あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

麻生「ナチス発言」の真意を考える

2013年08月04日 15時24分32秒 | Weblog
 麻生副総理兼財務大臣の「ナチス発言」だが。
 もっと早くに取り上げようかとも思ったのだが、正直言って何を言っているのか全く意味不明なので、批判の仕様がなかった。
 マスコミは麻生氏がナチス政権を肯定したというトーンで報道しているが、それは本当なのか、そしてそうだとすれば、なぜ、何のために、そしてナチス政権のどの部分を肯定したのか、そこのところがさっぱり分からなかったのである。
 まあ、揚げ足を取って追い込むのもいいのだろうが、やはりその人が本当に言いたかったことは何かを知ることは大事だと思う。たとえそれがおもしろおかしいことでなかったとしてもだ。

(なお、麻生発言全体についてはここでは再録しないので、みなさんで調べてもらいたい。たとえば次のサイトなどが参考になると思う。【総括】麻生副総理の「ナチスの手口」発言が行われた政治的背景と深層 #麻生発言 #憲法改正

 さて、麻生氏はバカではない。しかしそれは知識が豊かであることとは別問題だ。彼は言葉を知らず、漢字が読めず、歴史の知識はあやふやで(そもそも「ナチス憲法」というのは歴史上存在しない。この件は後段で考察する)、またお坊ちゃん育ちのためか、鷹揚と言えば聞こえがいいが、周りに細かな配慮をすることができない。
 それにもかかわらず、と言うか、彼のレトリックは高度に複雑である。吉田茂ゆずりなのか、英国流の諧謔を含んだ何重にも畳み込まれた発言は、なかなかその真意にたどり着くことができない。分かる人にだけわかればよい、分からない人間は表面的なところだけ聞いていればよい、というスタンスなのだ。
 だから彼の発言はかなり注意深く聞く必要があり、そのためにはできるだけ生のソースに当たる必要がある。
 ただ残念ながら今回はネット上で発言全体の録音が見つからなかったので、部分的に書き起こしたものと部分的な録音をもとにするしかなかったが、麻生氏の発言の真意をそこから探ってみたい。

 まずこの発言がどこで行われたのかという点から考察しなくてはならない。麻生氏が誰に対してアピールしようとしたのかということである。
 この発言が行われたのは、極右アジテーターの櫻井よしこ氏が理事長をつとめる国家基本問題研究所の例会で、「日本再建への道」と題された参院選後の憲法改訂問題を中心テーマにしたシンポジウムの中でのことだった。
 つまり麻生氏は確信的な極右の人たちに対して何かを伝えようとしたのだ。だからここでの発言は内々のもので外部に大々的に流れていくとは思っていなかったのかもしれない。
 その脈絡で考えると、実はマスコミがほとんど伝えていない部分にこそ核心が隠れいてるのだと思う。
 たとえば麻生氏は次のようなことを語っている。

「(社会に対する意識は)20代、30代の方が極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら、なんとなくいい思いをした世代、バブルの時代でいい思いをした世代が。ところが今の20代、30代はバブルでいい思いなんてひとつもしていないですから」
「この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う、しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる」

 これは何を意味した言葉か? 文字通り現在の50~60歳代の人々に対する批判である。それは具体的には誰のことを指しているのか。それはまさに安倍グループではないのか。安倍晋三氏やとりまきの山本一太氏、高市早苗氏などの政権中枢極右グループはまさに皆50代で、安保闘争における左右の激闘も知らず、バブルに浮かれて苦労を知らない世代である。
 麻生氏は自分たちの世代はもっと大変な時代を生き、多くの苦労をしてきた。今の若者たちも就職氷河期やデフレの時代を生きてきて苦労を知っている。それにくらべて50~60代世代は能天気で浮かれている、と批判しているのだ。

 それでは、それはどこに係る批判なのかというと、それは報道もされている次のような言葉から明らかである。

「今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない」

 麻生氏はこの発言全体の中で、確かに同様のことを何度も繰り返し言っている。彼がこの発言の中で言いたかったことはまさにこの点だ。喧騒の中で憲法論議をしてはいけないと主張しているのだ。

「いつから騒ぎにしたんですか。マスコミですよ!(机を叩く)(拍手)違いますかね?(拍手)いつのときからか騒ぎになった? と私は。騒がれたら中国も騒ぐことにならざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、しっ、静かにやろうやあ、と言うんで。」

 責任はマスコミにある。マスコミが騒ぐから中国や韓国が騒ぐ。だから悪いのはマスコミだ。だがしかし、ここは静かにやらないとうまくいかない、と言っているのである。
 それなのに今の憲法論議は「わーわー、わーわー」騒いでやっている。それではいったい誰が騒がせているのか。安倍氏ら何もわかっていない50代のグループである、という脈絡でこの批判は繋がっているのだ。
 そして、そこで出てくるのが「(ナチスの)あの手口学んだらどうかね」という言葉なのである。

 もちろんここでなぜナチスが引き合いに出されるのかという問題はある。麻生氏の不見識と言ってしまえばそれまでだが、しかしこれをただの失言問題として終わらせてしまうわけにもいくまい。
 ここには日本においては戦争責任の決着がつけられてこなかったという重大な背景が存在している。ちょうど映画「終戦のエンペラー」が公開されているが、まさにあの時しっかりとした戦争の総括がなされていれば、日本の戦後史と政治風土は大きく違っていたかもしれない。
 世界的なスタンダードで言えば(必ずしもそれが正しいかどうかはともかく)ヒトラーとナチスは「絶対悪」である。どの国も、当のドイツでもそういう総括がされて人々の思想の中に浸透した。仮にナチスを評価する人であっても、まずそれがスタンダードだということを前提に議論を始めざるを得ない。
 しかし日本の、特に与党政治家の中にはそうした常識が普通の常識として入らなかったのだと思える。戦争に賛同し協力した多くの「戦犯」政治家が戦後までずっと国家のリーダーとして居座り続けたからである。
 麻生氏の祖父である吉田茂はともかく、麻生氏自身はそうした与党自民党の中で政治家となり育ったわけで、いわば戦前と戦後の間の敷居が限りなく低い、そのひとつの表れが気楽なナチス発言として現れたのかもしれない。

