♪文化フライを知ってるかい?
♪ホホホ~イ、ホホホ~イ、ホホホ~イ、ホ~イ!
・・・・・・ココリコ遠藤だ。(この手の件好きだな私は・・・)
↑こう書いたが当然遠藤は知る由も無い。関西人だから。
知っているのは関東人だけ。でも大半が知らない。
それだけ希少な存在だったのだ。
希少というよりも、唯一1店しかなかった。
大師の盆踊りの後編の前に、フィーチャーしたこの話を。
(本当は昨日更新したかったんだけど疲れてダメだった)
昨年もしたが若干間違いもあったようなので。。。
これは何に見えるだろうか?
大方鶏の胸肉のフライとか思うよね?
でもそう思った人は残念。そんなのわざわざ紹介する価値は無い。
オールドファンのために例年紹介しているが、今年も出ていたぞ。
この足立区発祥の幻の露店食「文化フライ」が!!
そんなもん知らん!という人が全国的には90%以上だと思う。
考案者の長谷川さんが若い頃は関東各地のお祭りなどあちこち行っていたので、
(今も大手露店屋(?)は全国各地に出向いていて珍しい話ではない)
関東近県でも中年以降の縁日好きの人には多数認知されている超懐かしい代物だ。
これの元となったのは浦安の方の玉子フライをヒントに考案したらしい。
それはサーターアンダギーのようにボール型をしていたそうで、
揚がるのに時間がかかるとかでこの形状を考案したのが
足立区の梅島に住む女性の長谷川さんなのだ。
(主な情報源は「はすぴー倶楽部」さん)
それが50年前頃に始めて、その頃はあちこち出没していたが
(なので自分の地元が発祥だと勘違いしている地域の人も居る)
年輪を重ね、そのパワーも無くなり、徐々に地元地域だけになり、
それもここ10年前にはもう出すことすらなくなった幻の露店なのだ。
それでも自宅で常連さんにはTEL受注を受け、自転車で区内の
行ける範囲内では配達販売をしていたが、残念ながら2006年に他界。
元祖文化フライは事実上この世から消え去った。
しかし最盛期の当時、指導したのか模倣したのか、もう1店あったという。
そのお店なのかどうかは解らないのだが、2005~2006年ごろから
西新井大師の盆踊りの8/21・22日の2日間だけ出ているのだ!!
この2009年も出ていて確認したどころか、当然食った。
「期待してるからこれからも出してよ」と話すと、
ヒゲの中年男性が「解った」と受け止めて宣言してくれた。
(ちなみにウィキにこの露店情報などを追記したのは私です)
発案者のものではないが、一応継承者がいる事実が嬉しい。
下町の端の貧乏食。その代表がお好みを焼くには粉が足りない。
具もキャベツぐらいしかない。でも人数がいるので水で薄めた。
ドロドロで固まりやしない。でも勿体無いからソースをかけて
混ぜて食べてみたら、これがことのほかウマかった!!
・・・というもんじゃと共にこの文化フライは、
とんかつでも食べたいが高価で食えない。だからハムカツをと思うが
それもまだまだ高価で食えない。でも安くカツが食いたい。
だったら具無しでいいや。露店で子どもたちの小遣いで買える範疇で。
勝手な想像だが、発祥の時代からそんな思いも見え隠れする。
その通りに小麦粉の生地の中身は何も無い。
記事に練りこまれているのも何も無い。
(この露店は玉子を練りこんであるようだが)
それはあまりにも心もとないとして、水に良く解けるからと
これも発祥当時の時代を反映しているシュガーカットをその発売以降は
使用しているらしく、その甘みが付いているのだ。
見た目は潰れてペラペラの具なしカレーパン。
それを特製ソースに浸してガブリ。これがまた何故かウマい!!!
生活の知恵とはよく言うが、下町の貧乏パワーは素晴らしいのだ!
そしてこの露店は最盛期の後半に元祖の長谷川さん以外にも
これをやっている人が同じ区内にいるということで、
別の方が居ることも知っているのだが、その方なのかどうかは
未確認だが、多分そうではないかと推測される。
その方のほうも撤退されていたので、ここ数年前から復活してくれた
今では貴重な存在となったのだ。
では昨年のものも交えた画像でその様を紹介。
これが外観。今年からこの黄色いシート看板が掛かった。去年まで無かった。
そこには「元祖玉子ミックスフライ」と書かれているが、
手製の看板にはしっかりと「文化フライ」と書かれている。
様子はこんな感じ。
確か長谷川さんは仕込まれたものを持ってきて揚げていた記憶があるが
ここの人は現地で生地から製造して揚げて行く。
この日は早い時間から行ったので、文化フライを知らない世代の子どもや
若い夫婦が多く、逆に年配者は当時子どもに大人気だったために
馴染みが無いのかあまり反応は良くない。ウケがいいのは中年族。
そんなことから客がいなかった。(お陰で外観バッチリ撮れた)
でも当然私がいくと客がたくさん付くのよ。
楽しそうに話したり、写真バシバシ撮ってりゃ、知らん人も興味沸くのよ。
肝心の画像はいつもサンバイザーを被っている女性が小麦粉に
シュガーカットや玉子を混ぜて生地を練りこんでいる。
これをサーターアンダギーサイズにちぎってパン粉のトレーに移し、
そこで掌でぐいぐい潰して衣を着けているのだ。
その次はもう揚げられるのみ。
揚場は男性が担当している。昨年は実年世代の方だったが、
今年は口ひげを蓄えた中年男性だった。家族かな?
