
知らなかった・・・
「豪腕」マイク・ベルナルドが現役引退へ
96年K-1 WORLD GP 準優勝者の「豪腕」マイク・ベルナルド(37=南アフリカ)が現役引退することになった。首の故障が長引いたため。
9月30日の同GP開幕戦で引退セレモニーを行う予定。
http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20060822-78993.html
http://www.so-net.ne.jp/feg/report/20060826r_11.html
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ショックだなぁ・・・
初期 K-1 を盛り上げた立役者、(敢えて、ここではこういう)
『南アフリカの重戦車』 マイク・ベルナルドが引退・・・
初期 K-1 を観ていたモノとしては、ベルの出現は強烈だった。
K-1 創世期は、正道会館のカラテワールドカップを引き継いだ形で、
カラテ vs キックの構図が出来始めていた。
正道会館は佐竹や後川、金や中川が『常勝軍団』として、空手の他流派やキックのリングを席巻していた。またRINGSにも参戦を開始していた。
キック界もモーリス・スミスを中心に、その8年間無敗だった、スミスを破った当時はまだ、グリーンボーイだったピーター・アーツ。
第1回のK-1で一気に注目も浴びた、クロアチアのブランコ・シカティック、
当時はクルーザー級だったアーネスト・ホースト。
オーストラリアの豪腕、スタン・ザ・マン。
ムエタイの砦、チャンプア・ゲッソンリット。
そして、極真会館を電撃離脱した、アンディー・フグとサム・グレコ。
アンディーとサムは正道館の空手のトーナメントやワンマッチで怒涛の快進撃を始める。
ヘビー級の試合が注目され始め、TV中継も勢いがつき始めた時期でもあった。
95年の K-1 GP からベルナルドが参戦を始める。
当時としては全くのノーマーク選手だった。
GP 1回戦で当る選手はアンディー・フグ。
アンディも、94年のカラテワールドカップを余裕で優勝し、グローブ着用の試合でも、GP優勝者シカティックを判定ながらも破る大金星を上げる、
誰もがアンディも勝利を予測していた。
が、GP1回戦で、ベルナルドがアンディに秒殺勝利!
9月にリベンジマッチを組まれるもベルは返り討ちにして、一気に注目を集める。
96年のGPも、2年連続優勝のアーツを豪快なKO勝利で、横浜アリーナを興奮のルツボ化にさせる。
決勝は因縁深いこれまた、アンディと。
ワンデイトーナメントの負傷で、惜しくも準優勝となるが、実力・人気ともに不動のものとなる。
佐竹の戦線離脱により、K-1 は『外人天国』となるが、
アーツ・ホースト・バンナ・ベルナルドと『K-1 外人4天王』時代になる。
日本人選手のエースが不在でも、4天王+アンディが主軸をなり、ムーブメントとして、盛り上がっていく。格闘家として、CMに出演したり、TVに出るなど、話題には事欠かなかった。
その後、K-1 は本格的にアメリカ ボクシング界に挑戦を表明。
先陣を切って、送り出されたのが、ベルナルドだった。
手始めにローカルタイトルながら、WBF世界ヘビー級タイトルを奪取。
その後、バンナやセフォーも送り込むが、K-1 側も、当時、ボクシング界のフィク
サー、ドン・キングとの交渉が頓挫したり、キングがタイソンとの様々なトラブル
で、本格的な開戦には発展せずに、フェードアウト・・・
K-1 に復帰後は、何故か歯車が合わずに良い結果が出ないまま、
停滞した時期が続く。長年、所属していたスティーブスジムを離脱するが、
混迷・・・
結果的にスティーブスジムに戻ることになるが、怪我が治るとは無かった・・・
間違いなく、K-1 を牽引していた選手の1人であったから、引退は本当に寂しい。
ああいった、個性あふれる選手ももう出て来ることもないかなぁ・・・
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
マイク・ベルナルド
・所属 スティーブズ ジム
・生年月日 1969年7月28日
・出身地 南アフリカ
・身長 193cm
・体重 110.5kg
・バックボーン ボクシング
・ニックネーム 豪腕
・入場曲 「Live」Larkins Juice(K-1 WORLD GP 2001 in 福岡)
「Push Push」TONY&MIKE(K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS)
・主な獲得タイトル
WBF世界ヘビー級王者
K-1 GRAND PRIX '96 準優勝
K-1 GRAND PRIX '98 第3位
ワールド・オリンピック キックボクシングスーパーヘビー級チャンピオン
K-1 WORLD GP 2000 in 福岡 優勝
K-1 WORLD GP 2001 in 名古屋 第3位
・対戦成績 76戦/53勝/18敗/3分/42KO/2無効試合
