頭かなと思ったり、自然は帳尻合わせをしますから寒波がやってくるかなと思ったりしていました。
日本海側から東北北海道は雪が多そうですね。
室温もぐんぐん下がり、この前は20度ほどありましたが今夜は13度。
長袖の下着を出しました。
東京はずっと晴れていましたが、今日は曇り空。最高気温も9度。
急に外に出たらクシャミが止まらなかった。
≪過去の記事≫
【2003年】
早朝駅前をとぼとぼ歩いていたら、女のコ3人組にいきなり「お兄さん!!」と。何だろと思って振り返ったら酔っ払い。「どこか飲むところ知らない?」と。朝の6時前。。。。。アホか!!
20歳そこそこだと思うのですが・・・・まぁ、これも青春かな!?
【2004年】
暖かかった。。。めまぐるしく気温が変わります。
内田百閒の「私の漱石と龍之介」を読み終わったが、明治・大正の作家達のおおらかさを感じる。百閒はユーモラスだが、その裏に苦悩がある。悲しみがある。だからこそ楽天的になれる。
今の世も苦悩が多いが楽天的になれればと思う。
昨夜NHKの新撰組を観たが、近藤勇など最後の武士らしい武士という男の名誉のようなものを感じたが、結局は時代は武士の世界から金を持つ商人の世になる。武士は商人から金を借りざるを得ないほどその役割は終わっていた。しかし明治の代も矛盾があった。そして大正のデモクラシー、昭和の不幸な戦争。そして戦後から平成へ。その時代時代には多くの問題点を抱えながらも長い目で見れば社会は発展してきた。結局は一般大衆が時代を決めるのである。この点でも楽天的にならないとと思う。
「私の「漱石」と「龍之介」」 内田 百閒 著
漱石の鼻毛が付着した原稿用紙は写真で見た覚えがある。この原稿用紙の持ち主が内田百閒だったとは。。。。
漱石はひとつの作品を書き上げる間に5,6寸の高さにもなる書き直し原稿を出したようですが、しかし同じ高さの札束を原稿料としてもらっていたそうです。その書き直した原稿を内田百閒はもらったそうで、その中に鼻毛の付いた原稿もあったようです。
内田百閒の漱石の思い出は、こんなユーモラスなものがあり楽しく読めました。
百閒は金に困って漱石の保養する温泉にまで行く。漱石は多額の金を妻から受け取れという。そのうえ一泊宿に泊めてもらい、温泉にまで浸かり、「ビールを飲んでもいいですか」と(笑)
いつ漱石先生の雷が落ちるかびくびくしている弟子たちですし、漱石は時々たしかに雷を落としたようです。しかし弟子たちへの思いやりもあり、書簡集を読むと百閒が金に困っているためか本の校正をやらせています。
漱石の弟子たちは、漱石の思い出を書いていますが、大阪朝日新聞に文芸欄を作り、若い作家に発表の場を与えたりし、岩波書店の初代岩波茂男が本の普及のために今で言えば文庫本を出す計画をするのですが、漱石はすぐに坊ちゃんだったかを発売させます。
日本画家の津田清楓が「漱石と十弟子」(芸艸堂・昭和53年版)という本に漱石山房木曜会の様子を書いていますが、挿絵も含めてのんびりした様子を書いていますが、百閒もこんなのんびりとした木曜会の空気を吸っていました。こんな木曜会の空気を吸いながらも漱石の作品に影響されたものと思います。「吾輩は猫である」は小説ですが随筆といっても良い作品です。漱石は「夢十夜」「文鳥」そして生い立ちを書いた「ガラス戸の中」などの随筆を書いていますが、この随筆に影響されたのではないかと思います。
胃を壊しながら悩んだ漱石、悩んだこそ弟子には厳しいながらもおおらかな漱石。そんなおおらかな漱石になつくようにやはりおおらかな百閒。この思い出を筆力のある随筆として百閒は綴っています。
芥川龍之介と百閒は、漱石山房晩期の弟子ですが、その意味においてもその交友は深かったようです。百閒は龍之介が自殺する2日前に会っています。麻薬でろれつの廻らない龍之介。百閒は龍之介の苦悩を知っていたのでしょう。しかし百閒は次ぎなように書きます。
龍之介の死んだ夏は猛暑であった。龍之介はこんな猛暑で癇癪を起こして死んだのだろうと。ここには龍之介の苦しみを知っているからこそユーモラスにその死を書けたのでしょう。
楽しい百閒の随筆。。。。龍之介の苦悩を知っていてユーモラスなものがあるように、自身の苦悩があるからこそ楽しい随筆をも書けたのでしょう。
おもしろさの裏に悲しみが満ち溢れている。これが百閒の魅力かもしれない。
<追記>2005年12月12日
上の文章に
「日本画家の津田清楓が「漱石と十弟子」(芸艸堂・昭和53年版)という本に漱石山房木曜会の様子を書いていますが、挿絵も含めてのんびりした様子を書いていますが、百閒もこんなのんびりとした木曜会の空気を吸っていました。こんな木曜会の空気を吸いながらも漱石の作品に影響されたものと思います。」
と、書きましたが、このときは百閒のもう一つの雅号「百鬼園」というものを知らなかったので、挿絵に「内田」あるいは「百閒」という人物がなく、ここには百閒は描かれていないと思ったのですが、今、川上さんの「東京日記」関連で百閒を思い出し、もう一度「漱石と十弟子」を開いたら、いましたいました。。。百鬼園先生がちんまりと右すみに若き頃の丸い顔をしていました。
また読み直してみようと思います。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
冬のボーナスの額が過去最高らしい。
でも、こういうものは会社が支払った総額でも見なくてはいけないものだと思う。たしかに正社員の支給額が伸びたことはいいが、その他アルバイト名でとの格差も生じるわけである。だから、このボーナスが過去最高という言葉に景気の良さを一概には見ることができない。
ここ何回か書いている税制の問題や、残業代の不払いや正社員可の遅れなど、この間行われてきた「リストラ景気回復」は継続をしているのである。個人消費の低迷はという問題は、表面化してきている。
中国は、内需拡大の方向に進むらしいが。。。
そこに日本の企業が入り込む。。。でも日本人は。。。ううう
【2007年】
「宙に浮いた年金記録」。。。
4割が特定困難。
公約違反じゃないとは言うが、受け止めたとっては国民は公約。
勝手に公約と受け止めた国民が悪いという論理かな?
昔不動産広告の笑い話に、「歩いて十分」とあるのに契約してみたら相当歩かされた。文句を言ったら「歩いて”じゅうぶん”と読むのだ」と。。。。なんかこういうものに似ている。
今の世の中、法に触れないぎりぎりのところで国民をだまそうというものが当たり前になっているのかな?
そういえば大阪知事選に出馬する弁護士が、6日前は5000%出馬はありえないとしながらも今になって出馬を決めた事への報道があるが、その弁護士の説明は、法律用語ばかりの弁明で何がなにやらちんぷんかんぷんだった。たぶん府民をだましたのではないという事か?
