滑川市内に残っているものです(滑川市文化財)。昔、海岸沿いに通っていた北陸道から分かれて大岩山日石寺を経て立山に参るための分岐点に立っていたものです。立山は奈良・平安時代から僧や修験者によって信仰の山として開かれ、江戸時代には庶民にも開放されました。
陸奥・出羽・越後を初め全国から北陸道を通って、立山に参るためにこの道をたどったのです。ここから立山連峰の雄山(3003メートル)頂上にある雄山神社までは、急いでもまだ三泊以上は歩き続けなければならなかっただろうと想像されます。その気力や体力に今更ながら頭が下がります。
(標題・画像をクリックして見てください)
陸奥・出羽・越後を初め全国から北陸道を通って、立山に参るためにこの道をたどったのです。ここから立山連峰の雄山(3003メートル)頂上にある雄山神社までは、急いでもまだ三泊以上は歩き続けなければならなかっただろうと想像されます。その気力や体力に今更ながら頭が下がります。
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