皆様、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、平成28年が始まりました。今年も全力で駆け抜けて行く1年となりそうですが、
今年はウエルストリーム原点に立ち返り、その特化した良さを再度活かし、さらに発展させていきます。
そして、今年も「全員絶対合格の信念」を持って全身全霊をあげて取り組む所存であります。
皆様、まだまだ至らぬ点多々ある私井澤とウエルストリームですが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
ところで、
「人間は中身である、見た目は関係ない。」は私立小学校受験においては正しくないことが多い。
について詳しく話して欲しいとのご希望をさっそく頂きましたので、ちょっと話しますね。
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本来人間の価値は中身であり、見た目ではない。と私も思います。それはそうでしょう。
上等な服を着たからといって人柄が急に上品になるわけではありませんし、
また、見た目が立派そうに見える人の中にも詐欺師のようなとんでもない悪人もいますから。
この意味でたしかに見た目だけで人を判断してはいけないと思います。
しかし、だからといって見た目は関係ないとも思いません。
なぜなら、実社会ではお互いに見た目で判断していることのほうが多いからです。
例えば、初対面の人の価値を短時間でわかるのでしょうか?通常は無理です。
結局、深くつきあってみなければ、その人の本当の価値はわからないと思います。
だから、人は補助情報として、無意識に相手の服装や着こなし方、物腰、話し方、話の内容、表情等で
その人がどういう人か判断します。
よく一流ホテルの従業員がお客さんの靴を見るといいますが、本当です。
服装はもちろん靴まで気配りできて、手入れのよいイイ靴を履いている人全員が上客とは限りませんが、
上客である確率は高いです。
気に入ってくれればまたこのホテルをつかってくれるお得意様(リピーター)になってくれる確率が高いのです。
(ちなみに、上客(お得意様=リピーター)が増えれば、客室稼働率も上がり、ホテル経営は安定します)。
つまり、見た目とは一種の確率論なのです。無論むさ苦しい格好であってもアインシュタインのような大天才もいれば
上等な格好していてもとんでもない大悪人がいるように例外はありますし、「人は見かけによらぬもの。」ということわざもありますが、
見た目がまともな人は中身もまともな人である確率が高いのです。
この意味で見た目も大切なのです。
「人間は中身だ。服装ではない。」確かに、それはそうで、おっしゃるとおりですが、
私立小学校受験のわずか10~20分間の親子面接でそれがどこまで理解されるのでしょうか。
理解してもらえず、確率論的判断から「この親は危なそうだから・・・・、やめておこう。」
と判断されるのがおちだと思います。
だから、私立小学校受験では「見た目は関係ない」という方針は正しくないことが多いのです。