埋蔵金などという景気の良い話も出ているが、国民の金である事に変わりがない。埋蔵金などという言葉をあてる事自体が馬鹿にしている。どのように使ってきたのか、、、、これからどのように使うのか。
清水寺の管長が今年の漢字を書きあげた。「偽」
偽りでしか今の世の中動かないという事は、国自体が崩壊過程にあることに他ならない。もちろんその根底には経済があり、持つ者と持たざる者の格差がどうしようもない矛盾になってきている。
民主主義ってなんだろ?
ここのところ、なんだか知らないけどフケがたくさんでるなぁと思っていたのですが、原因がわかりました。シャンプーとボディーシャンプーを間違って使っていたからかもしれません。昨夜はちゃんとシャンプーで洗ったらフケがなくなりました。よかったぁ。。。。変な病気じゃなくて。髪の毛が抜け始めたらどうしようと本気で心配してしまいました。それにしてもシャンプーってやはりすごいものですね。思い出しました。昔、石鹸シャンプーというのを使った事がありましたがそのときもフケが出やすくてやめました。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
男同士というのはめったにないが偶然に女性と視線が合ってしまうことが時々ある。
うつむいて駅のコンコースを歩いていてふと視線を上げたときや電車の座席に座り本や吊広告から視線をはずしたときなど。
大体は一瞬視線が合ってもすぐに互いに視線をはずすんのですし、僕はこう言うのに弱いからたいがい僕が視線をはずします。電車の座席に座っている見知らぬ人々はそれぞれの世界にいるわけですが、この視線が合うというのはその世界が偶然にぶつかるようなものです。目というのは心の一部のようなものですかし、目はものを言うということもありますから。
一瞬の心のふれあいでしょうか。。。。。
今日は向かいに座りコッペパンをかじる若い女性と視線が合ってしまった。
女性は少し目を見開いた視線。コッペパンをくわえたままに。。。。オヤジである僕はその目を見る。なんだか不思議な世界と世界のぶつかりです。
女性は視線をはずさない。僕もなんだか知らないが今日は視線をはずさない。
女性がコッペパンをかじり終わると同時に互いの視線は離れた。
【2011年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美様
日記を拝読させていただきました。
お知り合いの女性のしぐさを妄想してドキッととしました。
知的な女性は素敵ですね。電車の中ではメガネ美人にドキッとしております。
今では町の本屋さんに行くとコミック本のコーナーが広いスペースを占めています。僕の年齢ではコミックと言えば「アハハハ・・・・」と笑って読むようなイメージがあるのですが、今では恋の物語もコミックになっているようで下手な活字本よりも若い方の心をとらえており、だんだんとこのコミック世代がある程度の年齢になっていく。
だから優雅にコミックのページをめくるのも自然かなと思います。
そういえば、少年マガジンやサンデー、りぼんなどというあの電話帳のように厚い「漫画」を電車で読んでいる人が少なくなったような。。。。?
漫画ではなくてコミックあるいはアニメという言葉の中にステータスも感じるのでしょうか。
女性が「部長 島耕作」を読む。。。やはりサラリーなん生活を想い読むのか、それとも仕事ができる素敵な男性に夢見るのでしょうか。
島耕作に惚れる女が登場しますが、その女性も素敵です。しかし僕としては島耕作や底に出てくる女性に読む女性の何らかの感情移入を見たらやはり一瞬「うん?」とオロオロしてしまうかもしれません。その知人女性は「いい女」では?
敬具
「海とか?」という答えに「?」をつける声も妄想してドキッとします。やはりその女性も「いい女」でしょうか?
化けたのち、疾走。。。。あははは。
以前、化粧の話もありましたが僕としては「いい女」ではなくて素肌に近い薄化粧が。。。。
【2012年】ツイッターつぶやき
維新の会の石原代表は、「経済を立て直すため、国全体で1500兆円に上るとされる個人の金融資産を有効に活用すべき」とうったえたそうです。
国の借金が1000兆円になろうとしているが、個人の金融資産は1500兆円もあるのだからこれを活用しろという事でしょう。
この論理はどうなんでしょうか?
ダブついた資金が多くあることは間違いないのですが、この個人の金融資産の多くはすでに国債購入として使われたり企業に貸し出されたり個人が家を買う時などのローンとして貸し出されているわけですからこれはダブついた金ではない。
個人の金融資産は銀行の預金等に預け入れられますが、この多くが国債の購入に回されています。国の借金は国債などの発行によるものですが、それを銀行が引き受けます。しかしその銀行の金は貯金という個人金融資産なわけです。
個人金融資産である貯金→その資金で銀行が国債を引き受ける→国にお金が入りますがもちろんそれは借金
このような構図です。
仮に貯金のうち600兆円が国債購入に使われているならすでにその額の金は国債に活用されているわけです。ですから個人金融資産はこれを差し引けば900兆円ほどになり、個人も債務があるわけですからそれを500兆円とすれば、実質400兆円ほどしかし「活用」できないわけです。この額も貯金ですからいつ降ろして使う金かもわからない金です。
もちろん国は10年とかで国債を償還をするわけですが、例えば1%の利率で銀行に償還する。しかしゼロ金利時代ですから貯金への利息は100万円の預け入れで100円玉2個ほどでしょう。国の借金の利子は銀行の利益に消えてしまいます。
ここでおかしな現象が明らかになります。
600兆円ほどの個人金融資産は国債を支えているわけですが、この国の利子はほとんど個人金融資産の持ち主には回ってこない。しかしこの国の借金を返すのは個人金融資産の持ち主である国民です。
国に金を貸しているのにその国の借金を返すのは貸している本人。。。頭がおかしくなります。
このような状況でもあるにかかわらず、またしても追い打ちをかけるように個人金融資産の活用を言うなんで相当ひどい発言ではないでしょうか?
ではこの個人金融資産を活用しろとは何か?
そこで思い出す画の合同前の維新の会代表橋下市長の資産は使い切ってもらうことといった言葉です。(正確な言葉化も含めて記憶違いなら訂正します)金融資産の活用とは金融資産を庶民は使えという事ではないでしょうか?
今年金額の引き下げも言われ、生活保護費も問題化されていますし、社会保障の切り下げが進むのではないかと思います。そして公助から自助・共助へというのが流れです。その中で公助を減らして児・共助へという事は個人金融資産を使い切れという事でもあるのではないでしょうか?
これは中間層の老後や必要とする社会保障の貧困化ですし、それ以上に低所得王あるいは年金でも厚生年金や共済年金部分がない基礎年金部分でしか老後を支えなければならない方たちのさらなる貧困化です。その上自民党は2%程度のインフレを起こすといい、消費増税が決まっています。こう見ると個人金融資産を食いつぶすしかない(もともと食いつぶすしかないのですがその食いつぶす速度が加速されます)状態が作られ、まさに富裕層に都合の良い個人金融資産の活用となるでしょう。
もともと年金や社会保障に頼らない富裕層はこの個人金融資産の活用は生きるという意味においては関係のないものでしょう。株や金融商品に使えばいいわけです。
このような個人金融資産の活用などというよりも上に見たような「国に金を貸しているのにその国の借金を返すのは貸している本人」というような頭のおかしくなるような仕組みを改善すべきでしょう。国債をめぐる銀行などの仕組みも解決しないといけない。
このような個人金融資産の活用はあってはならないことです。そこで財政再建や社会保障のためにはどこにメスを入れるのか?
