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八王子城

2012年03月08日 | 東京多摩
所在地:東京都八王子市元八王子町3-2715-2
備考:国指定史跡、日本100名城

八王子城は、1587年(天正15年)頃、北条氏康の三男・北条氏照が築城し、
北条氏の本城・小田原城に対して、甲州街道の要の城として重要視された。

1590年6月23日、豊臣秀吉の小田原討伐にあたり、八王子城主北条氏照以下
家臣は小田原本城に駆けつけたため、一日で落城した。残った北条勢は、
その殆どが討ち死にや自害をして果てたと言い伝えられる。

小田原城が落城したのはそれから二週間足らずのことで、後に北条氏に代わり
領主となった徳川家康が八王子城を廃城とした。江戸時代は徳川家の直轄領、
明治以降は国有林だったので、落城当時のまま残されていた。

昭和26年、国指定の史跡として保存されることになり、史跡指定地は約154haに及ぶ。
現在は、平成4年に完成した八王子城跡管理棟に無料駐車場やトイレが整備され、
ここからの登山道を使って八王子城跡へ登ることができる。

大手門跡辺り。現在は埋め戻されているので見ることはできない。写真の城山川に
架かる人道橋は、架け替え直前だったので老朽化している。


御主殿に渡るための曳橋。資料は残っていないので、想像で復元されている。


曳橋と御主殿石垣


木橋を渡ると御主殿内部まで高低差約9mを「コ」の字型に折れ曲がった階段通路としている。


階段は全体で25段、踏面が平均1m、蹴上が36cmで、約5mの幅を持っている。途中2箇所の
踊り場とともに、全面に石が敷かれているのは八王子城独特のものです。


約400年、ほぼ崩れずに残っていた築城当時の野面積みの石垣。


御主殿跡は、江戸時代はじめに描かれた八王子城古図に「北条陸奥守殿御主殿」と
記されており、約400年以上前に築城され、周囲を石垣と土塁で囲んだ長方形の
削平地となっています。


御主殿の滝。八王子城は東京ではおそらく一番有名な心霊スポットとして知られている。
なぜなら、八王子城が落城した際、北条方の婦女子や武将らがこの滝の上流で自刃して、
次々と身を投じたと言われ、その血で三日三晩赤く染まったと伝えられているからです。


復元されている箇所だけを見るのであれば、上記の場所だけで十分であるが、
本丸跡や曲輪や八王子神社などに行きたければ、山頂を目指す必要がある。
山頂の本丸跡へは、ここから約30分ていど。


遊歩道のこのような石は、素人が見ると遺構に見えてしまいそうだが、
雨水の通路として昭和になって造られたようだ。


八王子城からの眺望。ガスっていてほぼ見えなかった。2010年に竣工した
八王子駅南口のサザンスカイタワー八王子が一際目立っている。


八王子神社。八王子市の地名は、深沢山(城山)に城が築かれた際、
山麓に八王子が祀られていたことから名附けられた八王子城に由来する。


小宮曲輪。八王子城の曲輪は、素人目ではほぼ分からない。


本丸跡。それほど広くないので、大きな建物はなかったと推定されているようです。

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