所在地:山形県山形市霞城町
備考:国指定史跡、日本100名城
山形城は、山形城は、最上氏の祖・斯波兼頼が延文2年(1357年)に創築した。その後、
戦国時代末期に最上義光が十数基の櫓を備えた大規模な平城に拡張整備する。
その後に入った鳥居氏も大幅な改修を行い、城の形が定まった。縄張は3重の堀が
巡らされた典型的な輪郭式で、本丸に天守はなく、防御の中心は二の丸に置かれていた。
本丸の堀は明治に陸軍に埋められてしまったが、二の丸の堀は現在も残る。近年絵図などを
基に二の丸東大手門が木造再建された。また本丸一文字門の石垣が見事に復元整備され、
今後も順次、復元を進めていく計画である。二の丸跡が霞城公園として整備されている。
三の丸土塁跡
最上義光騎馬像
備考:国指定史跡、日本100名城
山形城は、山形城は、最上氏の祖・斯波兼頼が延文2年(1357年)に創築した。その後、
戦国時代末期に最上義光が十数基の櫓を備えた大規模な平城に拡張整備する。
その後に入った鳥居氏も大幅な改修を行い、城の形が定まった。縄張は3重の堀が
巡らされた典型的な輪郭式で、本丸に天守はなく、防御の中心は二の丸に置かれていた。
本丸の堀は明治に陸軍に埋められてしまったが、二の丸の堀は現在も残る。近年絵図などを
基に二の丸東大手門が木造再建された。また本丸一文字門の石垣が見事に復元整備され、
今後も順次、復元を進めていく計画である。二の丸跡が霞城公園として整備されている。
三の丸土塁跡
最上義光騎馬像