1月4日、朝日新聞の「私の視点」というコラムに、作家の澤地久枝氏が『憲法60年 明るい年にしていくために』と題して小論を掲載されている。今という時代を的確に分析され、私たちはいかにあるべきかと、短い分量の中にまとめられている。誠に当を得た、新年にふさわしい覚醒を促す一文である。
フィリピン戦線で戦った大岡昇平氏、ソ満国境の戦闘で生き残った五味川純平氏の二人の作家の言葉を引用されて、戦争というものについてまず述べられる。それは国、ないし私的な欲望を満たすための経済行為に過ぎないのだとその本質を見抜く。
そして、今私たちが切々と感じ取っている生活の不安について具体的に述べる。保険料が引き上げられ医療費の負担が増え、逆に年金の手取りが減る。それらの施策はひとえに暗黙の上に進められる富国強兵策の一環であると言われる。そして、今のこの状況は昭和の戦争前夜の世相に似てきていると指摘する。
人々は言いたいことをこらえ口をつぐみ、世の成り行きに従順になる。いつか来た道の袋小路に差し掛かっているのではないか、これでは歴史は繰り返されるのだと警鐘を鳴らす。すでに、教育基本法がゆがめられ、自衛隊法が変わり公然たる軍隊として戦争できる体制が選択された。昨日防衛庁が省に格上げされた。そこに国民の意志は見られない。
それはただただ同盟国アメリカの意向であると、そしてそれはただ命を差し出すばかりか私たちの財産までも差し出すほどの無気力さ、無見識、一国を預かる者としての気概のかけらもないことをさらけ出している現状に、国民誰もが本当は気づかねばならない、そう澤地氏は言われる。
そして、そのことの意味を本質を国民に明らかにせよと迫る。つまり日本国はアメリカの従属国であり、まったくその要望に従うばかりである現実。だからこそ、イラク出兵を速断しておきながら、その後イラク戦争の大儀が崩れても、その責任を取るということの道義を感じることもないのであると示唆される。
政治の空疎化がすすみ、政治に希望のかけらさえ感じられなくなった今、国民の民情悪化、疲弊、つまり凶悪事件、いじめ、自殺が耐えず、金の力で何でもできるとする風潮さえ生んでいる。そこに政治は一片の責任すら感じることもない。
そして澤地氏は、この現状に対抗するために、私たちが手にできる唯一の手段は、選挙であると言われる。希望の灯、希望のタネは市民連動によって憲法本来の国にもどろうという市民一人一人の強固な意志、決意が必要であると力説される。市民は市民で自ら考え思慮を深め、おのれ一人の思いからはじめて同じ思いの人と繋がる発信を心がけるべきだとしている。
最後に澤地氏は、『憲法を泣かせるな』を施行60年にあたる今年の合言葉にしようと呼びかけている。今という時代を冷徹に捉え、勇気を持ってその本質を説いてはいても、穏やかな筆致である。しかしその意味する内容は、痛烈に現状を批判し、人々の心に決起を促す檄文である。澤地氏の心の中の絶叫を聞く思いがする。
私たち庶民の唯一の武器は選挙における一票しかない。その一票をしがらみに取り巻かれ、いつまでも義理に流されていてはこの国の将来は危うい。様々な団体、企業による締め付けに屈することがあってはならない。
平和な世の中にしよう、自分の子供や孫たちが戦争に利用されることのない国にしよう、世の中の不平等を無くそう、おかしなお金の流れを断ち切ろう、一生懸命働く人はそれなりに報われる制度にしよう、私たちの生命に危険なものを取り締まり安全な食、環境をもたらす制度にしよう。
誰もが思う本来あるべき姿に向けて私たち自身が無関心を装うことなく本気になって考えることが必要なのであろう。澤地氏も言われるように、先の戦争で犠牲になった多くの戦没者たちの死を生かす道は私たち一人一人の思慮と決意にかかっている。年頭にこの一文を寄稿された澤地氏を私は讃歎したい。
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日記@BlogRanking
フィリピン戦線で戦った大岡昇平氏、ソ満国境の戦闘で生き残った五味川純平氏の二人の作家の言葉を引用されて、戦争というものについてまず述べられる。それは国、ないし私的な欲望を満たすための経済行為に過ぎないのだとその本質を見抜く。
そして、今私たちが切々と感じ取っている生活の不安について具体的に述べる。保険料が引き上げられ医療費の負担が増え、逆に年金の手取りが減る。それらの施策はひとえに暗黙の上に進められる富国強兵策の一環であると言われる。そして、今のこの状況は昭和の戦争前夜の世相に似てきていると指摘する。
人々は言いたいことをこらえ口をつぐみ、世の成り行きに従順になる。いつか来た道の袋小路に差し掛かっているのではないか、これでは歴史は繰り返されるのだと警鐘を鳴らす。すでに、教育基本法がゆがめられ、自衛隊法が変わり公然たる軍隊として戦争できる体制が選択された。昨日防衛庁が省に格上げされた。そこに国民の意志は見られない。
それはただただ同盟国アメリカの意向であると、そしてそれはただ命を差し出すばかりか私たちの財産までも差し出すほどの無気力さ、無見識、一国を預かる者としての気概のかけらもないことをさらけ出している現状に、国民誰もが本当は気づかねばならない、そう澤地氏は言われる。
そして、そのことの意味を本質を国民に明らかにせよと迫る。つまり日本国はアメリカの従属国であり、まったくその要望に従うばかりである現実。だからこそ、イラク出兵を速断しておきながら、その後イラク戦争の大儀が崩れても、その責任を取るということの道義を感じることもないのであると示唆される。
政治の空疎化がすすみ、政治に希望のかけらさえ感じられなくなった今、国民の民情悪化、疲弊、つまり凶悪事件、いじめ、自殺が耐えず、金の力で何でもできるとする風潮さえ生んでいる。そこに政治は一片の責任すら感じることもない。
そして澤地氏は、この現状に対抗するために、私たちが手にできる唯一の手段は、選挙であると言われる。希望の灯、希望のタネは市民連動によって憲法本来の国にもどろうという市民一人一人の強固な意志、決意が必要であると力説される。市民は市民で自ら考え思慮を深め、おのれ一人の思いからはじめて同じ思いの人と繋がる発信を心がけるべきだとしている。
最後に澤地氏は、『憲法を泣かせるな』を施行60年にあたる今年の合言葉にしようと呼びかけている。今という時代を冷徹に捉え、勇気を持ってその本質を説いてはいても、穏やかな筆致である。しかしその意味する内容は、痛烈に現状を批判し、人々の心に決起を促す檄文である。澤地氏の心の中の絶叫を聞く思いがする。
私たち庶民の唯一の武器は選挙における一票しかない。その一票をしがらみに取り巻かれ、いつまでも義理に流されていてはこの国の将来は危うい。様々な団体、企業による締め付けに屈することがあってはならない。
平和な世の中にしよう、自分の子供や孫たちが戦争に利用されることのない国にしよう、世の中の不平等を無くそう、おかしなお金の流れを断ち切ろう、一生懸命働く人はそれなりに報われる制度にしよう、私たちの生命に危険なものを取り締まり安全な食、環境をもたらす制度にしよう。
誰もが思う本来あるべき姿に向けて私たち自身が無関心を装うことなく本気になって考えることが必要なのであろう。澤地氏も言われるように、先の戦争で犠牲になった多くの戦没者たちの死を生かす道は私たち一人一人の思慮と決意にかかっている。年頭にこの一文を寄稿された澤地氏を私は讃歎したい。
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