作業の全体はこんな感じ。
奥に生地を作る人~手前に揚げる人~右にソースに浸して販売する人。
そんな3人一組の流れ作業。
この人が店主だと思うんだよね。昔にも見たような気がする。
元祖は串や割り箸が刺さっていて形もほぼ綺麗な小判型だったが、
こっちは現場でせせこましく作るので形は冒頭のとおりで、
串も無いのが違い。でも揚げ物専用の昔ながらの袋に入れてくれるので
油が染みることも無く安心して持って食べられる。
ちなみにTシャツの中学生ぐらいの男の子、顔が川村隆一にかなり似てたぞ。
川村が厨房のときはきっとこんな感じだったのでは?とかなり思った。
この人が今年揚げていた男性。
まだ若いので、是非長年やって欲しいと思う。
「解った」という言葉を信じたいし、もし長年続いたらこの私を褒め称えよ。
「偉いぞ!ぜっとし!!」と。
ということで、次回は丸1年後にしかお目見えしないが、
(初詣にも出してもいいのになぁ。そっちは全く出されない)
懐かしさに触れたい人、昔ながらの下町の味を味わいたい人は
来年現場でお会いしましょう。待ってるよ。
♪ホホホ~イ、ホホホ~イ、ホホホ~イ、ホ~イ!
・・・・・・ココリコ遠藤だ。(この手の件好きだな私は・・・)
↑こう書いたが当然遠藤は知る由も無い。関西人だから。
知っているのは関東人だけ。でも大半が知らない。
それだけ希少な存在だったのだ。
希少というよりも、唯一1店しかなかった。
大師の盆踊りの後編の前に、フィーチャーしたこの話を。
(本当は昨日更新したかったんだけど疲れてダメだった)
昨年もしたが若干間違いもあったようなので。。。
これは何に見えるだろうか?
大方鶏の胸肉のフライとか思うよね?
でもそう思った人は残念。そんなのわざわざ紹介する価値は無い。
オールドファンのために例年紹介しているが、今年も出ていたぞ。
この足立区発祥の幻の露店食「文化フライ」が!!
そんなもん知らん!という人が全国的には90%以上だと思う。
考案者の長谷川さんが若い頃は関東各地のお祭りなどあちこち行っていたので、
(今も大手露店屋(?)は全国各地に出向いていて珍しい話ではない)
関東近県でも中年以降の縁日好きの人には多数認知されている超懐かしい代物だ。
これの元となったのは浦安の方の玉子フライをヒントに考案したらしい。
それはサーターアンダギーのようにボール型をしていたそうで、
揚がるのに時間がかかるとかでこの形状を考案したのが
足立区の梅島に住む女性の長谷川さんなのだ。
(主な情報源は「はすぴー倶楽部」さん)
それが50年前頃に始めて、その頃はあちこち出没していたが
(なので自分の地元が発祥だと勘違いしている地域の人も居る)
年輪を重ね、そのパワーも無くなり、徐々に地元地域だけになり、
それもここ10年前にはもう出すことすらなくなった幻の露店なのだ。
それでも自宅で常連さんにはTEL受注を受け、自転車で区内の
行ける範囲内では配達販売をしていたが、残念ながら2006年に他界。
元祖文化フライは事実上この世から消え去った。
しかし最盛期の当時、指導したのか模倣したのか、もう1店あったという。
そのお店なのかどうかは解らないのだが、2005~2006年ごろから
西新井大師の盆踊りの8/21・22日の2日間だけ出ているのだ!!
この2009年も出ていて確認したどころか、当然食った。
「期待してるからこれからも出してよ」と話すと、
ヒゲの中年男性が「解った」と受け止めて宣言してくれた。
(ちなみにウィキにこの露店情報などを追記したのは私です)
発案者のものではないが、一応継承者がいる事実が嬉しい。
下町の端の貧乏食。その代表がお好みを焼くには粉が足りない。
具もキャベツぐらいしかない。でも人数がいるので水で薄めた。
ドロドロで固まりやしない。でも勿体無いからソースをかけて
混ぜて食べてみたら、これがことのほかウマかった!!
・・・というもんじゃと共にこの文化フライは、
とんかつでも食べたいが高価で食えない。だからハムカツをと思うが
それもまだまだ高価で食えない。でも安くカツが食いたい。
だったら具無しでいいや。露店で子どもたちの小遣いで買える範疇で。
勝手な想像だが、発祥の時代からそんな思いも見え隠れする。
その通りに小麦粉の生地の中身は何も無い。
記事に練りこまれているのも何も無い。
(この露店は玉子を練りこんであるようだが)
それはあまりにも心もとないとして、水に良く解けるからと
これも発祥当時の時代を反映しているシュガーカットをその発売以降は
使用しているらしく、その甘みが付いているのだ。
見た目は潰れてペラペラの具なしカレーパン。
それを特製ソースに浸してガブリ。これがまた何故かウマい!!!