上に書いた銀行のぼろもうけの金はどこに消えているのか、企業の利益はどこに消えているのか、それと関連して最近は貿易も赤字になりましたが以前の黒字部分はどこに消えているのかを見なくてはいけないと思います。国の金融資産はすごい額だそうです。その金がどこから出ているかはよくわかりませんが、やはり銀行や企業の利益と無関係なところにあるとは思えないです。
国の金融資産を中心に企業利益にメスを入れるというのが解決策でしょう。
ここには絶対流用してはならない年金積立金などのような国民から預かっているような金もあるでしょうが、「使えない金」もあるでしょう。たとえばアメリカ国債とか。しかしこの「使えない金」も含めて国の財政を考えるべきです。
【2013年】ツイッターつぶやき
今国会は秘密保護法に集中したものとなっていましたが、国民生活の直結した法案もたくさん出されていました。それをまとめたのが今朝の朝日新聞朝刊ではないでしょうか。
「企業を後押しする財源を確保しようとした結果、個人に『負担増』がしわ寄せされた。」 (同朝刊1面より引用)
これが税制対抗の流れであり、アベノミクスが掲げる第三の矢としての成長戦略でしょう。
今後どのような経済政策が行われるのか。中身についてはよく読ませていただきます。
この企業救済と国民生活の低下についてそしてそこからどのような経済矛盾を生むかはこのブログでも書いてきましたが、ではなぜこのような経済矛盾を生み国民生活を犠牲にしてまで企業を救済せざるを得ないのかが問題でしょう。それは秘密保護法に見られる国民統治の問題としても政治矛盾を生み出します。
そしてこのような国民生活の低下と民主主義を低下させてまで得られるものは何なのでしょうか?
経済面を見てもこの間のアベノミクスと日銀による量的緩和が経済を好転させるものであったかを見れば、国家財政の赤字・貿易収支赤字化・経常収支の赤字化という三つ子の赤字を生み出してもいます。何よりも国民生活の低下や労働の不安定化はデフレからの脱却を押さえつけています。これは政府も認めて賃上げの必要性を言います。しかし賃下げ傾向がどのくらい改善されたかといえば不測は否めないでしょう。
この矛盾をさらに進めようとするのが今後の成長戦略でしょう。
経済矛盾と政治矛盾は深くかかわっています。経済矛盾が上部構造である政治矛盾を生み出します。これが相乗的に悪化をする動きが見えてきたのではないでしょうか。
これが自由主義の保守戦略なのでしょうか?何も日本だけではありませんが、先進国が同じような矛盾に陥れば一時的な自由主義経済は停滞をするでしょう。資本主義の最高段階としての社会民主主義の台頭は不可避です。
【2014年】ツイッターつぶやき
物価が騰がることが好況で、物価が下がることが不況だろうか?
「給与上がるも価格も上がり、実質賃金16か月マイナス続く | 経済指標・統計 - エコノミックニュース 」
原油価格が下がっている。このような外因の経済に及ぼす影響も大きい。同時に消費増税による価格転嫁も大きいでしょう。しかし根底に流れる物価高の要因は日本が輸入大国でもあるわけですから円安が大きいという事でしょう。
物価が騰がっても労働者の実質賃金が下がれば消費不況の原因となる。この実質賃金の低下は賃下げである。円高のころにも労働者の賃金は下がり続けた。どうにか物価安の中での賃下げですから実質賃金はある程度維持されたでしょう。
このように問題なのは円高のころも円安の今も労働者の賃金が下がり続けているという事である。
ここで明らかなのはこの労働者の賃金が過去も現在も下がり続けていることが日本が不況から抜け出せない原因ではないかという事である。
ですから物価高になっても好況にならず、物価が下がっても好況にならない。失われた10年とか、20年とか、30年に向かうとか、結局は不況が続いているのです。
ですから物価がどうのという問題ではなくて不況そのものを改善しなければならないという事である。しかしこの不況を克服するという点で、繰り返しになるがそれは物価を上げることではない。
安倍政権は名目賃金を上げようとしている。しかし物価などが上がれば実質賃金は下がる。この現象は明らかに企業利益の確保であり、それがアベノミクスの姿ではないか?
アベノミクスに対する経済政策は、今の経済矛盾から銘名目賃金はある程度上げることは許容されているわけですから物価を下げるアベノミクスに対する政策となる。このことにより名目賃金も上がり添えが実質賃金の上昇に結び付けられるでしょう。
物価を下げるには政府・日銀の円安誘導を止めることである。
労働力人口が減っている中で、その労働力の需給関係からそうは失業は増やせないでしょう。あとは不安定雇用の増加によるろう度形態の変化による賃下げを止めるだけである。同時にそれは不安定雇用者の大幅な賃上げでなければならない。円高はある程度小零細企業にも有利でしょう。社会保障費の削減は止めるべきです。
この中で貨幣の回転は早まるでしょう。
企業利益は確かに一時的に減少するかもしれないし、それは株安につながらでしょう。しかし資金が株【金融】に流れることを変えるだけなのです。だぶついた資金は貨幣の回転の中で生かされるでしょう。
結局はアベノミクスの流れを変更せざるを得ないのです。それが消費増税の2年延期という現象にもすでに現れているという事です。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
スパムのハッシュドポテト
じゃがいもは皮をむいてレンジでチン。
玉ねぎのみじん切りをバターで痛めて塩コショウ。
スバムは5ミリ角ぐらいに切っておきます。
じゃがいもをつぶしてその中に痛めた玉ねぎとスパムを入れてよく混ぜます。
あとは小麦粉をつけて強火でカリッと焼くだけです。
食べる時の味付けは、クレージーソルト、ケチャップ、ソースの3種類で食べました。
案外クレージーソルトがあっさりしてうまかったです。
【2017年】ツイッターつぶやき
以下、柳美里さんの「雨と夢のあとに」の感想の一部です。
この四十九日間は、現実の中で過ごした二人の時間と永遠の別れである死との中間に位置する時間である。この四十九日という時間を雨と朝晴はどのような思いでどのように過ごしたか。そして永遠の別れをどのように受け止めたらよいのか、その孤独を描く。
雨は、少しづつ朝晴の死を気づいていくが、雨も朝晴もそのことには触れずに49日を過ごす。雨にとっては、このような姿になった朝晴でもいいから永遠にそばにいてほしいと思っただろう。しかしいつか訪れる孤独を予感する。
愛する者の死をどのように受け止めればよいのか、いや、受け止めようのない死からの孤独と悲しみをどのように受け止めればよいのか。そのむごい思いを小学6年生の少女が味あうのである。
四十九日過ぎまでの幸せと悲しみと孤独。。。。
gooお題「あなたの今年の漢字は?」
僕個人にとっての漢字1字ではありませんが、僕個人の1字である色も社会の中で包まれてしまう。
今年の1字は「のり弁」と言われたものに象徴される『黒』ですね。。。。。
でも黒のもっと深いものは「闇」ですね。
ですから今年の漢字1字は『闇』。
