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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

必要だからあいした? あいしたから必要?

2023-06-07 19:32:20 | 日記

つばめが旅立ちました。スクールガードの方の玄関先には今年もつばめが巣をつくっていました。カラスに狙われてはと、紐をひらひら垂らして周りを囲っていました。ひなが孵り大きな白と黄色のくちばしを開けて、えさを待っていました。その姿のかわいいこと。昨日、巣が空になっていました。近くの電線で親つばめが見守る中、飛ぶ練習をしていました。昨夜は巣に帰ってきたという話でしたが、今日はすっかり空でした。無事旅だったと巣の下を掃除されていました。お聞きすると4羽のひなのうち2羽は親鳥に巣から落とされたということです。生き物の世界の厳しい一面を見た気がしました。また、来年来ますようにと巣を残されました。つばめが巣をつくる家にはしあわせが来るといいますね。

ほのぼのとした気持でした。最近はだいぶ気持ちも安定していて、粛々と毎日をこなしています。ふと昨夜思ったのですが、こひはないも考えずに走りだして、燃えても消えることもある・・・。あいはもしかしたら、あいしたのでその人が必要だと思えたのではと。確か、嵐が丘の映画の"I want you. I need you. I love you." を「愛してるわ、愛してるわ。愛しているわ」と訳されていたのを思い出しました。「欲しくて、必要で、愛した」か・・・。愛しているうちにその必要さがわかったと思えたのです。初めは素敵な方だなぁ、信頼置ける方だなぁ、からこの人は私には必要な人なのだと。十分条件で必要条件などという遠い昔の数学の証明を思い出しました。

今日は歩き過ぎからきたひざ下と坐骨神経痛のような痛みに悩まされています。1万歩以上12日歩くのは、そろそろ限界のようです。情けないですが、年を取ると今まで気が付かなかったことにも気付くようになりました。毎日貧しい生活でも、心が穏やかならいいかなぁです。

I love you. I need you and I love you, かなですね。

 

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あなたがいなくなったら

2023-06-06 20:09:40 | 日記

午後から時々雨になりました。安定しないお天気で、風邪をひいたのか?アレルギーなのかよくわからないでぐずぐずしています。室温は21度くらいありますが、寒い感じです。

シニアサッカーのお友達から「老人の取扱説明書」なる本が届きました。80歳以上のシニアサッカーのメンバーの遠征に帯同したりしていた方なので、かなりご苦労があったと聞いています。「そろそろ、面倒みられる側に代わるから、読むようだったら送るよ」と言ってくださったものです。まず、その言葉を聞いて、さびしく思いました。しばらくお会いしていませんが、電話ではお元気なのに・・・。まだ、面倒を見られるようにはならないとは思うのですが・・・。

さて、さらりと目次を見て、よんでいいものか?しばらく読まないほうがいいものか?と思いました。彼も漢字練習と計算練習は毎日しているといいます。ともかく、気にしていたらしなくてはならないことが増えてきます。お肌の手入れや髪の毛の手入れ、ストレッチや筋トレ・・・。年を取ると、現状維持にお金と時間がかかります。

そういえば、私のブログの写真は、だいぶ前のようなもののような気がします。スマホの写真も同じころのものです。フェイスブックもそうかもしれません。大事な方もお若いころのお写真を使われているので、時々可笑しくなることがあります。このまままなら平和なのにと。笑。

そうだ!頂いた本はもう少し先に読もう!

親友のYさんはご主人が亡くなったときのシュミレーションをしているとか。悲しみにくれないようにということで。そんなこと無理だと私は思うのです。その時でないとわからないし・・・。哀れな女なのか?健気な女のか?

あなたは神さまと同じようにわたしの心の中にいるのだから大丈夫とと言えるように生きていられればいいように思います。

 

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19歳から25歳が人生の生き方を決める?

2023-06-05 20:16:14 | 日記

陽の匂いのするタオルが肌に心地よいです。さわやかな(少し暑い)1日でした。こんな日は紫陽花が似合いませんね。ピンクのかわいい紫陽花が好きになりました。いわゆる紫陽花色はさみしいので好まなくなりました。

昨日のぶろぐにも関係するのですが、上岡龍太郎さんが「人生は19歳から25歳をどう生きたかで決まってくる」と話されていたとお聞きしました。改めて、19歳から25歳は何をしていたのかなと思い出していました。

大学時代はろくに勉強もしなかったですが、英文タイプと英会話を習いました。英文タイプといってもピンとこない方も多いのでしょうね。タイプライターなるものがありました。英文タイプやカナタイプでした。英文はレターを打つことやインボイスを打つことが多かったです。まだ、パソコンなんて言うものは当然ありません。でも、この英文タイプを習っていたおかげで、なんとか今パソコンのブラインドタッチが出来るのですよ。社会人になってからは、「あなたは数字に強いので・・・」などと騙されて?経理部に勤務。これが経理屋さんになれたきっかけです。なにが数字に強いだと思いましたが、簿記ぐらいは勉強しようと勉強しました。おかげで、仕事には困りませんでした。

