冷たい雨の降る日。千葉の被災地はどうなっているのだろう。千葉の房総半島は冬も比較的暖かく、春には早く菜の花が咲き始める。千葉市内の中央区などもどうしてここが水没するのだろう と思う。寒さに向っていくのに、家も流され、大切な身内も亡くしていたとしたら。「涙も出ない」と言われた方がいたが、ほんとうにそうだろう。かといってこちらにもかける言葉がない。呼吸している以上生きていかなくてはならない。つらいこともあったが、自然災害に遭うことはなかった。雨や風をうらむことはできない。
平和すぎたのでこの国は平和ボケしているのだろうか。報道だって、のどもと過ぎればでなくて、伝え続けていかなければ、いまだ大変な生活を強いられている人たちのことはわすれられてしまう。マスコミの劣化が言われているが、あらゆるのもが劣化しているのかもしれない。(私自身も含めた)
などと今日は偉そうなことを書いた。昨年のブログ記事が届いた。「あとは自分で考えてよ」だった。希林さんの言葉だ。なにか人の言葉を聞いて、ああそうだわ、とわかったような気になってしまう。自分で考えるということは 本当に大変だ。" To be or not to be" となれば・・・。この年になって、大事な人も失い、形あるものは流されてしまったら 生きていけるだろうか。
今日はあたたかい夕食が準備できた。暖をとるものをある。せめて謙虚に感謝して生きていきなさいと神が降らせた雨のような気もする。