国会の運営も黒く塗られてのり弁状態でした。そののり弁の黒は深く広く広がりを持ってきてそれは闇となりました。
報道の自由度が70何位に落ちたともいわれ、知る権利も狭められているのかもしれません。
それは闇です。
ぼうっとしている間にいつ戦争に巻き込まれるかわからなくなった日本。
すでに核兵器廃絶にも力を持てなくなりました。
【2018年】ツイッターつぶやき
毎年恒例の「今年の漢字」が発表されました。災難の「災(さい)」「災(わざわい)」だそうです。
安倍総理も今年の漢字を発表しましたが「転」だそうです。
安倍総理は「期待」によって選挙に勝ってきましたが、政治面だけを見れば
期待「転」じて災いとなる。。。。。
この6年間そして今後は勤労国民にとってはますます「痛み」のある改革(転)が進められるでしょう。
去年僕が選んだ漢字は「闇」でした。
やはり今年も引き続き闇の世界が広がりました。
しかし闇というのは光の世界を遮って生まれるものです。
闇の外側には光があります。
今年は安倍内閣のほころびが目立ちました。ある意味期待だけではない現実が国民に見えてきたということだと思います。それは闇のほころびから光が見えていたということです。もちろんこの闇のほころびをふさぎながら改憲まで突っ走るのでしょうが、その改憲のやり方はやはり数の力によるものでしょう。数の力の国会運営はどうだったでしょう?これもほころびが見えたということではないでしょうか。
水が漏れだした穴の開いたバケツではないですが、穴の開いた闇からは光が差し込みます。
その光をしっかりと見つめる必要がありますね。
ということで、僕の今年の漢字は「光」です。
本格的な冬になり東京は日差しがほとんどありません。東北や北海道は大雪だそうですね。
光る日差しの暖かさを。。。。。
【2019年】ツイッターつぶやき
保育園で18名の保母さんや栄養士さんがパワハラなどに耐えきれなくなってみんなでやめてしまったらしい。この保育園にお子さんを預けている親の方もいろいろと感じていたようですね。
パワハラなどを保育園側は認めるようでもあいまいにしています。
18名同時にやめるというのは保育行政上良くないでしょう。もちろん保母さんたちに責任があるわけではなくて、パワハラなどずっと続けてきた保育園側に落ち度があるのかもしれません。こうやって18名の保母さんたちが辞めざるを得ないようなことを防ぐには、労働組合が必要でしょう。
労働組合があればストライキぐらいですむかもしれませんし、労使交渉で改善の道があるでしょう。保母さんたちも労働環境を変えるには労使交渉しか良い道はありません。
しかし今の日本社会は労働組合に対する意識性が低くなっていたり、企業側の労働組合への敵対心はひどい場合があります。また、労働者という立場から離れた市民として労働組合のストライキへの理解は低く昔からストライキ迷惑論がはびこっていました。もちろん政治も先日亡くなった中曽根さんが総理大臣のころ、国労をはじめとした三公社五現業の組合つぶしがありました。これを支援したのもマスコミであり「市民」でした。
日本は労働組合の必要性も捨ててしまいました。
しかし、今労働人口の減少から従業員を集めることの困難さが広がっています。しかし企業は労働組合がないですからやりたい放題で労働力を粗末にする。
こういう中で今回の18人の保母さんたちが一斉にやめzるを得ないということが起きてしまいます。
コンビニでも過酷な条件に対して不平不満が広がり、24時間営業も元旦営業も難しくなっていく。
労働力を粗末にすれば社会全体が疲弊していくことは明らかで、社会の混乱が進むでしょう。
日本は労働者の権利や労働組合について考えを改めるべきです。外国のストライキにニュースを見てしかめっ面したりしているのは日本ぐらいでしょう。あるいは外国のストライキをその国の矛盾としてみてその国を批判しますが、日本は批判すべきものがないのですか?ストライキもできない日本でどうするんでしょ。
【2020年】ツイッターつぶやき
中國新聞によると、広島県の新規感染者が二日続けて100人を超え、広島市が78人だったそうです。やはり県別にみても人が集中するところでは新規感染者数が急増しているようです。それも広島県の新規感染者数は東京に比べればだいぶ少ないように見えます。
しかし広島市の78人をとってみると、人口10万人当たりの新規感染者は東京の1.5倍にあたるそうです。
もちろんクラスタにより一時的に感染者が爆発することもありますので、このまま東京よりも深刻になるかどうかはわかりませんが、しかしクラスターが発生する過程で市中感染が広まっていたとも考えられます。
この10万人当たりの新規感染者数は都道府県別にまとめて公表されていませんが、この間の地方での新規感染者数の伸びを見るとかなり深刻になっているところがあるのかもしれません。
新穀というのは感染者数の増加はもちろんですが、医療崩壊も心配されます。病院数(病床数)はある程度人口に比例するでしょう。
Go Toは人の移動を促す効果があります。県を越えた移動の促進を国が言うわけですから県内や周辺県の人も大都市に集まります。観光客も観光地だけではなく大都市に集まります。
そうみると地方での感染拡大はGo toの影響も考えられます。
感染が収まるまで中止すべきです。経済もわかりますが、国がGo Toを中止しなくても人の移動は制限されていくでしょう。ですから国は思い切って中止すべきなんです。
【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
先日このブログにも書いたようにバンクシーって誰?展を見に行きましたが、久しぶりに電車を乗り継いで出かけましたが帰ってきてぐったりとしてしまいました。
「田舎のネズミと町のネズミ」。。。。たしかに・・・・・
コロナ禍のせいではありませんが、どこかへ友人とという気力がなくなりました。のんびり一人か家族のでライブならいいけど。
「カラスたちは、ル音のまじった、甘えた声で鳴きかわしている。」
烏たちは甘いような鳴き声でねぐらに帰る。川上さんは「お酒など」という予定どおりに酒を飲みに。
でもよく考えればお酒などという予定も仕事の打合せ。
【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記 フェースブックでつながる。」が更新されました。
マッチョになれるワクチンも、コロナのワクチンも三カ月もすれば効果はなくなる。
川上さんもコロナ感染されていましたが、少し寒くなっても冷やし中華とスイカを元気に食べているようで一安心です。
僕も、もう真冬のような寒さの中、しろくまアイスをやめられずに炬燵の中で食べています。
コロナもまた復活してきていますから気をつけねばなりませんなぁ。。。。。
のびきった麵で作っておいしいのは昭和のナポリタンと伊勢うどんぐらいでしょう。。。。。。
のびていないパスタで作る焦がしケチャップナポリタンを教えてあげたい(笑)
こうして川上さんの東京日記をネットで読ませていただき思ったことをネットにあげられる。
同制度梅につながりではないが、ナポリタンでもつながれる。。。。。
【2023年】ツイッターつぶやき
日銀が1月にはマイナス金利から抜け出すと?
