その日の空は 雲がとても綺麗で 普段なら魅入っていた事でしょうね。
朝4時過ぎに携帯が鳴って、出ると少しくぐもった声で
「日赤病院ですがOOさんの携帯ですか?お母さんの様態が急変しまして
すぐに来て頂けますか? 何時頃にこれますか?」
息がつまるような思いで 隣室に寝ていた妹を起こして ふたりで急ぎ駆けつけました。
病棟に行くと部屋が移されていて 担当の看護師さんが飛んできて
「今 処置中ですのでこちらの部屋でお待ちください」 と言います。
3.00頃に心臓が止まっているのに気がついて 蘇生処置を施しているとの事
そんな....快方に向っていたはずなのに 昨日は返事もしていたのに...
「どちらにしても すぐに会わせてください」 と 強く言うと 脳外科の主治医がやってきて
「大変厳しい状況です。もう45分以上心臓マッサージをしていますが 反応しません」
「それは 助からないだろうということですか?」
「そうです。お気の毒ですが...」
「そんなばかなぁぁ」 妹が絶叫します。ひとりで逝かせる事は出来ません。
「なら ここで待たせずに いますぐ会わせてください」 とお願いすると
母が処置をされている病室に案内されて そこでは....
入ると 白衣や青いオペ着のDrが6人ほど 看護師が5人ほど ベッドを取り囲むように
緊張した面持ちで迎え入れました。こんなに大勢....ただならぬ事が実感されます。
Drのひとりが強い力で胸を押しています。モニターの心電図は横ばいのまま波形は
出ていません。間違いなく母がその時を迎えようとしています。
分け入るように 母の手を握り傍に寄り添うと その手はもうすでに冷たくなっていて
妹が 「助けて 助けてください」 と懇願しています。
どうしてこんな どうして急に。。。 とても場違いな場面に放り込まれたように
皮膚も気持ちも 瞬間冷凍されたような絶望感が襲い、母の冷たい手を必死にさすり
お母さん お母さん 逝かないで 戻ってきて もはや届かない祈りだと分かっていても
受け入れることは出来ません。
主治医が遠慮気味に 「どうなさいます?まだ続けますか?これ以上は可愛そうですが」
わたしに母の臨終の許可を求めるのですか?どうして はいと言えるのでしょう。
すがるように周りのDrや看護師の 面差しをひととおり見回すと みんなそれぞれ
お気の毒です といった表情で無言に答えます。
もう とっくにお母さんは逝ってしまっているのですね....そうですね 可愛そうですね。
「分かりました。ありがとうございました」 と 立ち上がって一礼すると 全員が
姿勢を正して目礼されて 厳粛な瞬間が訪れました。
「5時4分です」 母の人生が終った時間を告げられて 妹がわっと泣き出します。
熱いような冷たいような絶望的な感情が支配して 体が震え 理不尽なこの瞬間に
耐えるには 湧き出してくる涙を 流れるままにするしかないのでしょうか。
見届けるよ。お母さん、最後までちゃんと見届けて お父さんや兄さんのところへ
送り出すよ。もう 痛くないといいね。苦しくないといいね。
ご飯も食べられるよ。水も飲めるよ。もう辛いことからは開放されるよ。
母の髪を撫ぜながら やはり 出てくるのは 「ごめんね」 ばかりです。
立派な女性でした。全てに頑張りとおした素敵な女性の人生でした。
わたしは母を誇りに思える幸せをもらって 恵まれた娘でしたよ。お母さん。
田に水が入り 田植えも終って雨を待つ6月18日
母は人生を卒業しました。
この前お見舞いに行った 恩人の方よりも早い卒業となりました。
辛かったですね。こんなことがあるなんて・・・
短い期間にいろんなことがありすぎてお二人の姉妹が受け止めるには
あまりにも辛い試練でしたね。
私にとっても突然で一人では受け止めることのできないほどのショックでした。
yuzuさん大丈夫かな・・・と案じておりました。
何もお役にたてないことが今回ほどもどかしく感じたことはありません。
でも長女として立派に喪主を務められお母さんを送ってあげることができてよかったですね。
いえいえ今は何が起こっているのか夢であって・・・という混乱の中にいるのでは・・・。
こんな時お姉ちゃんがいて妹さんもどんなに心強かったでしょう。
お母さん中心の毎日だっただけに悲しみも喪失感も大きいと思いますが
どうか元気をだしてね。
できることは精いっぱいやっていたyuzuさん。悔やむことはないとおもいます。
お母様が一番分かってくれていますよ。
お父様もお兄さんも「ありがとうyuzuさん妹さんお疲れさま」と言って
みてくれていると思います。
お疲れのところ発信ありがとうございました。
『その時』 というのは突然やってくるものです・・・
僕の親父の時もそうでした・・・
お母様は きっと眠っているうちに
