忘れ得ない双葉町の皆さま
三月十一日、
仁徳天皇御陵の
礼拝所横の宮内庁事務所に弔旗が掲げられている。
十一年前の午後二時四十六分十八秒、
宮城県牡鹿半島沖東南東百三十キロの海底で
マグニチュード9、最大震度7の地震が発災した。
その時、私は遙か南に一千キロ離れた堺にいて揺れを感じた。
テレビをつけて最初に見たのは、名取川を遡る津波だった。
それから、連日、被災地の人々のことが報道され続けた。
その中に、新聞の一面いっぱいに、
両親と妹を亡くした四歳の幼い女の子が
「ままへ。いきてるといいね。おげんきですか」
と手紙を書きながら、
疲れて寝入ってしまった写真があった。
そして、後日、
皇后陛下が、
その幼児の写真を見て詠まれた御歌を知り、
涙が溢れた。
御歌
「生きてるといいねママお元気ですか」
文(ふみ)に項傾(うなかぶ)し幼な児眠る
この児は、
今、十五歳、どうしているだろうか。
この巨大地震・津波から三ヶ月後、
猪苗代町川桁に住む
国士と呼ぶべき医師の野崎豊先生から、
猪苗代に来て国の状況を説明するように、と講演を依頼された。
会場は、猪苗代湖を見下ろす山裾に建つ
巨大な猪苗代リステルホテルだった。
そのリステルホテルには、
福島第一原子力発電所近くの双葉町に住んでいた
約八百名の人達が避難してきていた。
私は、民主党菅直人首相の世論を煽るような
反原発への動きを説明し、
「我が国には、原子力発電が必要である」
と言った。
講演を終えてから質問の時間になったとき、
一人の老紳士が手を上げ、立ち上がって、
自分は、ここにいる双葉町避難民の自治会の会長をしている、
と自己紹介をされてから、
「我々は、福島第一原発から出る放射能の為に、
住むところを追われてこの猪苗代に来ている。
この我々の前で、
原子力発電は日本に必要である、
と貴方は言いきった。
よくぞ言ってくれた。
我々も、原子力発電は日本に必要だと思うから、
あの場所に原子力発電所が建てられることを承諾したのだ。
ところが、マスコミは、
我らが、東電からカネをもらったから承諾したように報道する。
無念である。」
私は、感服して、この老紳士を見ていた。
日本には、
普段分からない「偉い人」がいるんだなあと思いながら。
講演会終了後、ホテル内の懇親会の場で、一杯入った後、
この方に、
「皆さん、お年寄りが多いですが、
体調不良を訴える方がおられませんか?」
と尋ねると、
「いや、全員、元気なんですよ。
放射能は体に悪くないですよ。
むしろ健康になりましたよ。
私など、勃起するので、女房が驚いてますよ。」
と、言われた。
一年後に、猪苗代を再訪した時、
双葉町の皆さんは、もうホテルリステルにおられなかった。
素朴で慎み深く、
エレベーターに決して先に乗ろうとされなかった、
あの八百名余の双葉町の皆さま、
どこで、どうしておられるのか、
と毎年思い、
ご健勝を祈っている。
西村 真悟FBより