あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

ヒロシマを無意味にしないで

2013年08月06日 23時48分32秒 | Weblog
 ヒロシマの原爆投下から68年。

 今日の平和記念式典での安倍総理のあいさつほど、怒りを通り越して脱力感しか感じない発言は無かった。99パーセントが欺瞞である。まだ無内容で無害なあいさつの方がずっと良かったくらいだ。
 いちいちその内容に突っ込む気力も失せているが、アメリカの核の傘の重要性を強め、NPTの会議での共同声明にも賛同せず、原発再稼動と輸出に血道を上げている安倍氏が、その言い訳をするわけでもなく、悪びれることなく全く逆に核廃絶を誓っていた。
 政治家の言葉の軽さが問題になるが、これほど軽い言葉も無いだろう。
 野球解説の張本勲氏の被爆体験を語る言葉の方が何百倍も心に迫る。

 今日の朝日新聞の特集記事などを読むと、すでに世界からは「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」が反核のスローガンではなくなっているのではないかという気になってくる。
 もはや日本は見透かされてしまっているのだ。核の傘に頼り、原発を輸出し、しかも自分たちのやった侵略への反省も無い一方的な被害者的発言をしていると思われているのではないだろうか。日本への共感と信頼がどんどん崩れているのではないのか。

 同じ朝日の夕刊には20代の社会学者・古市憲寿氏への取材記事が掲載された(「戦争、知ったかぶりやめないか」)。
 この中で古市氏は、日本は国家として戦争の位置づけをしてこなかったのではないか、だから日本人の多くは戦争について何も知らない。それなら今さら評価する必要は無く、戦争を知らないままの方が良いと主張しいてる。
 ぼくとしてはいろいろ批判するべき点がある論だと思うが、しかし若い世代からこうした意見が出てくるようになったのは、間違いなく我々世代の責任だ。

 我々「昭和30年代」生まれの世代は、たぶん戦争の生々しいイメージを受け継ぐことの出来た最後の世代だった。子どものころには周囲に実際に直接戦争を体験した人たちが普通に沢山いた。路上にはまだ傷痍軍人だって座っていた。
 しかし我々の世代は社会問題から目をそらし、結局バブルで踊って何もかも忘れ去ってしまった。我々こそが戦争の語り部のバトンを受け取り損ねたミッシングリンクである。

 ただ、若い世代にはひとつだけ言いたい。
 官製の歴史観など百害あって一利なしだ。そんなものはけっして求めるな。しかし自分自身ではしっかり歴史を見据え、考えてほしい。あなた自身の見識を持ってほしい。
 それはきれいに整合性のある歴史教科書である必要は無い。感覚でよいのだ。いやむしろ感覚が重要なのだ。
 もはや若い世代には直接戦争のイメージを伝えてくれる人はいないかもしれない。しかし文芸は残っている。小説でも詩歌でも映画でも、その日その時の誰かの感情をパックした作品がたくさんあるはずだ。
 説教を聞く必要は無い。感性を受け取ってほしい。

 戦争を誰のものでもない、あなた自身の一部として取り込んでほしい。
 そうしたら、おそらくそれが自分とは関係のない遠いところの話ではなく、実は自分や今現在世界で起きている様々なことと、そんなに遠くないところにあることに気づくだろう。
 それを知ったところから、明日について考えてもらいたい。