東京絵の具

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香取山 満蔵寺

2010年05月14日 | 埼玉県
所在地:埼玉県春日部市新方袋266
・県指定天然記念物「満蔵寺のお葉附きイチョウ

約1000年前、京都の北白川に住んでいた吉田少将惟房卿の一子梅若丸は
七歳の時父に別死し、比叡山の稚児となった。12歳の時、宗門争いの中で
身の危険を思い下山したが、その時に人買いの信夫(現在の福島県の一地域)の
藤太に騙されて東国へ下った。やがて、この地まで来た時、重病になり、藤太の
足手まといとなったため隅田川に投げ込まれてしまった。幸いにも柳の枝に衣が絡み、
里人に助けられて手厚い介抱を受けたが、我身の素姓を語り、

「尋ね来て 問わば答えよ 都鳥 隅田川原の 露と消えぬと」

という歌を遺して息絶えてしまった。時に天延2年(974)3月15日であった。
里人は、梅若丸の身の哀れを思い、ここに塚を築き柳を植えた。
これが隅田山梅若山王権現と呼ばれる梅若塚である。

一方、我が子の行方を尋ねてこの地に辿り着いた梅若丸の母「花子の前」は、
たまたま梅若丸の一周忌の法要に会い、我が子の死を知り、出家してしまった。
名を妙亀と改め、庵を構えて梅若丸の霊を慰めていたが、ついに世をはかなんで
近くの浅芽が原の池(鏡が池)に身投げしてしまったという。これが、有名な謡曲
「隅田川」から発展した梅若伝説であるが、この梅若丸の悲しい生涯と、妙亀尼の
哀れな運命を知った満蔵寺開山の祐閑和尚は、木像を彫ってその胎内に梅若丸の
携えていた母の形見の守り本尊を納め、お堂を建てて安置したという。
これが、安産、疱瘡の守護として多くの信仰を集めてきた子育て地蔵尊である。



枝がだいたい水平に出ることと、枝端に葉の群生するところができるなどの
特徴があるほか、特に、葉の緑のくぼみに実を付けるという珍しい性質があります。
実を付ける葉は、普通より小さく、その多くは奇形をしています。実は、年によって多い
ときと少ないときがありますが、多いときでも正常なものと比べると極めて少なくて、
小形なものです。県指定天然記念物「満蔵寺のお葉附きイチョウ」


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