理由が人手不足で賃金が上がるだろうということらしい。
賃金が上がれば経済も好循環に。
金利が上昇するのはインフレのような経済の好転が必要ですが、人手不足で賃金が上がるからというのはお先真っ暗です。賃金総額に変化はないかむしろ減少するかもしれない。
さむいですなぁ。。。。。。
今年の秋は異常なほど暑さも感じる秋でした。このまま弾頭かなと思ったり、自然は帳尻合わせをしますから寒波がやってくるかなと思ったりしていました。
日本海側から東北北海道は雪が多そうですね。
室温もぐんぐん下がり、この前は20度ほどありましたが今夜は13度。
長袖の下着を出しました。
東京はずっと晴れていましたが、今日は曇り空。最高気温も9度。
急に外に出たらクシャミが止まらなかった。
≪過去の記事≫
【2003年】
早朝駅前をとぼとぼ歩いていたら、女のコ3人組にいきなり「お兄さん!!」と。何だろと思って振り返ったら酔っ払い。「どこか飲むところ知らない?」と。朝の6時前。。。。。アホか!!
20歳そこそこだと思うのですが・・・・まぁ、これも青春かな!?
【2004年】
暖かかった。。。めまぐるしく気温が変わります。
内田百閒の「私の漱石と龍之介」を読み終わったが、明治・大正の作家達のおおらかさを感じる。百閒はユーモラスだが、その裏に苦悩がある。悲しみがある。だからこそ楽天的になれる。
今の世も苦悩が多いが楽天的になれればと思う。
昨夜NHKの新撰組を観たが、近藤勇など最後の武士らしい武士という男の名誉のようなものを感じたが、結局は時代は武士の世界から金を持つ商人の世になる。武士は商人から金を借りざるを得ないほどその役割は終わっていた。しかし明治の代も矛盾があった。そして大正のデモクラシー、昭和の不幸な戦争。そして戦後から平成へ。その時代時代には多くの問題点を抱えながらも長い目で見れば社会は発展してきた。結局は一般大衆が時代を決めるのである。この点でも楽天的にならないとと思う。
「私の「漱石」と「龍之介」」 内田 百閒 著
漱石の鼻毛が付着した原稿用紙は写真で見た覚えがある。この原稿用紙の持ち主が内田百閒だったとは。。。。
漱石はひとつの作品を書き上げる間に5,6寸の高さにもなる書き直し原稿を出したようですが、しかし同じ高さの札束を原稿料としてもらっていたそうです。その書き直した原稿を内田百閒はもらったそうで、その中に鼻毛の付いた原稿もあったようです。
内田百閒の漱石の思い出は、こんなユーモラスなものがあり楽しく読めました。
百閒は金に困って漱石の保養する温泉にまで行く。漱石は多額の金を妻から受け取れという。そのうえ一泊宿に泊めてもらい、温泉にまで浸かり、「ビールを飲んでもいいですか」と(笑)
いつ漱石先生の雷が落ちるかびくびくしている弟子たちですし、漱石は時々たしかに雷を落としたようです。しかし弟子たちへの思いやりもあり、書簡集を読むと百閒が金に困っているためか本の校正をやらせています。
漱石の弟子たちは、漱石の思い出を書いていますが、大阪朝日新聞に文芸欄を作り、若い作家に発表の場を与えたりし、岩波書店の初代岩波茂男が本の普及のために今で言えば文庫本を出す計画をするのですが、漱石はすぐに坊ちゃんだったかを発売させます。
日本画家の津田清楓が「漱石と十弟子」(芸艸堂・昭和53年版)という本に漱石山房木曜会の様子を書いていますが、挿絵も含めてのんびりした様子を書いていますが、百閒もこんなのんびりとした木曜会の空気を吸っていました。こんな木曜会の空気を吸いながらも漱石の作品に影響されたものと思います。「吾輩は猫である」は小説ですが随筆といっても良い作品です。漱石は「夢十夜」「文鳥」そして生い立ちを書いた「ガラス戸の中」などの随筆を書いていますが、この随筆に影響されたのではないかと思います。
胃を壊しながら悩んだ漱石、悩んだこそ弟子には厳しいながらもおおらかな漱石。そんなおおらかな漱石になつくようにやはりおおらかな百閒。この思い出を筆力のある随筆として百閒は綴っています。
芥川龍之介と百閒は、漱石山房晩期の弟子ですが、その意味においてもその交友は深かったようです。百閒は龍之介が自殺する2日前に会っています。麻薬でろれつの廻らない龍之介。百閒は龍之介の苦悩を知っていたのでしょう。しかし百閒は次ぎなように書きます。
龍之介の死んだ夏は猛暑であった。龍之介はこんな猛暑で癇癪を起こして死んだのだろうと。ここには龍之介の苦しみを知っているからこそユーモラスにその死を書けたのでしょう。
楽しい百閒の随筆。。。。龍之介の苦悩を知っていてユーモラスなものがあるように、自身の苦悩があるからこそ楽しい随筆をも書けたのでしょう。
おもしろさの裏に悲しみが満ち溢れている。これが百閒の魅力かもしれない。
<追記>2005年12月12日
上の文章に
「日本画家の津田清楓が「漱石と十弟子」(芸艸堂・昭和53年版)という本に漱石山房木曜会の様子を書いていますが、挿絵も含めてのんびりした様子を書いていますが、百閒もこんなのんびりとした木曜会の空気を吸っていました。こんな木曜会の空気を吸いながらも漱石の作品に影響されたものと思います。」
と、書きましたが、このときは百閒のもう一つの雅号「百鬼園」というものを知らなかったので、挿絵に「内田」あるいは「百閒」という人物がなく、ここには百閒は描かれていないと思ったのですが、今、川上さんの「東京日記」関連で百閒を思い出し、もう一度「漱石と十弟子」を開いたら、いましたいました。。。百鬼園先生がちんまりと右すみに若き頃の丸い顔をしていました。
また読み直してみようと思います。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
冬のボーナスの額が過去最高らしい。
でも、こういうものは会社が支払った総額でも見なくてはいけないものだと思う。たしかに正社員の支給額が伸びたことはいいが、その他アルバイト名でとの格差も生じるわけである。だから、このボーナスが過去最高という言葉に景気の良さを一概には見ることができない。
ここ何回か書いている税制の問題や、残業代の不払いや正社員可の遅れなど、この間行われてきた「リストラ景気回復」は継続をしているのである。個人消費の低迷はという問題は、表面化してきている。
中国は、内需拡大の方向に進むらしいが。。。
そこに日本の企業が入り込む。。。でも日本人は。。。ううう
【2007年】
「宙に浮いた年金記録」。。。
4割が特定困難。
公約違反じゃないとは言うが、受け止めたとっては国民は公約。
勝手に公約と受け止めた国民が悪いという論理かな?
昔不動産広告の笑い話に、「歩いて十分」とあるのに契約してみたら相当歩かされた。文句を言ったら「歩いて”じゅうぶん”と読むのだ」と。。。。なんかこういうものに似ている。
今の世の中、法に触れないぎりぎりのところで国民をだまそうというものが当たり前になっているのかな?
そういえば大阪知事選に出馬する弁護士が、6日前は5000%出馬はありえないとしながらも今になって出馬を決めた事への報道があるが、その弁護士の説明は、法律用語ばかりの弁明で何がなにやらちんぷんかんぷんだった。たぶん府民をだましたのではないという事か?
