あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

民主主義なのか?

2014年11月18日 22時37分20秒 | Weblog
 安倍首相は、21日の衆議院解散、消費税の増額の一年半延期を宣言した。再延期はしないと断言している。
 何だかよくわからない。
 消費税を上げるとデフレから脱却できないという説明は分かる。逆に言えば現状もインフレ基調になっていないということを認めたのであり、何もしなければ常にデフレに向かう状況だと言うことだ。デフレが良いか悪いかについては置いておくとしても、この一点においては安倍氏の発言は整合性がある。

 しかしそれなら、なぜ一年半後には上げられるのか? なぜ再延期はしないなどと断言するのか。つまり一年半後にはインフレ基調になっていることがわかる予知能力を持っているのか、それともその時はもうデフレに戻っても仕方がないという意味か? ようするにただの政治的なその場しのぎ発言でしかない。
 もっと分からないのは、それを問うのに解散・総選挙を行うという論理だ。再増税の延期は法律的にも根拠があり、しかも増税を止めるというのではなく、一年半後には必ずやると言っているのだ。「重い重い決断」というが何一つ政策は変わっていない。いったいその何を国民に問うているのか、おそらく誰にもわからないだろう。

 マスコミは「なんとか解散」というキャッチフレーズを付けたがる。ぼくが名付けるなら「お子ちゃま安倍のわがまま解散」だ。
 安倍氏は民主主義を理解していないし、そもそも民主主義的であろうとする姿勢も持っていない。彼が知っているのは力を握れば何をやっても良いという単純な力の論理だけだ。

 安倍氏はこの経済状況を突きつけられてもアベノミクスは成功していると言い張る。マスコミはこぞって失敗ではないのかと言っている。事実上、安倍氏の主張は少数派の主張である。
 今日が最終日だった消費税増税の有識者会議の結論も無視した。自分が自分の都合の良いように集めた委員による結論なのに。しかもこの結論は消費税を8%に上げたときと同じである。その時はこの結論を根拠にしたのに、今回は投げ捨てた。どこにも整合性がない。
 原発や秘密保護法に対するパブリックコメントも完全に無視された。
 一票の格差に対する裁判所の判断もずっと置き去りにされたままだ。これは安倍政権だけの問題ではないが、選挙の得票率にしたって、実際の得票比率から言ったら、民意は決して自民党を一人勝ちさせたわけではない。小選挙区制のマジックで勝っているだけだ。
 沖縄の民意も無視しようとしている。翁長次期知事が辺野古埋め立てを認めない姿勢を示していることに対して、菅官房長官は「法治国家」として粛々と進めると発言した。法治国家が聞いて呆れる。憲法の解釈は勝手に自分の都合の良いように変更しているのに、どこが「法治」なんだか。

 一方で原発の再稼働については、地元の「判断」に全面的にゆだねた。本当に自分勝手。自分の都合の良いときには世論や民意に寄りかかるが、いったん自分の都合に悪くなると権力者の専権事項として全て押し切る。
 そしてそれを少し厳しく追及されると、公の国会の場で切れる。これが「お子ちゃまのわがまま」以外の何なのか。

 こういう日本の「民主主義」がいかに歪んで、奇妙なものか、ちょっと視点を外側に移して冷静に見てみれば、よくわかるはずだ。しかし、ぼくたちはなんとなく、こんなものかと思ってしまう。知らず知らずのうちに教育され、慣らされてきているのである。
 確かに意見の多い答えが正解であるとは限らない。もちろんそこに政治家の存在意義がある。いつでも民意と一致する政治が出来るわけではないと思う。
 しかしそうだからこそ、人々がそれでも納得できるルール、システムが無ければならない。本来ならそれが選挙と国会であるはずなのだが、今のようなやり方は自分の有利になるようにルールを次々変えていくようなものであり、人を納得させるものとは真反対になってしまっている。
 ここまで政治が腐るまでには長い長い時間がかかってきた。それを急に一気に変えることは(それこそ革命でも起こさない限り)無理な話だ。今回の選挙だけで何かが変わることはないだろう。しかしここからでも、少しずつでもこの奇妙な政治を変えていこうとすること、それが大事だと思う。