所在地:埼玉県川越市久保町17
地元の人々から「うきしま様」と呼ばれ、広く親しまれているこの神社が、
いつ頃建てられたのか定かでない。かつては末広稲荷とも呼ばれ、
安産の神として麻を奉納する風習が伝えられている。
言い伝えによれば、大昔、星野山(今の喜多院)にあったのを慈覚大師が
喜多院を開いた時にここに移したとか、また一説には、大田道灌の父大田道真が
川越城を築城した際に、城の守護神としてこの地に祀ったものとも伝えられている。
現在ある社殿は、大正4年(1915年)に改築したものである。
今では、この一帯もすっかり様相が変わってしまったが、以前は「七つの釜」といって、
清水の湧き出る穴が七つもあり、一面葦の生い茂った沼沢地であった。
そのため遠くから神社を眺めると、ちょうど島のように浮かんで見えたところから、
浮島神社と呼ばれるようになったという。
また、伊勢物語を初めとして、昔からしばしば和歌に歌われた「三芳野の里」や
「たのむの沢」は、このあたりを指すものだとも言われている。[案内板抜粋]
地元の人々から「うきしま様」と呼ばれ、広く親しまれているこの神社が、
いつ頃建てられたのか定かでない。かつては末広稲荷とも呼ばれ、
安産の神として麻を奉納する風習が伝えられている。
言い伝えによれば、大昔、星野山(今の喜多院)にあったのを慈覚大師が
喜多院を開いた時にここに移したとか、また一説には、大田道灌の父大田道真が
川越城を築城した際に、城の守護神としてこの地に祀ったものとも伝えられている。
現在ある社殿は、大正4年(1915年)に改築したものである。
今では、この一帯もすっかり様相が変わってしまったが、以前は「七つの釜」といって、
清水の湧き出る穴が七つもあり、一面葦の生い茂った沼沢地であった。
そのため遠くから神社を眺めると、ちょうど島のように浮かんで見えたところから、
浮島神社と呼ばれるようになったという。
また、伊勢物語を初めとして、昔からしばしば和歌に歌われた「三芳野の里」や
「たのむの沢」は、このあたりを指すものだとも言われている。[案内板抜粋]