1日は24時間
1時間は60分
1分は60秒
なのに
常にせかせかと走るように生きる人と
常にのんびりと歩くように生きる人が
この世の中にはいるんだよね
その中間ぐらいがちょうどいいんだろうけど
なかなかのんびりできなくて…
私せかせかタイプなんです;
常に
前に前に、前進前進していきたいのです
もうちょっと、ゆっくり生きたいな
もっと気持ちに余裕を持って
ゆっくり生きたいな
お手本は
そうだな
猫ちゃんかな(=^・^=)
猫のようにゆったり構えて
気まぐれで
のんびりのんびり
できるかな
ちょっとずつ
ちょっとずつ
やってみよう
あと
もうちょっと
物事を
前向きにとらえられるようにも
なりたいな
楽観的に
でもちゃんと現実も見つつ
冷静に自分を見つめながら
バランスのいい考え方ができるようになるといいな
今2つ挙げたような
理想の自分に
近づけたらいいな
「きっと近づけるよ」
なんか聞き覚えのある声だな
いま
もう1人の自分が
私の肩をぽんと叩き
そう言ってくれたような気がしました
「必ずなれる、というか、なってみせるよ
だから見ててね」
もう1人の自分に
そう返しました
同じ細さの小指同士をキュッと絡めて
約束
とってもとっても
温かい手でした
このブログが良いと思った理由を書きます。
何かヒントになれば。
HSPという言葉が流行してますが、私には違和感があります。
「自分」と「自分以外の世界」のどちらが高度で複雑か?
と問われれば、当然、「自分以外の世界」でしょう。
例えば、出された料理にとろみがついてたら、それは、塩分が控えめなんです。
味を感じるのは、舌なので、とろみをつけて舌に接触する時間を多くすると、塩分が少なくても塩気を感じられる。
これは、人類が発見した科学です。料理した人は、その知識とテクニックをどこかで時間をかけて勉強したんです。そして、料理を作った人は、食べる人の健康を想って、そうしたんです。
ほら、複雑で高度で繊細でしょ?
でも、私達は、鈍感だから、出された料理を美味しいかまずいかでしか見ない。
私達が見てる世界。
つまり、本当に繊細ならば、世界の繊細さに気づけるはずで、私はそれを教わりたい!
まさに、このブログは、そういうブログでした。
一方、他の自称HSPの人のブログは、ほぼすべて、自分の事を書いてるブログです。
「自分」という基準は、繊細とは正反対の、一番単純な基準でしょう。好きか嫌いかみたいな自分の基準は、全員が持っている単純な感覚だし、全員がそれを重視しています。
ブログを読み返してもらえると分かりますが、記事がだんだんと「ゆりたが見てる自分」に寄って来てるように思います。
結婚による精神的な不安定さがあるので、仕方ないかもしれませんが、もし無自覚ならば、外側の世界を意識すると、世界の繊細さに触れて、ゆったりとした気持ちになるかもしれません。
私は、周りの葉が綺麗な紅葉なので、私の色はどんな色でも良いと思うぐらい、のんびりしてますね。
自覚がなかったのでハッとさせられました。
今は人生の転機が訪れ、どうしても「ゆりたの頭の中」になってしまっていると思います。
でも人間はやじろべえなので、グラグラしていても
ある程度戻ってこれれば(=安定していれば)いいのではないかと思います。
左に揺れては真ん中へ行き、そして右に揺れてはまた真ん中へ戻り…それの繰り返しこそ人間らしいのではないかと思います。
繊細であるがゆえに揺れやすいですが、なるべく外の世界からいい影響を受けながら、いいことを”いい”と感じる心を忘れずに、これから生活していこうと思います。
コメントありがとうございました。