安らか旅立たれたのでしょうね・・
貴女がお母様暮らし始めて
お母様はきっと 幸せだったと思いますよ
お母様も きっと感謝していますよ
しばらくは 心にポッカリ穴が開いたようになると思いますが、
どうか 元気を出してくださいね。
貴女は立派に 務めました^^
お母様はきっと今頃お兄様やお父様と一緒に
貴女の事を 見守っていると思います。
『Yuzu・・ありがとう・・ご苦労様・・』 と・・・
貴女になんと言葉をかけていいかわかりませんが
身体を気遣ってださいね^^
元気出してくださいね・・・
Yuzuさん、お疲れさまでした・・・
何がなんだか分からないまま するべきことだと言われる事を
あれこれこなしているような気がします。
昼間はすることも多く 人もいたりして取り紛れていますが
夜、妹とふたりになると ああだったねこうだったねと
話しているうちに また喪失感に襲われている風です。
なにわいばらさんには ご親切に言ってくださって
本当に身内のような言葉に思え 感謝しています。
冠婚葬祭には疎い私ですが 従兄弟ののりさんや
おじさん おばさん達に教えてもらって
ひとつずつ覚えていきますね。
ありがとうございます。
そうでしたね。あなたのお父様の時も急でしたね。
長男としてきっちりと努めを果たされたことを
胸を痛めながら見守ったことを思い出します。
ほんとに これでいいと言う時はないから 突然に思えてしまいます。
遺影があまり優しい顔なので 従姉妹がもう一枚
お茶目ないたずらっ子風な写真を飾りなさいと言います。
そうしたら 母に文句も愚痴も言えていいよと
叔母を亡くした先輩としてアドバイスしてくれました。
今日 小さな写真立用にファイルが取り出して
プリントアウトしてきましたよ。今もPCの横で笑っています。
もうなんとコメントしたらいいのか
。。。
早朝の病院からの知らせに驚かれ・・・
到底受け入れられない中での辛い判断・・・
強いというか冷静というか
yuzuさんだからターミナルを察知されたように伺いました
立派なお母さんの卒業にyuzuさんが立派に喪主を務め上げられ・・・
天国に召されたお母さんも誇りに思われてますよ
どうかどうかお疲れを残さないように・・・
ご自愛くださいね
人が生まれた時の手続きは 出生届だけで済むけれど
亡くなったときは 煩雑な手続きがいるものですね。
それは 何十年も生きたのだから いろんなことに所属して
いろんな関わりの中で暮らすからでしょうね。
ひとつひとつこなしていますが 足跡を消す作業のようで
わかってはいても 寂しいものですね。
でも たとえ1年でも母とふたり暮らせたことは
私の中で救いのような気もしています。
まだまだすることはいっぱいあって しばらくは
忙しそうです。夜ね 慣れないお経を妹とあげています。
変なお経だと 母が笑っていることでしょうね。
Yuzuさんの文面を読んでいて、なんと言えばいいのか、
何を申し上げていいのか、心が折れます。
こんなにもやさしい娘さんたちにしっかり看てもらって
お母様は今幸せで、安らかに眠っておられることでしょう。
今は妹さんがいっしょにいてくれますので、悲しみは
少しまぎれるでしょうが、落ち着かれた頃ひしと寂しさ
を感じるでしょうね。
そんな時、妹さん、こうちゃん、いろんな人に逢って
お母様の思い出話をするもよし、楽しい話をするもよし、
昼間だけでもたくさん笑って過ごすようにしてくださいね。
毎日笑って、楽しく暮らしているYuzuさんの姿を
ほんの近くでお母様はにこにこ見ていてくれますよ。
姉より
今日はね 母の本籍地に行ってきましたよ。
年金の支給停止の手続きに必要だそうです。
することがたくさんあって 妹に手伝ってもらいながら
長年 母がお世話になっていた お隣とお向かいの奥さんに
ご挨拶も済ませました。
無心にするべきことをしています。
こんな時は することが多いことで助けられているのでしょうね。
みんなにも助けてもらって 日を送りながら
毎日花を新しくしています。花が大好きな人でしたから
今は めいっぱい花で囲んでいます。
暑いから すぐに痛むのですね。
悦子さん ありがとう。
今、お母様が亡くなられたことを知りました。
言葉はありません・・・
お母様はyuzuさんの心の中に何時までも居られると思います。
日々元気に楽しく歩いて行かれる事をお母様も願って居られると思います。
眠れなくてここに来ましたら fukuさんのコメントに...
もう退院なさったのですか?
リハビリも辛かったことでしょう。
だんだんと良くなっていくでしょうから 無理なさらずに ネ
そうですね。
49日が済むまでは なんとか頑張って
そのうち 山にでもしばらく行こうかとも思っています。
ご心配おかけしました。m(_ _"m)ペコリ