40年に渡って お茶とお花のお稽古をしていた母は 5年前から人工関節で正座も出来ず
椅子に座ってのお花のお稽古ももう限界で その道から引退していました。
お弟子さんも長い人は 20年以上通ってくれた人もいて 中でもMさんという方は
独身の頃から今日まで 熱心に師事されて 師範のお免状も取られて
仲間のみなさんの 取りまとめ役のような行動力のある人でした。
この方が 母がやめてからも月に1度は みんなで誘い合わせて 実家の方に
訪ねてくださり 「先生を囲む会」といっては 食事に誘って下さっていました。
病気後も一人暮らしの母を 気遣ってくれていたのでしょうね。
わたしと住むようになってからは 毎月、 葉書で旅行や美術館めぐりの様子など
筆まめにお便りいただくようになりました。
葬儀の3日後 またMさんから博物館の絵葉書がとどき いつものように
「先生、お変わりありませんか?」 の書き出しで ぎっしりと書いてくださっていました。
ああ...この方にはお知らせしないと...
夜、電話でお知らせすると 電話の向こうで泣いている様子が伝わってきて
お互いに 家のお稽古の時に出会っていた頃 母はまだ元気だったな...と
知らせる方も聞く方も 切ない瞬間でした。
間もなく Mさんからの連絡で 長く母のお弟子さんだった親しい人たちで
お線香をあげに来てくださるとの事、遠い人もあり恐縮でしたが、たってと言われ
母も会いたいかと思い ご厚意を受けました。
3人で訪ねてきてくださったMさん達は 私も実家に帰ったときには お会いしていたので
顔なじみで お参りの後いろんな話をしてくださり 気持ちがだんだん和んでいくようでした。
「先生のお稽古は楽しかったですよ。お茶といったらお手前だけのお稽古が多いけど
お花も、地理も歴史も 俳句、短歌、習字 いろんな事を教えていただきました」
「わたしは これはいい本よとたくさんいただきましたよ。宮尾登美子とか杉本その子とか」
「わたしは藤沢修平を10冊ほどいただきました~」
「みんなで何ヶ月に1度は あちこちに出かけたね~。これ西大寺の時ものですよ」 と
アルバムから取り出してきた写真を 懐かしそうに次々と説明してくれます。
そこには楽しそうにお 弟子さんたちに囲まれた母がにこやかに微笑んでいます。
よかったね。いいお弟子さんたちに恵まれて....こんな時も過ごしていたのね。
話には聞いていたけれど ほんとに楽しそうな様子に癒されます。
「先生はお辞めになるときに お道具を何度も運んでこられて 弟子全員に等しく
好きなものを取りなさいと公平に分けて あんな先生はおられません。見事な
引き際だと みんなで言ってたんですよ。」
「先生について学んだことが 私の誇れることなんですよ」
いえいえ 母はいつも 私は弟子に恵まれたと言っていました。
みなさんとお稽古できたことは 母にとっても幸せなことだったと思います。
2時間ばかりの思い出話に 私の中で母の充実した時が蘇り 空虚な空間が
なにか柔らかなもので包まれていくようでした。みなさん ありがとう....
師と弟子 節度の保たれた中で こんなに密着した穏やかな関係があったこと
改めて嬉しくありがたく 訪ねて来てくれた事を喜んでいるだろう母が思われ
ありがとうございます が 何度も何度も湧き上がることでした。
お久し振りの訪問でございます。
暫くの留守の間にyuzuさんにはたいへん辛く悲しい事がつづいたようですね・・・
ブログを拝見して大変驚きました、今この期に慰めの言葉もみつかりません
ともかく、お母様のあまりにも早いご逝去には
遅れ馳せながら心よりお悔やみを申し上げます。
yuzuさんが思い切って仕事に区切りを付けて
お母さんと生活を共にされたのは本当によい判断だったようですね
お母さんもどんなにか心強かった事でしょう本当に喜んで居られたと思います。
yuzuさんが吐血され、それでも運良く良性の腫瘍であったのも不幸中の幸いでしたね
ですから今思えばお母さんが身を挺して守って下さったのかも知れませんね・・・
暫くは悲しむ間もないくらい、いろんな事で忙しいと思いますが
充分お身体には気を付けてほんとに、ほんとうに
また元気なyuzuさんの復活を待っていますよ~^^
悪代官 より!
お帰りなさい。そちらも落ち着かれましたか?
多分 あれこれと労力がいったことでしょうね。
お疲れ様でした。
うんうん お留守の間に一度にいろんなことが重なって
自分ひとりでは背負いきれなかったでしょうが
みなが助けてくれて なんとかやっています。
そーですね。母が身を挺してくれたのでしょうね。
今はほんとに そのように思えます。
1ケ月 休職してくれた妹も仕事に戻り 母とふたりの家に
寂しい空間が広がっているので 2日に一度
花を買ってきて 賑やかに飾っています。
主にゆりと白い菊ですが 清楚な雰囲気が母に似合っていますよ。
あっという間の49日の準備で まだまだすることは
たくさんありそうです。
本当にいいお弟子さんたちですネ☆
それもこれも
お母さんが師匠として凄かったからでしょう☆☆☆
師弟関係がかみ合うって最高ですね^^v
私にも忘れられない師がいますが とても毅然とした厳しい
先生でした。ついていくのが辛い7年でしたが
後の自分にどれほど大事だったか ありがたい師でした。
いろんな師弟関係があるでしょうが 母達の関係が
ほのぼのして 今のわたしの気持ちを とても和らげてくれ
ほんとに よかったねと お弟子さんたちに感謝しています。
pikaoさん ありがとう。
お母様が 生前残された
すばらしいものだと思います
『師弟の絆 』
流れる時間の中で
ゆったりと 季節の花を愛で
小鳥たちを慈しみ・・・
そういう優しい人柄が
いいお弟子さんを育てたのでしょうね^^
いい話です。
ありがとうございます^^v
今 こちらは大雨です。そちらは大丈夫ですか?
あの方たちが まだ溌剌とした20代前半の頃から
ずっとのお付き合いですが みんな逞しい奥さんや
お母さんになられて 時が過ぎたことに改めて驚いています。
私も15年近く実習生に関わりましたが
一期一会がどんな形でも 大事に出来ていれば
嬉しいかな....
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の割れても末にあわむとぞおもふ
大好きな一首ですが 恋歌としてじゃなくても
いろんな場面でこう思う人は多いでしょうね。
やがていつか 母に会えたらいいなと思います。
makoさん ありがとう
お母さんはこれまでお弟子さんたちやまわりの人たちに真摯に向き合ってこられたその人柄がみえてくるようです。
なぜか母を思い出す時はいつも小学生の頃の私です。
その頃は何も考えることもなく両親がいるのは当たり前でのほほ~んと毎日を過ごしていました。
あらためて「ありがとう」と言えないままの別れになってしまいましたが心の中ではいつもそういう思いが溢れています。
yuzuさんさんも決してひとりじゃないですよ。
あなたを心配する大勢の人がいることを忘れないでくださいね。
することばかり多くて 私の気持ちとは関係なく日々が
過ぎていって少しね呆然としていました。
なにわいばらさんのお気持ち なんだか分かるような気がします。
もっとしっかり伝えるのだった...今もそう思います。
一番幸せだったときは 父がいて母がいて 兄妹がいて
なんの心配も不安もなく過ごしていた子供の頃...
もういちど あの頃に戻りたいですね。
そんな日々の合間に Kさんが三室戸寺に
連れ出してくださいましたよ。