それでは、金印に彫られている「漢委奴国王」を検証していきます。
この「漢委奴国王」は、どのように読むのが正しいのかは
研究者により、いろいろあります。
いちばんの原因は「漢委奴国王」の「委奴国」をどの様に読むかが問題になります。
この「委奴国」は研究者に依って次の様な読み方があります。
「委奴」→倭の奴
「委奴」→ヤマト
「委奴」→イト
「委奴」→ワヌ
「委奴」→ウド
「委奴」→イド
「委奴」→イナ
このうち現在は、「委奴」→倭の奴と読むのが通説になっています。
即ち、「漢委奴国王」は「漢の倭の奴の国王」と読むのが正しいと解釈されてます。
この読み方が正しいとすると、「倭の奴の国」が金印を授かり、王と認められた事になります。
「倭の奴の国」とは、魏志倭人伝に記述されている30国の内の「奴国」になります。
しかし、魏志倭人伝に記述されている「奴国」は次のような紹介文しか書かれてません。
奴國 官日兕馬觚 副日卑奴母離
(奴国 官は兕馬觚と言い、副は卑奴母離と言う。)
これしか書いてなく、王がいたとか、王が存在してるの記述がありません。
魏志倭人伝では、その他の国はどう紹介してるか調べてみました。
對馬国 其大官日卑狗 副日卑奴母離
(対海国 その大官は卑狗と言い、副は卑奴母離と言う。)
一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離
(一大国 官は亦た卑狗と言い、副は卑奴母離と言う。)
伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 丗有王
(伊都国 官は爾支と言い、副は泄謨觚、柄渠觚と言う。代々王が有る)
不彌國 官日多模 副日卑奴母離
(不弥国 官は多摸と言う、副は卑奴母離と言う。)
投馬國 官日彌彌 副日彌彌那利
(投馬国 官は弥弥と言う、副は弥弥那利と言う。)
邪馬壹國 女王之所都 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮
(邪馬壱国 女王の都 官は伊支馬有り。次は弥馬升と言い、次は弥馬獲支と言い、次は奴佳鞮と言う)
狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗
(狗奴国 男子を王と為し その官は狗古智卑狗有り)
上記、魏志倭人伝の漢文のうち、王の記述が有るのは、
次の3国のみである。
1、伊都国 (代々王が有る)
2、邪馬壱国(女王の住む都)
3、狗奴国 (男子を王と為し)
なので、金印に刻まれた「漢委奴国王」の漢字の解釈は、
「漢の倭の奴の国王」の様に読むと、
魏志倭人伝の記述内容に符合しなくなります。
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