さて、本堂の彫刻「虎渓三笑図」に戻りましょう(笑)。
「虎渓三笑」とは、
あることに熱中しすぎて、外のことすべてを忘れること、だそうです。
その話は、こうです。
東晋の僧、慧遠は、江西省廬山に東林寺を建てて隠棲し、
俗界禁足して30年間山を出なかった。
訪ねてきた客人を見送るときも、山の下にある虎渓の小さな橋を越えることがなかった。
ある日、友人の陶淵明と 陸修静を送って行って、
道中 話が弾んだ。
遠くの虎の鳴き声で我に返ると、いつの間にか虎渓の橋を越えていて、
3人は大いに笑った。
→拡大→
これらの絵は、本堂の彫刻と同じ雰囲気があるので わかりますね。
ひとりの人が 頭に手をやっています。
ちょっとヒョウキンな人?(笑)
登場人物3人の それぞれの生没年は、
慧遠さんは(334-416)
陶淵明さんは(365-427)
陸修静さんは(406-477)
だそうです。
この物語は 史実ではなくて、まったくの作り話だという事になっています。
慧遠は仏教、
陶淵明は儒教、
そして
陸修静は道教 を代表しています。
(陸修静という人は知りませんでした。)
唐以降になると仏教・儒学・道教のいずれも別なる教えではないという
「儒・仏・道の融合」があるらしいのですが、
「虎渓三笑」は その頃に「三教一致」を示すものとして
広まった説話だという事です。
つまり、「三酸図」と同じ事を表していますね。
それでは、袈裟をつけているので、真ん中のヒョウキンさんが慧遠?
ネアカな魯智深(水滸伝の登場人物)のような雰囲気かと。。。(汗)
そうすると、
頭巾をかぶってるおヒゲの人と
かぶっていないおヒゲの人。
どちらかが 陶淵明で、 もう片方が 陸修静。
どちらが道教で どちらが儒教?
どなたか、おわかりになりましたら、ぜひ お知らせを(汗)。
「虎渓三笑」とは、
あることに熱中しすぎて、外のことすべてを忘れること、だそうです。
その話は、こうです。
東晋の僧、慧遠は、江西省廬山に東林寺を建てて隠棲し、
俗界禁足して30年間山を出なかった。
訪ねてきた客人を見送るときも、山の下にある虎渓の小さな橋を越えることがなかった。
ある日、友人の陶淵明と 陸修静を送って行って、
道中 話が弾んだ。
遠くの虎の鳴き声で我に返ると、いつの間にか虎渓の橋を越えていて、
3人は大いに笑った。
→拡大→
これらの絵は、本堂の彫刻と同じ雰囲気があるので わかりますね。
ひとりの人が 頭に手をやっています。
ちょっとヒョウキンな人?(笑)
登場人物3人の それぞれの生没年は、
慧遠さんは(334-416)
陶淵明さんは(365-427)
陸修静さんは(406-477)
だそうです。
この物語は 史実ではなくて、まったくの作り話だという事になっています。
慧遠は仏教、
陶淵明は儒教、
そして
陸修静は道教 を代表しています。
(陸修静という人は知りませんでした。)
唐以降になると仏教・儒学・道教のいずれも別なる教えではないという
「儒・仏・道の融合」があるらしいのですが、
「虎渓三笑」は その頃に「三教一致」を示すものとして
広まった説話だという事です。
つまり、「三酸図」と同じ事を表していますね。
それでは、袈裟をつけているので、真ん中のヒョウキンさんが慧遠?
ネアカな魯智深(水滸伝の登場人物)のような雰囲気かと。。。(汗)
そうすると、
頭巾をかぶってるおヒゲの人と
かぶっていないおヒゲの人。
どちらかが 陶淵明で、 もう片方が 陸修静。
どちらが道教で どちらが儒教?
どなたか、おわかりになりましたら、ぜひ お知らせを(汗)。
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