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血縁関係のむずかしさ

2024-08-06 20:31:29 | 日記

ふるさとの街やかれ 身寄りの骨うめし焼土(やけつち)に

今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を・・・

8月6日になると思い出す歌です。私がこの歌を聞いたのはおそらく小学低学年でした。叔母が(母の妹)が、高校の合唱団で歌っていた曲だったと思います。その時は、歌詞の意味などわからなかったはずなのですが、ずっと印象に残っていました。

叔母(R子さん)は、末っ子なので私を妹のように可愛がってくれました。社会人になって東京で働くようになってからはとてもお世話になりました。叔母が離婚して、祖母が甥っ子の面倒を見るようになってから、母の兄弟姉妹たちは仲が悪くなりました。叔母の生活も大変だったので、祖母に生活費を送りなさい、という話からこじれたようです。長い確執があり、祖母の葬儀には、二人の叔母を除いて兄弟姉妹たちは(義理も含めて)葬儀から締め出されました。なんとも複雑な思いでそんな血縁関係を見ていました。父方の叔母と母とも仲たがいはしたのですが、幸い、叔母(F代さん)は、私といとこたちとの関係は変わらなくていいと言ってくれました。

F代さんも亡くなり、従弟が私を長浜に訪ねてくれたり、うちのお墓参りにもいってくれています。母方はR子さんとお付き合いがあるだけです。

なにか祝儀・不祝儀が起こると問題になるのが、血縁関係ですね。今日のフェイスブックにあった記事ですが、真実かどうかはわかりませんが、「妻の連れっ子」という題でした。7つ上の奥さんと結婚した男性。彼女が32歳、彼が25歳、その時娘が9歳だったとか。男性は自分の子どもはその子だけと、奥さんとの間に子供はもうけなかったそうで、ごく普通の家族関係のように過ごしたそうです。そして、奥さんが42歳の時にがんで亡くなったそうです。彼(35歳)と19歳の娘に関して、親戚は(妻側)は血のつながりのない彼と娘の生活に関して、反対したそうです。それでも、二人は当たり前の親子のように生活を共にし、娘が25歳の時、結婚式をあげることになったその時の気持ちを綴っていました。奥さんを娶るときに、義理の父はこんな気持ちだったのかとしみじみ思ったそうです。泣ける話というタイトルのページでしたが、改めて、血縁関係を考えてしまいました。

血のつながりがあろうが、なかろうが、ひととの関係の持ち方は同じように思います。ただ、誠実さだけがのように思うのです。


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