埋蔵金などという景気の良い話も出ているが、国民の金である事に変わりがない。埋蔵金などという言葉をあてる事自体が馬鹿にしている。どのように使ってきたのか、、、、これからどのように使うのか。
清水寺の管長が今年の漢字を書きあげた。「偽」
偽りでしか今の世の中動かないという事は、国自体が崩壊過程にあることに他ならない。もちろんその根底には経済があり、持つ者と持たざる者の格差がどうしようもない矛盾になってきている。
民主主義ってなんだろ?
ここのところ、なんだか知らないけどフケがたくさんでるなぁと思っていたのですが、原因がわかりました。シャンプーとボディーシャンプーを間違って使っていたからかもしれません。昨夜はちゃんとシャンプーで洗ったらフケがなくなりました。よかったぁ。。。。変な病気じゃなくて。髪の毛が抜け始めたらどうしようと本気で心配してしまいました。それにしてもシャンプーってやはりすごいものですね。思い出しました。昔、石鹸シャンプーというのを使った事がありましたがそのときもフケが出やすくてやめました。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
男同士というのはめったにないが偶然に女性と視線が合ってしまうことが時々ある。
うつむいて駅のコンコースを歩いていてふと視線を上げたときや電車の座席に座り本や吊広告から視線をはずしたときなど。
大体は一瞬視線が合ってもすぐに互いに視線をはずすんのですし、僕はこう言うのに弱いからたいがい僕が視線をはずします。電車の座席に座っている見知らぬ人々はそれぞれの世界にいるわけですが、この視線が合うというのはその世界が偶然にぶつかるようなものです。目というのは心の一部のようなものですかし、目はものを言うということもありますから。
一瞬の心のふれあいでしょうか。。。。。
今日は向かいに座りコッペパンをかじる若い女性と視線が合ってしまった。
女性は少し目を見開いた視線。コッペパンをくわえたままに。。。。オヤジである僕はその目を見る。なんだか不思議な世界と世界のぶつかりです。
女性は視線をはずさない。僕もなんだか知らないが今日は視線をはずさない。
女性がコッペパンをかじり終わると同時に互いの視線は離れた。
【2011年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美様
日記を拝読させていただきました。
お知り合いの女性のしぐさを妄想してドキッととしました。
知的な女性は素敵ですね。電車の中ではメガネ美人にドキッとしております。
今では町の本屋さんに行くとコミック本のコーナーが広いスペースを占めています。僕の年齢ではコミックと言えば「アハハハ・・・・」と笑って読むようなイメージがあるのですが、今では恋の物語もコミックになっているようで下手な活字本よりも若い方の心をとらえており、だんだんとこのコミック世代がある程度の年齢になっていく。
だから優雅にコミックのページをめくるのも自然かなと思います。
そういえば、少年マガジンやサンデー、りぼんなどというあの電話帳のように厚い「漫画」を電車で読んでいる人が少なくなったような。。。。?
漫画ではなくてコミックあるいはアニメという言葉の中にステータスも感じるのでしょうか。
女性が「部長 島耕作」を読む。。。やはりサラリーなん生活を想い読むのか、それとも仕事ができる素敵な男性に夢見るのでしょうか。
島耕作に惚れる女が登場しますが、その女性も素敵です。しかし僕としては島耕作や底に出てくる女性に読む女性の何らかの感情移入を見たらやはり一瞬「うん?」とオロオロしてしまうかもしれません。その知人女性は「いい女」では?
敬具
「海とか?」という答えに「?」をつける声も妄想してドキッとします。やはりその女性も「いい女」でしょうか?
化けたのち、疾走。。。。あははは。
以前、化粧の話もありましたが僕としては「いい女」ではなくて素肌に近い薄化粧が。。。。
【2012年】ツイッターつぶやき
維新の会の石原代表は、「経済を立て直すため、国全体で1500兆円に上るとされる個人の金融資産を有効に活用すべき」とうったえたそうです。
国の借金が1000兆円になろうとしているが、個人の金融資産は1500兆円もあるのだからこれを活用しろという事でしょう。
この論理はどうなんでしょうか?
ダブついた資金が多くあることは間違いないのですが、この個人の金融資産の多くはすでに国債購入として使われたり企業に貸し出されたり個人が家を買う時などのローンとして貸し出されているわけですからこれはダブついた金ではない。
個人の金融資産は銀行の預金等に預け入れられますが、この多くが国債の購入に回されています。国の借金は国債などの発行によるものですが、それを銀行が引き受けます。しかしその銀行の金は貯金という個人金融資産なわけです。
個人金融資産である貯金→その資金で銀行が国債を引き受ける→国にお金が入りますがもちろんそれは借金
このような構図です。
仮に貯金のうち600兆円が国債購入に使われているならすでにその額の金は国債に活用されているわけです。ですから個人金融資産はこれを差し引けば900兆円ほどになり、個人も債務があるわけですからそれを500兆円とすれば、実質400兆円ほどしかし「活用」できないわけです。この額も貯金ですからいつ降ろして使う金かもわからない金です。
もちろん国は10年とかで国債を償還をするわけですが、例えば1%の利率で銀行に償還する。しかしゼロ金利時代ですから貯金への利息は100万円の預け入れで100円玉2個ほどでしょう。国の借金の利子は銀行の利益に消えてしまいます。
ここでおかしな現象が明らかになります。
600兆円ほどの個人金融資産は国債を支えているわけですが、この国の利子はほとんど個人金融資産の持ち主には回ってこない。しかしこの国の借金を返すのは個人金融資産の持ち主である国民です。
国に金を貸しているのにその国の借金を返すのは貸している本人。。。頭がおかしくなります。
このような状況でもあるにかかわらず、またしても追い打ちをかけるように個人金融資産の活用を言うなんで相当ひどい発言ではないでしょうか?
ではこの個人金融資産を活用しろとは何か?
そこで思い出す画の合同前の維新の会代表橋下市長の資産は使い切ってもらうことといった言葉です。(正確な言葉化も含めて記憶違いなら訂正します)金融資産の活用とは金融資産を庶民は使えという事ではないでしょうか?
今年金額の引き下げも言われ、生活保護費も問題化されていますし、社会保障の切り下げが進むのではないかと思います。そして公助から自助・共助へというのが流れです。その中で公助を減らして児・共助へという事は個人金融資産を使い切れという事でもあるのではないでしょうか?
これは中間層の老後や必要とする社会保障の貧困化ですし、それ以上に低所得王あるいは年金でも厚生年金や共済年金部分がない基礎年金部分でしか老後を支えなければならない方たちのさらなる貧困化です。その上自民党は2%程度のインフレを起こすといい、消費増税が決まっています。こう見ると個人金融資産を食いつぶすしかない(もともと食いつぶすしかないのですがその食いつぶす速度が加速されます)状態が作られ、まさに富裕層に都合の良い個人金融資産の活用となるでしょう。
もともと年金や社会保障に頼らない富裕層はこの個人金融資産の活用は生きるという意味においては関係のないものでしょう。株や金融商品に使えばいいわけです。
このような個人金融資産の活用などというよりも上に見たような「国に金を貸しているのにその国の借金を返すのは貸している本人」というような頭のおかしくなるような仕組みを改善すべきでしょう。国債をめぐる銀行などの仕組みも解決しないといけない。
このような個人金融資産の活用はあってはならないことです。そこで財政再建や社会保障のためにはどこにメスを入れるのか?