そして、よく言えば上昇志向で、(いまならOKなのでしょうが)転職しました。経理と英会話はレベルアップしていました。でも、大事なことは違うのだと、仕事以外にきものの着付けを習い出しました。仕事が終わると週1回きもの学院に通いました。27歳くらいで師範科を卒業しました。着付けの仕事を通じて、悩みのある女性たちに寄り添っていました。

思い出すのは「学んだ」ことです。そのころはY氏(何十年もこころにいた人)に、ふさわしい人だありたいと生きていました。これが私の人生の基盤かもしれません。50歳からの放送大学での心理学と教育学を学んだこと。そして、少しでも人の役に立てればと生きてきたことでしょうか。

上岡さんの言うことは、私にはぴったりでした。いまも、大事な人に恥ずかしくないようにとは思うのですが、年をとった分、開き直りも出てきました。笑。

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ノックさん あなたは僕の太陽でした

2023-06-04 18:13:02 | 日記

台風の爪痕がまだ残る地方もあるのに、快晴に近いお天気で琵琶湖の方から吹いてくる風もさわやかです。水害の後は臭いが気になってなかなか住めないということを、石巻で津波に遭われた方からお聞きしました。ご高齢の方が、後片付けが大丈夫なのかと心配になります。

昨夜のNキャスで、上岡龍太郎さんの追悼をされていました。その中で、横山ノックさんへのお別れの言葉がほぼ全文放送されました。2004年に引退されていた上岡さんが1回だけ皆さんの前に出られたということでした。脚本家の三谷幸喜さんが全く原稿なしにあれだけの弔文を読まれるのは、すばらしいと話されていました。

「ノックさん、あなたは・・・」で始まるフレーズが続きました。ノックさんの新聞記事になった場面などを思い出させる言葉でした。デビューから漫才界のトップになり、議員になり、女性問題も起こしたりしたノックさんを愛情を持って振り返られていました。ユーモアも交えながら。

家族葬も多いこの頃ですが、その人をよく知る人たちでしみじみと偲ぶ葬儀もいいのかもしれないと思いました。教会(カトリック)の葬儀は、神さまの元に還るという感じで、讃美歌を歌いながら厳かにじめじめとはしないで行われます。天に昇げられるという感じです。

私はノックさんのように個性ある生き方はしていませんが、せめて最期くらいは「あなたは僕の太陽でした」などを偲んでくださる方が(たくさん)いたら、最高の最後かもしれないなんてにんまりするのです。最近は、とみにおめでたい女になりました。笑。

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おとこの引退(引き際)

2023-06-03 19:18:46 | 日記

台風の影響の風雨は大変だったようです。金曜・土曜日は人の移動の多い日。東海道新幹線が止まり、空の便もないとなると、移動できない人で混雑したことと思います。都内の川も溢れそうでしたね。すべてが自然災害と言えるか?難しいところです。以前、小学生がCO2削減リストというのを、学校から配布されて毎日チェックしていました。紙ベースでなく、そろそろそういうものがスマホでもできるようになる必要がありますね。

(おとこ)の引退と、「おとこ」と限定したのもおかしいのかもしれません。でも、長いこと勤めた仕事からの引退は、やはり男性の方がいろいろあるように思います。一区切りで次への歩みを進めることになるのでしょうが、引き際の悪さを感じることもあります。昨日、上岡龍太郎さんが亡くなられたニュースが流れました。ああ、あのクレバーな上岡さんが・・・と改めて思うのです。彼は完全なる引退でしたね。そういう潔い引き際は少なくなりました。

話は少し違いますが、ネットに渥美清さんの人生が書かれていました。彼のプライベートな部分は親しい人にもほとんど知られてないそうです。渥美清さんは「板橋の方の職安の脇のドブに頭を突っ込んで死んでいるのだよ」と自分の最期を語っていたそうです。孤独な死を覚悟されていたのでしょう。

自分のいた地位に、どうも引退後も思いが残るらしく「復活」する方もいるようです。やはり「地位」は捨てがたいのでしょうね。困ったおじさんがいらっしゃいます。肩書のない名刺はおいやなのでしょう。シニアサッカーで、住所とお名前だけの名刺をただくと、ほっとすることがあります。

なんでもいいではないでしょうか、あなたのやりたい仕事で生涯現役でいられるなら。どこで何をしていてもあなたはかわらないと思うのですが。

 

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