2021.11.03(水・祝)に、利根川と江戸川の分流地点にある関宿と明治に開削された利根運河を回ってきた。
※利根運河については、別途掲載の予定です。
(関宿と利根運河の位置)
*
江戸時代に仙台藩や南部藩、阿武隈川上流の幕府領の産米を江戸に運んだという(いわゆる江戸廻米)ルートについて、以前から興味関心を持ち、自分なりに資料を集めて勉強してきた。
そうしたら利根川大改修の歴史(利根川東遷)を知らなければならなくなってしまった。
段々、深みにはまっていく。
※「東廻海運と利根川東遷」について過去にこのブログに書いたものは ⇒ こちら になります。
とにかく利根川東遷の歴史については、あまりに膨大で、手短に語ることはできないということを痛切に感じている。
*
最初に、千葉県立関宿城博物館を訪れた。
この博物館は、利根川と江戸川とに挟まれたスーパー堤防上にある。
わたしが着いた9時20分には駐車場が満杯で、たくさんのサイクリストも集結していた。
(東武スカイツリーライン東武動物公園駅から朝日バス境車庫行に乗車し、新町バス停で下車→徒歩15分)
とはいえ、博物館内はどちらかと言えば閑散としており、目当てのコーナーなどを急ぎ足で見ることができた。
(千葉県立関宿城博物館)
敷地面積11,134.81㎡ 延床面積2,172.31㎡ 鉄筋コンクリート造・一部鉄骨造 4階建
3層4階は江戸城富士見櫓風
ゆっくり見ている時間がない。
午後には利根運河に行き、8.5㎞の運河沿いを自転車で回るつもりなので。
気は急く。
(高瀬船)
(往時の帆布が何で出来ていたかこれで納得)
(江戸時代(元禄のころ)の河岸の分布)
江戸廻米ルートについては、整理が必要。
(高瀬船概略図)
江戸時代の利根川水運の主役。長さは最大のもので約30m、米俵約1300俵を積載。
(高瀬船)
(五大力船)
(明治期に運行した外輪蒸気船『通運丸』)
(天守閣から江戸川の方角を見る。)
そそくさと博物館を出る。
(案内板:この画像はそれを縦長に変形して掲載。)
関宿水閘門、中之島公園のある方向に進む。
(江戸川の入り江に架かる橋を渡る。)
(筑波山遠望)
(中之島公園)
堤防から先は、千葉県野田市ではなく茨城県猿島郡五霞町であることを帰宅してから知った。
そういえば、博物館隣接の公園内に『三県鶏鳴之地』という標柱もあった。
関宿城下では、早朝に隣接する3県(茨城、千葉、埼玉)の鳥の鳴き声が響くということから呼ばれるようになったとのこと。
(関宿水閘門)
(同)
(同下流側)
(上部の装置)
(同上流部)
ここでミス。
利根川と江戸川の分岐点を見たさに先を急ぐあまり、肝心の閘門部に行くのをパスしてしまった。
水門上の道を対岸に向かって行けばよかったのに~。
次の2枚の画像は、五霞町のホームぺージに紹介があったので、それから転載。
(閘門機能は、水運の衰退に伴い現在廃止になっており、常時開放されている。)
公園内を歩き、2河川の分かれるところが見えないか探してみるもダメだった。
衛星画像では、先端まで道があるようだが、そこまで徒歩で往復となればかなり時間を費やしてしまう。
(諦めきれずに覗ってみた方角)
(公園内にある見事な株立ち状のモミジ)
(江戸川入り江湿地越しに関宿城博物館を眺める。)
(かなり大きな『利根川治水大成碑』昭和6年建立)
(第1期~第3期改修工事の概要が約2,400字にわたって刻まれているとのこと。)
(筑波山遠望)
(江戸川橋梁の復元の人道橋)
(同案内板)
やっぱり利根川が見たい。
見ずしては帰れない。
~ 旅空夜空に いまさら知った
女の胸の 底の底
ここは関宿 大利根川へ
人にかくして 流す花
だってヨー あの娘川下潮来笠 ~
橋幸夫歌『潮来笠』
こんな歌詞まで思い出すなんてわれもかなりの年齢!
