2011年3月11日午後2時46分。
日本列島が突然巨大地震に襲われた。オフィスの床・壁は波打ち、掛け時計もテレビも落下・破壊。これでもかこれでもかとデスクにしがみ付くのを嘲笑うかのような波状激震。こんなことで死ぬのかと恐怖心が突き上げてくる。一旦収まって助かったと思うや否や第二波。より激しい。・・・
よくぞ倒壊せずに負傷もせずに生き残れた。実感である。帰宅は文字通り災害難民。246は、黙々と急ぐ人の波。6時間かかって家族のもとに辿り着く。
翌日、報道は大津波の映像一色。時間を経るごとに、凄惨な有様が次々と目の前に展開される。
仙台の東北支社の同僚が一人、消息が掴めないことが判明。営業先で巻き込まれたか。あらゆる手を尽くすも、為すすべなし。
今朝、対策本部で協議。解散後に「無事」の一報がメールで飛び込んできた。「やった、万歳!!」
宮城県警は、犠牲者は1万を越す見通しを発表した。とてもそれでは収まるまい。福島原発も相次いで危険域に達してしまった。
国民を忘れた政治への天罰だろう。人間の尊大に対する自然のささやかな抵抗でもあろう。合掌。
胸が引き裂かれような痛みを感じます。
六時間の徒歩。
負傷せずに、家族のもとに帰れた由。
本当に良かったですね。
知り合いは
巨大地震でビルが折れそうなほど揺れた高層ビル
27階のオフィスに泊まったそうです。
東北支社の方の無事メールが入って、
どんなにホットしたことでしょう。
私もホットしたいです。
国難を乗り越えて・・・
戦時中、戦後の日本のよう愛国心が燃えてきました。