風がざわざわしている。お天気になったがさむいくらいの風が吹いている。机の上の山のような写真がだいぶきれいになった。去年のぶろぐは恋のお話だった。私はいまこひのお話を書かないのは(書けないのが正しいか)、話せるようなこひがないのだ。「藁をも掴む」ような状況だったからだろう。でも、それは世間ではよくあるお話らしい。こひして、結婚し、しばらくして「なんであの人と結婚したのかしら」と思った人はお友だちにもいる。まぁ、それも人生。だれにでもあるブラックホール。こころの隅の隅に思い出を残して、毎日を平和に送ればいいと思う。
渡邊淳一はあいが深まれば、肉体的なつながりも深くなるという。それもわかる気がする。こればかりは男の気持ちはわからない。肉体の構造が違うから無理だと思う。渡邊淳一は、男の肉体のほうがむしろ心に正直だという。そうかもしれない。もと夫は、本気が発覚したときから、もぬけの殻のようになった。マンションの上からつらそうに仕事に向う姿を見てるのが苦しかった。家でぼんやりと空間を見つめて煙草を吸う時間が長くなった。こころはどこかへ行ってしまった。精神がもぬけの殻で、肉体だけがあるようだった。
私は残酷な女だったと思う。本気で彼女を好きになったのは仕方が無い。交通事故は起こるのだから。ただ、どちらかが違う職場に移ってほしかった。彼女になると思うが、発覚したら誰かが出て行かなくてはならない。その覚悟が、二人にはなかった。少なくとも肉体関係ができたら、もしものことを考えないほうがおかしい。私はそういう点ではきつい人間だ。二十歳そこそこの女の子が仕事を失う。そして恋人も・・・・。二人を許したが、せめていいたかったのは「私の目は節穴ではないわ」だった。
つまらないお話しをしてしまった。今、二人は一緒に仕事をして幸せらしい。よかった、よかった。そう思える自分がいる。白い手乗りの文鳥みたいに、手の中で安心して休んでいるようだ。でも、歌を忘れた文鳥のように、ことばがなにもでない。決してつらいのではない。ただ、ことばがなにもない。
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