(仙台藩刑場跡)
長年その存在を知りながら、そしてその下を毎日通いつつも訪れることのなかった場所があった。それは、仙台藩の刑場跡。やはり気になって仕方がない。
先日その場所に赴いた。
そこは、遠く泉ヶ岳を背景に静かな面持ちで立つ肩掛山を後に、また左手後方は虹の丘団地として開発された丘のへりにある。しかも、そのすぐ前は上下線とも朝夕は決まって渋滞がおきるほどの道路(旧国道4号)が走っている。
民家に挟まれながらも、深い趣を漂わせている。確かにここがそうか!! つい手を合わせてしまった。
解説の立て札を見ると、西暦1690年から明治維新までの178年の間に、この地では磔(はりつけ)、火あぶり、打ち首、獄門(ごくもん)にあった人が、5300人~7000人もいたらしい。
ということは、年間約30人から40人がいた計算になる。当時として多いかどうかは分からないが、庶民の処刑場であったことを考えれば、罪なき人も多数いたに違いない。
お白洲に引き出されるまでの間の厳しい取調べ(往々にしてイコール拷問か)に、已む無く認めてしまったという例も多々あろう。人道主義、法治国家を標榜する今日の社会においても、同様のことが繰り返されているのだから。
そうした人々の無念さはいかばかりのものであったろうか。今はただただ、頭を下げて祈るしかない。
正面に向かって億万日供養と刻まれた大きな地蔵尊と七字題目の大石塔。東側には西方を向いて座るお地蔵様。名を「首切り地蔵」という。すっかり面持ちが判別できなくなったお地蔵様に、暗く長い歴史のあったことを思わざるを得なかった。 合掌
(首切り地蔵)
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