ウポーサタという仏教行事についての話
コルカタは、私の居た頃はカルカッタと言われていた。デリーよりも、私はもともとカルカッタに縁があり、初めてインドに行ったときも、パキスタン航空でバンコクに入り、バンコクからカルカッタ迄ビーマンバングラディシュ航空という安いチケットで行ったので、夜中にダッカに到着しダッカで一泊して翌日夕方カルカッタに入るという飛行機だった。タクシーで街に入ったころは真っ暗で、道端に水が噴き出し、そこに人々が群がり水浴している姿を目の当たりにして、日本の戦後間もなくの着の身着のまま町に人々がたむろして、右往左往している、そんな光景に見えた。
それから町に入りタクシーを降り、教えられた宿に行くと満室で、偶々道であった人に連れられ行った宿は、アフリカ人ばかりが泊まる宿だった。一泊20ルピー程度の安宿で、それからサルベーションアーミーというドミトリーの部屋にも泊まりながら、外国人専用の事務所に行き列車のチケットを取り、ガヤに行った。そして、ブッダガヤで大菩提寺に参拝するなど数日を過ごし、それから二等寝台でリシケシに行った。その頃には腹部に違和感があり、リシケシでシバナンダアシュラムの部屋に案内されるが早くも下痢に悩まされた。医務室で薬をもらいなんとか快復。
リシケシに滞在しているとき臨済宗のお寺さんに会い、勧められチベット亡命政府のあるダラムサーラにも行くことができた。日本に帰ってからも、四国の歩き方や草鞋の編み方を習い、一緒に伊豆の温泉町を托鉢したり。実はそのお寺さんはその後もお寺に入らず、今では熊野川町で廃校を借りて生活し、生きることに疲れ悩む若者の支援活動をされている。また無農薬無化学肥料で小麦を栽培し、奥さんがパンを焼いて販売されている。「パン工房木造校舎」という名前で販売されていて、自家製小麦による自然派のパンとして好評だ。
そのはじめてインドに行ったときに帰り際、ベンガル仏教会という仏教のお寺に立ち寄り宿泊させてもらった。そこは、ボウバザールという金属類の市場の側で、沢山のイスラム教徒が暮らす町でもあり、目の前に警察の大きな建物が聳え、見下ろされるような所だったが、ビルラ財閥によって一三〇年も前に造られたL字型の三階建ての僧院と事務所のある建物と、二階に本堂のある集会所に囲まれて、その中に舞台のある小さな中庭があった。ゲート入口の、左側には三階建ての新しいゲストハウスがあり、それは立正佼成会からの寄附による建物であった。
初めて行ったときには想像もしなかったが、その四年後に、その寺で再出家することになり、インド僧として、3年半過ごす間に、何度もウポーサタという行事を経験した。日本では布薩といっている。
布薩は、本来出家のお坊さんたちの布薩と在家の仏教徒の布薩は別々にあり、ともに月の満ち欠けが実施日となっていて、お坊さんは新月と満月の日に戒本を読み上げ、227もの戒律に反したことをした人はその罪の重さにより、懺悔したり謹慎したりと言うことがある。もしくはお坊さんを辞めさせられたり。
在家者は、新月満月と二回の半月の月四回行う。インドでは新月をアマボッシャ、満月がプルニマ、半月はアストミーという。これを日本では六斎日と言い、14・15と29・30、8、23の月六回すると言うが、これは誤りで、月の満ち欠けでやるので、月四回が正しい。この日は普段五戒を守っているところ八戒を守ることになっている。五戒の不邪婬が不婬となり、午後食事しない、歌舞音曲しない、高床で寝ないが増える。
在家の布薩は、コルカタの僧院で何度も見ており、朝早くから信徒の奥さん方が段重ねの弁当箱を持参して、寺内の清掃作業をされる。庭を掃いたり、床を雑巾がけしたり。そして、11時頃になると手を休め、食事会場の準備を始めて、持ち寄った弁当箱を開けて準備し、お寺さんたちが着席すると、それぞれお坊さんのプレートの上に各自の弁当箱から料理を分けていく。自分たちも敷物を敷いて床に座り、お寺さんたちが食べ始めると一緒に食べる。色々な各家のカレーが食べられるのでとても豪華な食事になるからありがたい。
たらふく食べるとお寺さんは部屋に帰り一眠りして、二時頃から自分の好みのお寺さんを呼んで、数人のグループで、八つの戒を授かり、短いお経を唱えてもらって、法話を聞く。そして、四方山話をしてゆっくりと過ごし、夕方になるとみんなそそくさと帰っていくというもの。信徒がお客さんになるのでなく、とても自発的に色々と気を回してお寺さんたちと親交を結ぶ、とてもいい習慣、行事だと思えた。
この布薩が、お寺さんと在家者の二種のものがきちんと行われていたら、仏教は衰退することはないのだと言われている。このことは、どの世界にも適用できるような内容と言えるのかもしれない。
たとえば、学校で言えば、先生たちの研修や、生徒の自発的勉強会などにも応用できそうなものといえようか。それをしていたら、その学校に衰退はないという規定をどう作っていくかということになるが。現代にも参考になるものが仏教には沢山ある。2500年はだてではない。
単なる信仰だけではない、教えと規則と理論が揃っている。そこに、組織を護り継続するための制度がある。今の時代にも応用できる点が多々あるのではないかと思う。平安時代には死刑はほとんどなかったと言われているが、それは仏教思想による政治経済が行われていたからだといわれている。