上に書いた銀行のぼろもうけの金はどこに消えているのか、企業の利益はどこに消えているのか、それと関連して最近は貿易も赤字になりましたが以前の黒字部分はどこに消えているのかを見なくてはいけないと思います。国の金融資産はすごい額だそうです。その金がどこから出ているかはよくわかりませんが、やはり銀行や企業の利益と無関係なところにあるとは思えないです。
国の金融資産を中心に企業利益にメスを入れるというのが解決策でしょう。
ここには絶対流用してはならない年金積立金などのような国民から預かっているような金もあるでしょうが、「使えない金」もあるでしょう。たとえばアメリカ国債とか。しかしこの「使えない金」も含めて国の財政を考えるべきです。
【2013年】ツイッターつぶやき
今国会は秘密保護法に集中したものとなっていましたが、国民生活の直結した法案もたくさん出されていました。それをまとめたのが今朝の朝日新聞朝刊ではないでしょうか。
「企業を後押しする財源を確保しようとした結果、個人に『負担増』がしわ寄せされた。」 (同朝刊1面より引用)
これが税制対抗の流れであり、アベノミクスが掲げる第三の矢としての成長戦略でしょう。
今後どのような経済政策が行われるのか。中身についてはよく読ませていただきます。
この企業救済と国民生活の低下についてそしてそこからどのような経済矛盾を生むかはこのブログでも書いてきましたが、ではなぜこのような経済矛盾を生み国民生活を犠牲にしてまで企業を救済せざるを得ないのかが問題でしょう。それは秘密保護法に見られる国民統治の問題としても政治矛盾を生み出します。
そしてこのような国民生活の低下と民主主義を低下させてまで得られるものは何なのでしょうか?
経済面を見てもこの間のアベノミクスと日銀による量的緩和が経済を好転させるものであったかを見れば、国家財政の赤字・貿易収支赤字化・経常収支の赤字化という三つ子の赤字を生み出してもいます。何よりも国民生活の低下や労働の不安定化はデフレからの脱却を押さえつけています。これは政府も認めて賃上げの必要性を言います。しかし賃下げ傾向がどのくらい改善されたかといえば不測は否めないでしょう。
この矛盾をさらに進めようとするのが今後の成長戦略でしょう。
経済矛盾と政治矛盾は深くかかわっています。経済矛盾が上部構造である政治矛盾を生み出します。これが相乗的に悪化をする動きが見えてきたのではないでしょうか。
これが自由主義の保守戦略なのでしょうか?何も日本だけではありませんが、先進国が同じような矛盾に陥れば一時的な自由主義経済は停滞をするでしょう。資本主義の最高段階としての社会民主主義の台頭は不可避です。
【2014年】ツイッターつぶやき
物価が騰がることが好況で、物価が下がることが不況だろうか?
「給与上がるも価格も上がり、実質賃金16か月マイナス続く | 経済指標・統計 - エコノミックニュース 」
原油価格が下がっている。このような外因の経済に及ぼす影響も大きい。同時に消費増税による価格転嫁も大きいでしょう。しかし根底に流れる物価高の要因は日本が輸入大国でもあるわけですから円安が大きいという事でしょう。
物価が騰がっても労働者の実質賃金が下がれば消費不況の原因となる。この実質賃金の低下は賃下げである。円高のころにも労働者の賃金は下がり続けた。どうにか物価安の中での賃下げですから実質賃金はある程度維持されたでしょう。
このように問題なのは円高のころも円安の今も労働者の賃金が下がり続けているという事である。
ここで明らかなのはこの労働者の賃金が過去も現在も下がり続けていることが日本が不況から抜け出せない原因ではないかという事である。
ですから物価高になっても好況にならず、物価が下がっても好況にならない。失われた10年とか、20年とか、30年に向かうとか、結局は不況が続いているのです。
ですから物価がどうのという問題ではなくて不況そのものを改善しなければならないという事である。しかしこの不況を克服するという点で、繰り返しになるがそれは物価を上げることではない。
安倍政権は名目賃金を上げようとしている。しかし物価などが上がれば実質賃金は下がる。この現象は明らかに企業利益の確保であり、それがアベノミクスの姿ではないか?
アベノミクスに対する経済政策は、今の経済矛盾から銘名目賃金はある程度上げることは許容されているわけですから物価を下げるアベノミクスに対する政策となる。このことにより名目賃金も上がり添えが実質賃金の上昇に結び付けられるでしょう。
物価を下げるには政府・日銀の円安誘導を止めることである。
労働力人口が減っている中で、その労働力の需給関係からそうは失業は増やせないでしょう。あとは不安定雇用の増加によるろう度形態の変化による賃下げを止めるだけである。同時にそれは不安定雇用者の大幅な賃上げでなければならない。円高はある程度小零細企業にも有利でしょう。社会保障費の削減は止めるべきです。
この中で貨幣の回転は早まるでしょう。
企業利益は確かに一時的に減少するかもしれないし、それは株安につながらでしょう。しかし資金が株【金融】に流れることを変えるだけなのです。だぶついた資金は貨幣の回転の中で生かされるでしょう。
結局はアベノミクスの流れを変更せざるを得ないのです。それが消費増税の2年延期という現象にもすでに現れているという事です。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
スパムのハッシュドポテト
じゃがいもは皮をむいてレンジでチン。
玉ねぎのみじん切りをバターで痛めて塩コショウ。
スバムは5ミリ角ぐらいに切っておきます。
じゃがいもをつぶしてその中に痛めた玉ねぎとスパムを入れてよく混ぜます。
あとは小麦粉をつけて強火でカリッと焼くだけです。
食べる時の味付けは、クレージーソルト、ケチャップ、ソースの3種類で食べました。
案外クレージーソルトがあっさりしてうまかったです。
【2017年】ツイッターつぶやき
以下、柳美里さんの「雨と夢のあとに」の感想の一部です。
この四十九日間は、現実の中で過ごした二人の時間と永遠の別れである死との中間に位置する時間である。この四十九日という時間を雨と朝晴はどのような思いでどのように過ごしたか。そして永遠の別れをどのように受け止めたらよいのか、その孤独を描く。
雨は、少しづつ朝晴の死を気づいていくが、雨も朝晴もそのことには触れずに49日を過ごす。雨にとっては、このような姿になった朝晴でもいいから永遠にそばにいてほしいと思っただろう。しかしいつか訪れる孤独を予感する。
愛する者の死をどのように受け止めればよいのか、いや、受け止めようのない死からの孤独と悲しみをどのように受け止めればよいのか。そのむごい思いを小学6年生の少女が味あうのである。
四十九日過ぎまでの幸せと悲しみと孤独。。。。
gooお題「あなたの今年の漢字は?」
僕個人にとっての漢字1字ではありませんが、僕個人の1字である色も社会の中で包まれてしまう。
今年の1字は「のり弁」と言われたものに象徴される『黒』ですね。。。。。
でも黒のもっと深いものは「闇」ですね。
ですから今年の漢字1字は『闇』。
国会の運営も黒く塗られてのり弁状態でした。そののり弁の黒は深く広く広がりを持ってきてそれは闇となりました。
報道の自由度が70何位に落ちたともいわれ、知る権利も狭められているのかもしれません。
それは闇です。