 もちろんもっと一般的に言えば、麻生氏だけでなく、多くの人が現状の日本政治を見てヒトラーとナチス政権を思い起こしていることも事実ではある。ぼくもこのブログでフロムの「自由からの逃走」について言及したことがあったと思うが、まさに麻生氏自身も次のように語っている。

「いま(憲法改正発議要件としての議会の)3分の2っていう話がよく出てくるんですけど、じゃ伺いますが、ドイツは、ヒットラーは、あれは民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒットラー出てきたんですよ。(中略)ヒットラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒットラーを選んだんですよ」
「ワイマール憲法という、当時ヨーロッパで最も進んだ憲法下にあって、ヒットラーが出てきたんだから。だから常に、憲法はよくても、そういったことはありうるっていうことですよ」

 まさに麻生氏が正しく指摘するように、選挙で大勝したからと言ってその勢力が正義であるわけではない。いかに日本国憲法が先進的で理想的なものであったとしても、その下でなお、安倍内閣の様な巨大極右政権が誕生してしまう。
 ただ麻生氏がここで言っていることは、安倍政権やナチス政権の肯定とか否定とかいう個別の問題ではなく、あくまで一般論なのだと思われる。
 まさしく彼は戦後政治の全過程を間近で見聞きし体験しているからこそ、ひとつ風が吹けば議会の多数派など簡単に変わってしまうことを知っている。安倍氏の持論である憲法改正の発議要件の緩和には(自分たちにとっても)リスクがある、ということをちゃんと理解していて、そのことを言いたかったのではないだろうか。

 だからこその「あの手口学んだら」発言なのである。
 もちろん脈絡から言ってこれはジョークである。それはどういうジョークかと言えば「現在の安倍氏のやり方は、あのヒトラーよりも劣る」という意味だ。
 問題の発言はこうだ。

「憲法もある日気づいたら、ドイツの、さっき話しましたけれども、ワイマール憲法がいつの間にか変わってて、ナチス憲法に変わってたんですよ。だれも気づかないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね。(会場爆笑)」

 これは先に引用した「静かにやろうやあ」の直後に来る言葉である。
 ここでは実は「ナチス憲法」という言葉もひとつのキーワードなのかもしれない。先に指摘したようにナチス憲法なるものは存在しない。ヒトラーが「全権委任法」という法律を作って、憲法の文言には手をつけずに憲法自体を無効化してしまったのである。
 麻生氏がそれを知った上で言っているとすれば、彼は憲法無効化という刺激的な言葉をあえて避けたということになろう。そして当然、ナチスの手口とは憲法の無効化そのもののことである。

 全権委任法とはつまり、法律(立法、司法)を無視して政府(行政)が独裁的権力を握るということだ。事実上の三権分立の否定である。
 そして最も問題なのは、実はそれが今現在の安倍政権の方針だということなのである。
 ぼくは麻生氏は阿部氏とそのグループを批判していると書いた。しかしもう少し丁寧に言えば、麻生氏が批判したのは参院選前の安倍氏のやり方だったのだ。安倍氏は選挙を目前にして憲法論議に関するトーンを下げたと言われているが、それこそまさに麻生氏が主張する「喧騒の中で決めない」「ナチスの手口」への路線変更だったのである。
 つまりそれこそ「解釈改憲」の飛躍的な拡大なのだ。

 恐ろしいことに、それはすでに着々と現実化している。それが内閣法制局の長官人事であり、自民党の国会改革検討チーム始動なのである。これまで憲法が禁じているとされてきた集団的自衛権の位置づけを変更し、国会改革と称して事実上の国会の権限縮小をはかろうとしているのである。

 さて麻生発言の問題に立ち返ると、もしそうであるならすでに方向転換をしている安倍氏たちを、ここで批判する必要はないことになる。
 つまりここに麻生氏のレトリックの真髄があるのだ。彼はすでに自分の思ったような方向に向かい始めた安倍氏自身ではなく、その安倍氏を右側から煽って威勢の良いことを言ってきた人々、つまりは当日の櫻井よしこ氏が主催したシンポジウムを聞きに来ていた聴衆たちに対して釘を刺したのだと考えられるのである。なんとなれば麻生氏ははっきり「50代、60代。ここに一番多いけど」と名指しているではないか。
 いま安倍政権が憲法問題で後退しているわけではない。むしろヒトラーがやったように実を取ろうとしているのだ。だからむやみと騒いで邪魔をするな。麻生氏が言いたかったのはそういうことだったのである。

 おそらく安倍政権はしばらく憲法論議を封印するだろう。当面の問題は消費税である。そしてその間、まさに静かに静かに実質的な改憲を進めていくことになるのだろう。
 マスコミは「改憲」となれば大騒ぎするが、ひとつひとつの政策については、ただ政府の発表を垂れ流すだけである。たぶん多くの人はソマリア沖に派兵されている自衛隊が、先月事実上大きく位置づけを変えて、船舶警護の任務からアメリカの戦闘部隊の一員に組み込まれてしまったとことを知らない。
 まさにこういうことの積み重ねこそが「安倍・麻生の手口」なのである。