生活の知恵とはよく言うが、下町の貧乏パワーは素晴らしいのだ!
そしてこの露店は最盛期の後半に元祖の長谷川さん以外にも
これをやっている人が同じ区内にいるということで、
別の方が居ることも知っているのだが、その方なのかどうかは
未確認だが、多分そうではないかと推測される。
その方のほうも撤退されていたので、ここ数年前から復活してくれた
今では貴重な存在となったのだ。
では昨年のものも交えた画像でその様を紹介。
これが外観。今年からこの黄色いシート看板が掛かった。去年まで無かった。
そこには「元祖玉子ミックスフライ」と書かれているが、
手製の看板にはしっかりと「文化フライ」と書かれている。
様子はこんな感じ。
確か長谷川さんは仕込まれたものを持ってきて揚げていた記憶があるが
ここの人は現地で生地から製造して揚げて行く。
この日は早い時間から行ったので、文化フライを知らない世代の子どもや
若い夫婦が多く、逆に年配者は当時子どもに大人気だったために
馴染みが無いのかあまり反応は良くない。ウケがいいのは中年族。
そんなことから客がいなかった。(お陰で外観バッチリ撮れた)
でも当然私がいくと客がたくさん付くのよ。
楽しそうに話したり、写真バシバシ撮ってりゃ、知らん人も興味沸くのよ。
肝心の画像はいつもサンバイザーを被っている女性が小麦粉に
シュガーカットや玉子を混ぜて生地を練りこんでいる。
これをサーターアンダギーサイズにちぎってパン粉のトレーに移し、
そこで掌でぐいぐい潰して衣を着けているのだ。
その次はもう揚げられるのみ。
揚場は男性が担当している。昨年は実年世代の方だったが、
今年は口ひげを蓄えた中年男性だった。家族かな?
作業の全体はこんな感じ。
奥に生地を作る人~手前に揚げる人~右にソースに浸して販売する人。
そんな3人一組の流れ作業。
この人が店主だと思うんだよね。昔にも見たような気がする。
元祖は串や割り箸が刺さっていて形もほぼ綺麗な小判型だったが、
こっちは現場でせせこましく作るので形は冒頭のとおりで、
串も無いのが違い。でも揚げ物専用の昔ながらの袋に入れてくれるので
油が染みることも無く安心して持って食べられる。
ちなみにTシャツの中学生ぐらいの男の子、顔が川村隆一にかなり似てたぞ。
川村が厨房のときはきっとこんな感じだったのでは?とかなり思った。
この人が今年揚げていた男性。
まだ若いので、是非長年やって欲しいと思う。
「解った」という言葉を信じたいし、もし長年続いたらこの私を褒め称えよ。
「偉いぞ!ぜっとし!!」と。
ということで、次回は丸1年後にしかお目見えしないが、
(初詣にも出してもいいのになぁ。そっちは全く出されない)
懐かしさに触れたい人、昔ながらの下町の味を味わいたい人は
来年現場でお会いしましょう。待ってるよ。
出ましたよ。文化フライ。
昨年の情報はいくつか間違ってたので、
今年はその訂正も含めて。
だってこの人が長谷川さんだと思ってたら、
2006年に亡くなったらしいのに、
昨年はお化けがやってたのかってな話しになっちゃうしね。
リンク貼ったけど、相当詳しい人が居てそこの話を情報源とさせていただいた。
でも今これ出ているのに、その方は全然情報追記されていないみたいなので、
生きたブログではないのかと思って
コメントはつけてこなかったけど。
・・・ブログでなくHPかな!?
だとしても情報知ってれば書くよね?
ということは、ここ4年は来て無い証なのでね。
逆に私は毎年行ってるし。しかも年間に8日間位も。
是非一度食わせたいねぇ。
でも凄くウマいもんじゃないよ?
こんな程度なのに妙にウマいもんなのよ。
そこを勘違いしないでね。
そうです。その際は私を褒め称えよ~~。
いや!ダメダメ!!
そんな上質の味じゃないわ。ダメ全然違う!!
ソースもそんな単純な味じゃないよ。
どっちかというとしょう油に近い印象。
特製なので企業秘密。いろいろブレンドされてる。
そうそう。シュガーカットもだけど、ソースが決め手。
元祖のもんじゃのソースなどと一緒。
それを使ってるもんじゃ屋は殆ど無いから。
一般家庭にあるようなソースじゃ、
駄菓子屋もんじゃの味が出ない。
それと一緒のこと。
一度は食べてみたいですねぇ。
来年も露店で文化フライがあるようならぜっとしさんのおかげですねっ(^^)
ホットケーキミックスを固めに作って、パン粉をつけて揚げてウスターソースかけたら、似たようなのができるかな??
やっぱ、ソースが決めてかしら。