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コルカタは、私の居た頃はカルカッタと言われていた。デリーよりも、私はもともとカルカッタに縁があり、初めてインドに行ったときも、パキスタン航空でバンコクに入り、バンコクからカルカッタ迄ビーマンバングラディシュ航空という安いチケットで行ったので、夜中にダッカに到着しダッカで一泊して翌日夕方カルカッタに入るという飛行機だった。タクシーで街に入ったころは真っ暗で、道端に水が噴き出し、そこに人々が群がり水浴している姿を目の当たりにして、日本の戦後間もなくの着の身着のまま町に人々がたむろして、右往左往している、そんな光景に見えた。
それから町に入りタクシーを降り、教えられた宿に行くと満室で、偶々道であった人に連れられ行った宿は、アフリカ人ばかりが泊まる宿だった。一泊20ルピー程度の安宿で、それからサルベーションアーミーというドミトリーの部屋にも泊まりながら、外国人専用の事務所に行き列車のチケットを取り、ガヤに行った。そして、ブッダガヤで大菩提寺に参拝するなど数日を過ごし、それから二等寝台でリシケシに行った。その頃には腹部に違和感があり、リシケシでシバナンダアシュラムの部屋に案内されるが早くも下痢に悩まされた。医務室で薬をもらいなんとか快復。
リシケシに滞在しているとき臨済宗のお寺さんに会い、勧められチベット亡命政府のあるダラムサーラにも行くことができた。日本に帰ってからも、四国の歩き方や草鞋の編み方を習い、一緒に伊豆の温泉町を托鉢したり。実はそのお寺さんはその後もお寺に入らず、今では熊野川町で廃校を借りて生活し、生きることに疲れ悩む若者の支援活動をされている。また無農薬無化学肥料で小麦を栽培し、奥さんがパンを焼いて販売されている。「パン工房木造校舎」という名前で販売されていて、自家製小麦による自然派のパンとして好評だ。
そのはじめてインドに行ったときに帰り際、ベンガル仏教会という仏教のお寺に立ち寄り宿泊させてもらった。そこは、ボウバザールという金属類の市場の側で、沢山のイスラム教徒が暮らす町でもあり、目の前に警察の大きな建物が聳え、見下ろされるような所だったが、ビルラ財閥によって一三〇年も前に造られたL字型の三階建ての僧院と事務所のある建物と、二階に本堂のある集会所に囲まれて、その中に舞台のある小さな中庭があった。ゲート入口の、左側には三階建ての新しいゲストハウスがあり、それは立正佼成会からの寄附による建物であった。
初めて行ったときには想像もしなかったが、その四年後に、その寺で再出家することになり、インド僧として、3年半過ごす間に、何度もウポーサタという行事を経験した。日本では布薩といっている。
布薩は、本来出家のお坊さんたちの布薩と在家の仏教徒の布薩は別々にあり、ともに月の満ち欠けが実施日となっていて、お坊さんは新月と満月の日に戒本を読み上げ、227もの戒律に反したことをした人はその罪の重さにより、懺悔したり謹慎したりと言うことがある。もしくはお坊さんを辞めさせられたり。
在家者は、新月満月と二回の半月の月四回行う。インドでは新月をアマボッシャ、満月がプルニマ、半月はアストミーという。これを日本では六斎日と言い、14・15と29・30、8、23の月六回すると言うが、これは誤りで、月の満ち欠けでやるので、月四回が正しい。この日は普段五戒を守っているところ八戒を守ることになっている。五戒の不邪婬が不婬となり、午後食事しない、歌舞音曲しない、高床で寝ないが増える。
在家の布薩は、コルカタの僧院で何度も見ており、朝早くから信徒の奥さん方が段重ねの弁当箱を持参して、寺内の清掃作業をされる。庭を掃いたり、床を雑巾がけしたり。そして、11時頃になると手を休め、食事会場の準備を始めて、持ち寄った弁当箱を開けて準備し、お寺さんたちが着席すると、それぞれお坊さんのプレートの上に各自の弁当箱から料理を分けていく。自分たちも敷物を敷いて床に座り、お寺さんたちが食べ始めると一緒に食べる。色々な各家のカレーが食べられるのでとても豪華な食事になるからありがたい。
たらふく食べるとお寺さんは部屋に帰り一眠りして、二時頃から自分の好みのお寺さんを呼んで、数人のグループで、八つの戒を授かり、短いお経を唱えてもらって、法話を聞く。そして、四方山話をしてゆっくりと過ごし、夕方になるとみんなそそくさと帰っていくというもの。信徒がお客さんになるのでなく、とても自発的に色々と気を回してお寺さんたちと親交を結ぶ、とてもいい習慣、行事だと思えた。
この布薩が、お寺さんと在家者の二種のものがきちんと行われていたら、仏教は衰退することはないのだと言われている。このことは、どの世界にも適用できるような内容と言えるのかもしれない。
たとえば、学校で言えば、先生たちの研修や、生徒の自発的勉強会などにも応用できそうなものといえようか。それをしていたら、その学校に衰退はないという規定をどう作っていくかということになるが。現代にも参考になるものが仏教には沢山ある。2500年はだてではない。
単なる信仰だけではない、教えと規則と理論が揃っている。そこに、組織を護り継続するための制度がある。今の時代にも応用できる点が多々あるのではないかと思う。平安時代には死刑はほとんどなかったと言われているが、それは仏教思想による政治経済が行われていたからだといわれている。
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