ぼうっとしている間にいつ戦争に巻き込まれるかわからなくなった日本。
すでに核兵器廃絶にも力を持てなくなりました。
【2018年】ツイッターつぶやき
毎年恒例の「今年の漢字」が発表されました。災難の「災(さい)」「災(わざわい)」だそうです。
安倍総理も今年の漢字を発表しましたが「転」だそうです。
安倍総理は「期待」によって選挙に勝ってきましたが、政治面だけを見れば
期待「転」じて災いとなる。。。。。
この6年間そして今後は勤労国民にとってはますます「痛み」のある改革(転)が進められるでしょう。
去年僕が選んだ漢字は「闇」でした。
やはり今年も引き続き闇の世界が広がりました。
しかし闇というのは光の世界を遮って生まれるものです。
闇の外側には光があります。
今年は安倍内閣のほころびが目立ちました。ある意味期待だけではない現実が国民に見えてきたということだと思います。それは闇のほころびから光が見えていたということです。もちろんこの闇のほころびをふさぎながら改憲まで突っ走るのでしょうが、その改憲のやり方はやはり数の力によるものでしょう。数の力の国会運営はどうだったでしょう?これもほころびが見えたということではないでしょうか。
水が漏れだした穴の開いたバケツではないですが、穴の開いた闇からは光が差し込みます。
その光をしっかりと見つめる必要がありますね。
ということで、僕の今年の漢字は「光」です。
本格的な冬になり東京は日差しがほとんどありません。東北や北海道は大雪だそうですね。
光る日差しの暖かさを。。。。。
【2019年】ツイッターつぶやき
保育園で18名の保母さんや栄養士さんがパワハラなどに耐えきれなくなってみんなでやめてしまったらしい。この保育園にお子さんを預けている親の方もいろいろと感じていたようですね。
パワハラなどを保育園側は認めるようでもあいまいにしています。
18名同時にやめるというのは保育行政上良くないでしょう。もちろん保母さんたちに責任があるわけではなくて、パワハラなどずっと続けてきた保育園側に落ち度があるのかもしれません。こうやって18名の保母さんたちが辞めざるを得ないようなことを防ぐには、労働組合が必要でしょう。
労働組合があればストライキぐらいですむかもしれませんし、労使交渉で改善の道があるでしょう。保母さんたちも労働環境を変えるには労使交渉しか良い道はありません。
しかし今の日本社会は労働組合に対する意識性が低くなっていたり、企業側の労働組合への敵対心はひどい場合があります。また、労働者という立場から離れた市民として労働組合のストライキへの理解は低く昔からストライキ迷惑論がはびこっていました。もちろん政治も先日亡くなった中曽根さんが総理大臣のころ、国労をはじめとした三公社五現業の組合つぶしがありました。これを支援したのもマスコミであり「市民」でした。
日本は労働組合の必要性も捨ててしまいました。
しかし、今労働人口の減少から従業員を集めることの困難さが広がっています。しかし企業は労働組合がないですからやりたい放題で労働力を粗末にする。
こういう中で今回の18人の保母さんたちが一斉にやめzるを得ないということが起きてしまいます。
コンビニでも過酷な条件に対して不平不満が広がり、24時間営業も元旦営業も難しくなっていく。
労働力を粗末にすれば社会全体が疲弊していくことは明らかで、社会の混乱が進むでしょう。
日本は労働者の権利や労働組合について考えを改めるべきです。外国のストライキにニュースを見てしかめっ面したりしているのは日本ぐらいでしょう。あるいは外国のストライキをその国の矛盾としてみてその国を批判しますが、日本は批判すべきものがないのですか?ストライキもできない日本でどうするんでしょ。
【2020年】ツイッターつぶやき
中國新聞によると、広島県の新規感染者が二日続けて100人を超え、広島市が78人だったそうです。やはり県別にみても人が集中するところでは新規感染者数が急増しているようです。それも広島県の新規感染者数は東京に比べればだいぶ少ないように見えます。
しかし広島市の78人をとってみると、人口10万人当たりの新規感染者は東京の1.5倍にあたるそうです。
もちろんクラスタにより一時的に感染者が爆発することもありますので、このまま東京よりも深刻になるかどうかはわかりませんが、しかしクラスターが発生する過程で市中感染が広まっていたとも考えられます。
この10万人当たりの新規感染者数は都道府県別にまとめて公表されていませんが、この間の地方での新規感染者数の伸びを見るとかなり深刻になっているところがあるのかもしれません。
新穀というのは感染者数の増加はもちろんですが、医療崩壊も心配されます。病院数(病床数)はある程度人口に比例するでしょう。
Go Toは人の移動を促す効果があります。県を越えた移動の促進を国が言うわけですから県内や周辺県の人も大都市に集まります。観光客も観光地だけではなく大都市に集まります。
そうみると地方での感染拡大はGo toの影響も考えられます。
感染が収まるまで中止すべきです。経済もわかりますが、国がGo Toを中止しなくても人の移動は制限されていくでしょう。ですから国は思い切って中止すべきなんです。
【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
先日このブログにも書いたようにバンクシーって誰?展を見に行きましたが、久しぶりに電車を乗り継いで出かけましたが帰ってきてぐったりとしてしまいました。
「田舎のネズミと町のネズミ」。。。。たしかに・・・・・
コロナ禍のせいではありませんが、どこかへ友人とという気力がなくなりました。のんびり一人か家族のでライブならいいけど。
「カラスたちは、ル音のまじった、甘えた声で鳴きかわしている。」
烏たちは甘いような鳴き声でねぐらに帰る。川上さんは「お酒など」という予定どおりに酒を飲みに。
でもよく考えればお酒などという予定も仕事の打合せ。
【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記 フェースブックでつながる。」が更新されました。
マッチョになれるワクチンも、コロナのワクチンも三カ月もすれば効果はなくなる。
川上さんもコロナ感染されていましたが、少し寒くなっても冷やし中華とスイカを元気に食べているようで一安心です。
僕も、もう真冬のような寒さの中、しろくまアイスをやめられずに炬燵の中で食べています。
コロナもまた復活してきていますから気をつけねばなりませんなぁ。。。。。
のびきった麵で作っておいしいのは昭和のナポリタンと伊勢うどんぐらいでしょう。。。。。。
のびていないパスタで作る焦がしケチャップナポリタンを教えてあげたい(笑)
こうして川上さんの東京日記をネットで読ませていただき思ったことをネットにあげられる。
同制度梅につながりではないが、ナポリタンでもつながれる。。。。。
【2023年】ツイッターつぶやき
日銀が1月にはマイナス金利から抜け出すと?
理由が人手不足で賃金が上がるだろうということらしい。
賃金が上がれば経済も好循環に。
金利が上昇するのはインフレのような経済の好転が必要ですが、人手不足で賃金が上がるからというのはお先真っ暗です。賃金総額に変化はないかむしろ減少するかもしれない。
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