総合格闘技 1戦/1分
「豪腕」マイク・ベルナルドが現役引退へ
96年K-1 WORLD GP 準優勝者の「豪腕」マイク・ベルナルド(37=南アフリカ)が現役引退することになった。首の故障が長引いたため。
9月30日の同GP開幕戦で引退セレモニーを行う予定。
http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20060822-78993.html
http://www.so-net.ne.jp/feg/report/20060826r_11.html
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ショックだなぁ・・・
初期 K-1 を盛り上げた立役者、(敢えて、ここではこういう)
『南アフリカの重戦車』 マイク・ベルナルドが引退・・・
初期 K-1 を観ていたモノとしては、ベルの出現は強烈だった。
K-1 創世期は、正道会館のカラテワールドカップを引き継いだ形で、
カラテ vs キックの構図が出来始めていた。
正道会館は佐竹や後川、金や中川が『常勝軍団』として、空手の他流派やキックのリングを席巻していた。またRINGSにも参戦を開始していた。
キック界もモーリス・スミスを中心に、その8年間無敗だった、スミスを破った当時はまだ、グリーンボーイだったピーター・アーツ。
第1回のK-1で一気に注目も浴びた、クロアチアのブランコ・シカティック、
当時はクルーザー級だったアーネスト・ホースト。
オーストラリアの豪腕、スタン・ザ・マン。
ムエタイの砦、チャンプア・ゲッソンリット。
そして、極真会館を電撃離脱した、アンディー・フグとサム・グレコ。
アンディーとサムは正道館の空手のトーナメントやワンマッチで怒涛の快進撃を始める。
ヘビー級の試合が注目され始め、TV中継も勢いがつき始めた時期でもあった。
95年の K-1 GP からベルナルドが参戦を始める。
当時としては全くのノーマーク選手だった。
GP 1回戦で当る選手はアンディー・フグ。
アンディも、94年のカラテワールドカップを余裕で優勝し、グローブ着用の試合でも、GP優勝者シカティックを判定ながらも破る大金星を上げる、
誰もがアンディも勝利を予測していた。
が、GP1回戦で、ベルナルドがアンディに秒殺勝利!
9月にリベンジマッチを組まれるもベルは返り討ちにして、一気に注目を集める。
96年のGPも、2年連続優勝のアーツを豪快なKO勝利で、横浜アリーナを興奮のルツボ化にさせる。
決勝は因縁深いこれまた、アンディと。
ワンデイトーナメントの負傷で、惜しくも準優勝となるが、実力・人気ともに不動のものとなる。
佐竹の戦線離脱により、K-1 は『外人天国』となるが、
アーツ・ホースト・バンナ・ベルナルドと『K-1 外人4天王』時代になる。
日本人選手のエースが不在でも、4天王+アンディが主軸をなり、ムーブメントとして、盛り上がっていく。格闘家として、CMに出演したり、TVに出るなど、話題には事欠かなかった。
その後、K-1 は本格的にアメリカ ボクシング界に挑戦を表明。
先陣を切って、送り出されたのが、ベルナルドだった。
手始めにローカルタイトルながら、WBF世界ヘビー級タイトルを奪取。
その後、バンナやセフォーも送り込むが、K-1 側も、当時、ボクシング界のフィク
サー、ドン・キングとの交渉が頓挫したり、キングがタイソンとの様々なトラブル
で、本格的な開戦には発展せずに、フェードアウト・・・
K-1 に復帰後は、何故か歯車が合わずに良い結果が出ないまま、
停滞した時期が続く。長年、所属していたスティーブスジムを離脱するが、
混迷・・・
結果的にスティーブスジムに戻ることになるが、怪我が治るとは無かった・・・
間違いなく、K-1 を牽引していた選手の1人であったから、引退は本当に寂しい。
ああいった、個性あふれる選手ももう出て来ることもないかなぁ・・・
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マイク・ベルナルド
・所属 スティーブズ ジム
・生年月日 1969年7月28日
・出身地 南アフリカ
・身長 193cm
・体重 110.5kg
・バックボーン ボクシング
・ニックネーム 豪腕
・入場曲 「Live」Larkins Juice(K-1 WORLD GP 2001 in 福岡)
「Push Push」TONY&MIKE(K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS)
・主な獲得タイトル
WBF世界ヘビー級王者
K-1 GRAND PRIX '96 準優勝
K-1 GRAND PRIX '98 第3位
ワールド・オリンピック キックボクシングスーパーヘビー級チャンピオン
K-1 WORLD GP 2000 in 福岡 優勝
K-1 WORLD GP 2001 in 名古屋 第3位
・対戦成績 76戦/53勝/18敗/3分/42KO/2無効試合
総合格闘技 1戦/1分