(利根川河川敷の草地でラジコン飛行機に興じるおじさん&おじいさんたち)
(利根川:前方が江戸川と分流する上流部)
(博物館隣接の公園)
(同)
(園内に設置された『治水の歴史への招待~流頭部中之島公園 総合案内』から)
(同)
(博物館前に広がる光景:中央奥に新町バス停がある。)
(帰路に振り返り見る関宿城博物館)
(道脇の畑のキク花)
(同)
この後、バスで東武アーバンクライン川間駅に向かい、そこから電車で運河駅に移動した。
※利根運河に続きます。 ⇒ こちら です。
※利根運河については、別途掲載の予定です。
(関宿と利根運河の位置)
*
江戸時代に仙台藩や南部藩、阿武隈川上流の幕府領の産米を江戸に運んだという(いわゆる江戸廻米)ルートについて、以前から興味関心を持ち、自分なりに資料を集めて勉強してきた。
そうしたら利根川大改修の歴史(利根川東遷)を知らなければならなくなってしまった。
段々、深みにはまっていく。
※「東廻海運と利根川東遷」について過去にこのブログに書いたものは ⇒ こちら になります。
とにかく利根川東遷の歴史については、あまりに膨大で、手短に語ることはできないということを痛切に感じている。
*
最初に、千葉県立関宿城博物館を訪れた。
この博物館は、利根川と江戸川とに挟まれたスーパー堤防上にある。
わたしが着いた9時20分には駐車場が満杯で、たくさんのサイクリストも集結していた。
(東武スカイツリーライン東武動物公園駅から朝日バス境車庫行に乗車し、新町バス停で下車→徒歩15分)
とはいえ、博物館内はどちらかと言えば閑散としており、目当てのコーナーなどを急ぎ足で見ることができた。
(千葉県立関宿城博物館)
敷地面積11,134.81㎡ 延床面積2,172.31㎡ 鉄筋コンクリート造・一部鉄骨造 4階建
3層4階は江戸城富士見櫓風
ゆっくり見ている時間がない。
午後には利根運河に行き、8.5㎞の運河沿いを自転車で回るつもりなので。
気は急く。
(高瀬船)
(往時の帆布が何で出来ていたかこれで納得)
(江戸時代(元禄のころ)の河岸の分布)
江戸廻米ルートについては、整理が必要。
(高瀬船概略図)
江戸時代の利根川水運の主役。長さは最大のもので約30m、米俵約1300俵を積載。
(高瀬船)
(五大力船)
(明治期に運行した外輪蒸気船『通運丸』)
(天守閣から江戸川の方角を見る。)
そそくさと博物館を出る。
(案内板:この画像はそれを縦長に変形して掲載。)
関宿水閘門、中之島公園のある方向に進む。
(江戸川の入り江に架かる橋を渡る。)
(筑波山遠望)
(中之島公園)
堤防から先は、千葉県野田市ではなく茨城県猿島郡五霞町であることを帰宅してから知った。
そういえば、博物館隣接の公園内に『三県鶏鳴之地』という標柱もあった。
関宿城下では、早朝に隣接する3県(茨城、千葉、埼玉)の鳥の鳴き声が響くということから呼ばれるようになったとのこと。
(関宿水閘門)
(同)
(同下流側)
(上部の装置)
(同上流部)
ここでミス。
利根川と江戸川の分岐点を見たさに先を急ぐあまり、肝心の閘門部に行くのをパスしてしまった。
水門上の道を対岸に向かって行けばよかったのに~。
次の2枚の画像は、五霞町のホームぺージに紹介があったので、それから転載。
(閘門機能は、水運の衰退に伴い現在廃止になっており、常時開放されている。)
公園内を歩き、2河川の分かれるところが見えないか探してみるもダメだった。
衛星画像では、先端まで道があるようだが、そこまで徒歩で往復となればかなり時間を費やしてしまう。
(諦めきれずに覗ってみた方角)
(公園内にある見事な株立ち状のモミジ)
(江戸川入り江湿地越しに関宿城博物館を眺める。)
(かなり大きな『利根川治水大成碑』昭和6年建立)
(第1期~第3期改修工事の概要が約2,400字にわたって刻まれているとのこと。)
(筑波山遠望)
(江戸川橋梁の復元の人道橋)
(同案内板)
やっぱり利根川が見たい。
見ずしては帰れない。
~ 旅空夜空に いまさら知った
女の胸の 底の底
ここは関宿 大利根川へ
人にかくして 流す花
だってヨー あの娘川下潮来笠 ~
橋幸夫歌『潮来笠』
こんな歌詞まで思い出すなんてわれもかなりの年齢!
(利根川河川敷の草地でラジコン飛行機に興じるおじさん&おじいさんたち)
(利根川:前方が江戸川と分流する上流部)
(博物館隣接の公園)
(同)
(園内に設置された『治水の歴史への招待~流頭部中之島公園 総合案内』から)
(同)
(博物館前に広がる光景:中央奥に新町バス停がある。)
(帰路に振り返り見る関宿城博物館)
(道脇の畑のキク花)
(同)
この後、バスで東武アーバンクライン川間駅に向かい、そこから電車で運河駅に移動した。
※利根運河に続きます。 ⇒ こちら です。
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